アモイ・泉州の旅 ~コロンス島~
いよいよ、アモイも最後の場所、コロンス島に向かいましょう。コロンス島はアモイ島の西南方向のすぐ沖にある小さな島で、渡し舟で気軽に行くことが出来ます。とても小さな島なので、島内は自動車は走っていませんが、半日も歩けば回ってしまえる程の大きさです。ここは、租界時代の洋風の建物が数多く残る、とても西洋な島なのです。まずは、一昨日の夜に行ったフェリー乗り場へ行きました。そこから渡し舟が出ているのですが、島の周りを一周する遊覧船も出ていて、島でも降りられると言うので、そちらへ乗ってみる事にしました。船が出発してしばらく行くと、コロンス島が目の前に近づいてきます。海岸沿いの岩の上に立っている巨大な像は、鄭成功の石像です。とても堂々として威厳が感じられますね。Xia men 2007-2-107 posted by (C)Nao鄭成功(1624年~1662年)は、明代末の人ですが、清の建国に当たって、最後まで抵抗した人です。彼の提唱でアモイは対外開放され、以来貿易が盛んになっていったようです。また、彼がこのコロンス島で兵の訓練を行なった事から、この島も有名になったようです。まさにアモイとコロンス島にゆかりのある人なんですね。ちなみに、彼の父親はアモイで密貿易をやっていた鄭芝龍、母親は日本人で田川松と言い、日本の長崎(平戸)で生まれ、7歳の時に福建へ移り住んだようです。彼は当時の皇帝に気に入られ、皇帝の姓である「朱」を与えられたようですが、それを受けず「成功」を名乗り、それから彼のことを人は「国姓爺」と呼ぶようになったようです。彼はその後台湾に渡り、台湾でオランダを駆逐し、対抗活動を続けました。さて、すこし話しが長くなりましたが、船で島の反対側まで来ました。ここから見ると、ひときわ高くそびえる岩が見えますが、あれがコロンス島のシンボル「日光岩」です。あとでこの岩には登る事になります。Xia men 2007-2-117 posted by (C)Nao船でコロンス島の周りを一周した後は、いよいよ島へ上陸します。船が岸壁に近づくと、洋風の明るい雰囲気の建物が並んでいるのが見えました。船を下りて、島内を散策してみましょう。ここには車が走っていないので、とても静かで落ち着いた雰囲気です。建物は全て洋風と言えるほど統一され、実際に今も人が住んでいるようです。Xia men 2007-2-109 posted by (C)Naoまず最初に向かったところは、小高い丘の上にある「アモイ博物館」です。この建物は、アモイの洋館を代表するもので、華僑のひとり林鶴寿が1907年に、アメリカのホワイトハウスを模して建てたようです。なお、ここは私が行ったときには、既に展示内容が変わっていて、「オルガン博物館」となっていました。Xia men 2007-2-110 posted by (C)Naoさて、次にコロンス島の一番高い場所「日光岩」へ行ってみます。ここは、結構坂を登った上にあり、日頃運動不足の私としては、ちょっときつかったです(笑)岩と言うくらいで、本当にひとつの大きな岩で出来ています。その頂上に登ると展望台になっていて、コロンス島全体が見渡せるほか、遠くにはアモイ市内も見えます。こうして見てみると、コロンス島には、洋館が本当に多いんだなあと改めて感じます。Xia men 2007-2-111 posted by (C)Naoこの頂上は畳数畳分くらいの広さしかなく、そこに手すりだけの展望台があって、高いところが苦手な人にはかなり恐怖感があります。また、日光岩からは英雄山へロープウェーが出ていて、そこにある「百鳥園」と言う鳥の動物園に行く事が出来ます。その日光岩を降りて、麓の「鄭成功記念館」を見た後に、華僑の林叔蔵が作った庭園、「叔荘花園」(叔には草かんむりが付きます)にやってきました。ここはもう海岸沿いで、すぐ横には綺麗なビーチが広がっています。Xia men 2007-2-112 posted by (C)Naoこの庭園からは、海上に突き出して通路のような橋がかけられていて、そこを歩くのもまた趣がありました。そこから見る夕陽がとても綺麗なようですまた陸に戻り、すぐそばにある「鋼琴博物館」(ピアノ博物館)へ入ってみます。コロンス島は著名なピアノ演奏家を多く輩出しているらしく、今でも島内でピアノはとても盛んなようです。この博物館には70台ほどの珍しいピアノコレクションが展示されています。(撮影禁止でした)その庭からは、コロンス島や日光岩がよく見えました。Xia men 2007-2-113 posted by (C)Naoさて、フェリー乗り場の方へ戻って行きましょう。その途中で見えるのが、租界時代の各国の建物で、その中には旧日本領事館もありました。なかなか大きな渋い建物で、立ち止まって見ている人も多かったです。Xia men 2007-2-115 posted by (C)Naoさて、アモイは1842年に南京条約によって開港しますが、その後コロンス島は1902年に「共同租界地」に定められ、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、スペインなどの領事館や商社、学校、病院、教会などが建てられました。それに加えて、大勢の華僑が競ってここに洋館を建てたので、島全体がこのような洋風の街並みになったようです。Xia men 2007-2-114 posted by (C)Naoその後1949年の中国建国に伴い中国に帰属して、今では多くの観光客が訪れる観光スポットになっています。もちろん、いまでも約2万人がここに暮らしているようです。この日も島内には観光客が溢れていましたが、その大半は中国人でした。Xia men 2007-2-116 posted by (C)Naoさて、飛行機に乗らなければならないので、早めにフェリーで戻ろうと思いましたが、既にフェリー乗り場には、ものすごい数の人が待っています。それでも何とか船には乗れましたが、たぶん定員の倍くらいの人が乗っていたんではないでしょうか。あまりに重いので、明らかに船が通常よりかなり沈み込んでいる状態であり、船着場で船を降りようとしたときに、あまりの段差によじ登らなくてはいけないくらいでした(笑)恐るべき定員オーバーですが、もし沈んだらどうするんだろうと、ふと考えてしまいました。さて、そのコロンス島ともお別れし、ホテル経由で空港へ向かいました。また喧騒の香港へ戻ります。今回のアモイ・泉州の旅、ブログでのご報告も2月に始めて、既に一ヶ月以上もかかってしまいました。長々とお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。私も今回初めて行ってみて、その2都市の魅力を十分に感じて帰って来ました。海のシルクロード出発点の海上貿易都市として栄え、古い歴史とお寺が数多く残る、独特な街並みを持つ街・・・「泉州」租界時代の西洋の面影を色濃く残すコロンス島や、集美学園・アモイ大学と言った西洋中折衷様式の美しい建物群を持つ、おしゃれな夜景が素晴らしい街・・・「アモイ」そうした街の雰囲気を、少しでも皆さんに感じてもらえればうれしいですね。そして、もし機会がありましたら、皆さんもアモイを訪ねてみてください。