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若いうちは苦労しなければいけないと思っていた。
周りからもそう言われていた。 どんなに頑張っても、速くならない水泳部で、 朝から晩まで泳ぎ続け。 授業そっちのけで、やってもお金にならない大学組織の運営もした。 中学生の夢は会社員だったので、会社に入ってみた。 就職活動は入れる会社に入った。 ところが、入社1ヶ月で、1人だけ派遣に出された。 1人で社会に出る事を余儀なくされた。 派遣先の人が本当の上司であった。 自分の仕事ぶりも知らない、自社の上司に人事評価された。 どんなに仕事を頑張っても、給料には反映されなかった。 派遣先の上司に残業をお願いされ、残業したら、 自社の直属でもない上司から怒られたので、 逆ギレしてやった。 石の上にも三年と言うので、最初の派遣先で3年奉公したので、 他の派遣先へも行ってみた。 入社4年目が終わったら、自分の年収が右肩下がりになっていたので、 会社を辞めた。 会社という組織の恩恵を受けた記憶はなかった。 もしかしたら受けていたのかも知れないが。 結局1人で生きてしまったので、 システムエンジニアという技術者として生きる事にした。 その時の夢は1000万円プレイヤーにした。 目標を思い切り高く設定してしまったのかも知れない。 先の見えない長い階段を登り始めてしまっていた。 人には限界というものがある。 自分の思っている限界ではない。 思ったより出来たというのは、 自分で気付かずに設定した限界を越えた時である。 それは良い効果を生む事がある。 この時、本当の限界の存在と、 それを越える事を全く意識していなかった。 自分の適性もわかっていなかった。 百戦錬磨のSEさんを部下につけられても、 負けずに頑張り通していた。 でも、仕事ぶりでは収入に反映されなかった。 経験年数という、見えない年功序列が存在していた。 ある時、不調に陥った。 突然だった。 心の中でいくら叱咤しても、身体はのそのそとしか動いてくれなかった。 部下のSEさん達にも迷惑をいっぱいかけた。 この時、本当の限界を越えた事に気が付かなかった。 本当の限界にいくら近づいても、本当の限界を越えてはいけなかったのだ。 何とか無事にプロジェクトを終わる事が出来た。 不調を抱えたままだった。 少し病院で徹底的に検査してもらいたかったので、 病院へ行ってみた。 いろんな検査をしてもらった。 頭痛もひどいので、CTもMRIもした。 でも、結局わかったのは、腹部エコー検査での脂肪肝だけだった。 不調の根本原因は謎のままだった。 この時、既に、高く設定し過ぎた目標への階段を転げ落ちているところだったのだ。 それにも気が付いていなかった。 残念ながら、その階段には踊り場がなかった。 踊り場のない階段をひたすら登ってきてしまっていたのである。 あとは想像通り。 加速度をつけ、一気に下って行くしかなかった。 止まりたくても止まれない。 でも偶然、一番下に激突する前に若干緩やかになった時があった。 そこで留まる事が何とか出来た。 でも、バカだったので、また同じ階段を登り始めてしまうのであった。 物事にはほどほどというものがある。 中庸という言葉もこの時は知らなかった。 今思えば、能力給を求めるあまり、 全力疾走しっぱなしであった。 それが当たり前だと思い込んでいた。 能力を発揮すれば、すぐにお金になると単純に思っていた。 タイムラグなど、ただの業界用語だと思っていた。 時代の流れと生き方の時間の流れは一致しない。 結果はすぐには反映されない。 強かに時を狙い、タイミング良く流れに乗らねばならない。 あまりにギリギリ生きても疲れるだけである。 疲れない人もいるのだろうが。 人並みに生きる事も大切なのだ。 そのための苦労は必要だろう。 取り違えた苦労をしたとしても、経験値は上がるだろう。 幅は広がっても良い。 でも、ほどほどの生き方から外れては、 余計な苦労を背負うのだ。 人並みとは難しいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 15, 2012 10:12:52 AM
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