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本日会議があり、次の回の内容が決定しました。
テーマの内容は、お好み焼きからビリヤード、音楽からカメラ技術と幅広いモノになりました。 毎回違うディレクターが違うものを取材し、編集する作品に統一感を持たせるのはチーフディレクターである私の仕事になります。 当然収録も、編集も立会い、内容に立ち入りはするのですが、全体としての流れは、担当者に任せてしまわないと、中途半端なつくりになってしまいます。そこで会議中に私の口から全員に伝え、 理解してもらわなければいけないのが、演出方針です。 それさえ、はずさなければ、どんな事をやっていてもひとつの色合いは残るものなのです。 私が今回出した方針は、「造りだす無造作」です。 かなり矛盾する言葉の並べ方になってしまったのですが、取材担当ディレクターの人たちには感覚で理解してもらう事が出来たようです。 今、東京の番組は作り込むということがあからさまに出ている番組が多く。逆に、関西では流れ重視、タレントにお任せしたお気楽番組が視聴率を取っています。 しかし関西では特に予算削減が進み、大物タレントをメインに置けない場合が多くなりました。そんな状況でタレントにお任せするということはお気楽どころか大きなバクチに他ならないのです。 そんな中、見た目にはタレント任せのお気楽番組に見せかけながら、実は裏でかなり作りこんでいる番組が多くなってきたのです。 そういう番組の演出法のひとつということで、 今回、私はこの「造りだす無造作」という表現を用いました。 今、ファッションも無造作が人気を集めていますが、髪型にしても ジーンズにしても、それらは造りこまれている場合が多いように思えます。無造作ヘアーを朝、一生懸命、ワックスとドライヤーで作っている若者、穿き慣らした感を作りこまれたジーンズ。 決め込むなら本格的にしないと、中途半端になってしまいます。 また本当に無造作で自然なものを表現しようと考えるとそこには、莫大な時間がかかります。そこで時間も予算もない中での工夫が必要となるのです。 「造りだす無造作」 ある意味中途半端なものと見られがちですが、そこには今の時代を 反映した流れがあると思えるのです。 今の、若い人たちは、頑張っている姿を見せたがらない習性があるようです。「必死」と言う言葉は今の時代、けなし言葉に使われる場合が多くなりました。必死になっていて一番を目指しているならまだしも、必死で平均点はかっこ悪いという価値観が若い人の中にあるようなのです。かといって今の時代、必死にならずに社会で認められるためにはよほどの才能か、かなりの強運が必要になります。必死ではない顔をしながら、必死である事が実はほとんどなのです。 そういう意味で、番組の色としても出来るだけ必死さを出さずに、一見手を抜いて作っているように思わせながらも陰で必死で造り込んでいきたいと思ったのです。 日常の人間関係を見ても、気楽に生きているように見えて実は見えないところでかなり気を使っている人はたくさんいるように思えます。 何もしない、本当の意味での無造作の魅力が出せる人間になれたらそれにこしたことはないのですが、まだまだそうはなれそうにもありません。 ありのまま・・・・・・その表現を、仕事でも、自己演出においても出来る男になりたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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