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今日は朝から、子供の卒園式に出席しました。
幼稚園の式典などとりあえず写真をとるために出ればいいと思っていたのですが、式が進むにつれ、胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じました。 子供たちと父兄にいい思い出を作ってあげたいという先生の思いが伺える様々な演出が素直に私の心に響き、涙をこらえるのが必死なくらいに感動してしまったのです。 子供たちの「思い出のアルバム」の歌声に乗せて3年間の行事の写真をスライドで見せられたとき、自分の子供の頃からの思い出、 今まで経験してきた出会いと別れが頭の中をよぎり、不意に切ない思いがこみ上げてきました。 そして、先生にお返しをするために、PTAの役員の方々が仕掛けた、子供から先生の似顔絵と花束が送られるという、先生には知らせていなかった演出にはとうとう男の私が不覚にももらい泣きをしてしまったのです。 そこには、日頃、自分が職業として追い続けている「人の心を動かす演出」というものの原点があるように思えました。 人は、人を喜ばせるために、常に様々な場所で演出を行っています。 自分の工夫で人を素敵な気持ちにさせたとき、その感動をを受けた人と同じくらいに感動を与えた側にも快感があるということは誰もが知っています。 自分の演出によって流された感動の涙を見る事はお金には換算できないほどの喜びなのです。 テレビや芝居、では味わえない、売り物ではない演出がそこには存在します。 この3月には全国各地で、出会いと別れに関する感動の 演出がいたるところで行われると思います。 それは素直に、感謝の気持ちを伝えるというだけの簡単のものかも知れません。 しかしそれは多額の予算を投じたドラマやバラエティー番組よりもずっと心に染みるプロの演出家には出せない感動の演出なのです。 プロの料理人は技を極めれば極めるほどこういうセリフを言います。 「家庭の味に勝てる料理を出せる料理人はいない」 同じように、自分の好きになった人、お世話になった人を素直に喜ばせたいという気持ちから生まれる演出に勝るものはないと思うのです。 幼稚園を卒業する子供たちは、先生の涙、父兄の涙の意味はよくわからないかも知れません、しかし肌で感じたものは心の片隅に住み続けるのだと思います。彼らはこれから幾度も人と出会い、感謝し、別れの寂しさを知ることになります。そして人と人の中で生まれる、優しい演出に心を打たれ感動の涙を知っていくのです。 先生と記念写真をとる園児たちを見ながら、テレビの演出という モノが本当はここに行き着くべきだと改めて心に言い聞かせる自分がそこにいました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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