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ねぇね2人と双子っちのママのお部屋。

「無題」第40章~第42章

第40章 朧月夜の君

春が訪れ、皇后は二人のお子たちが側にいない寂しさを、毎晩弘徽殿を抜け出して小袿のまま庭に出て満開の桜を眺める。誰もここに皇后がいるなど思うはずがない。ここ二、三日うす雲がかかった朧月夜である。その朧月を見てさらに皇后はため息をついて、桜の木にもたれかかる。
「毎夜そちらにおられますが・・・どうかなさったのですか?」
皇后は驚いて声のするほうを見る。
「誰!」
そこには品のよい宿直装束を着た若者が立っていた。
「まるである物語の朧月夜の君のようで・・・。つい毎晩のように眺めておりました。どちらの女官か女房殿か・・・・。毎晩眺めているうちにお美しいあなたのことが好きになってしまいました。」
そういうと皇后の手を握り手の甲にキスをする。皇后は帝以外の男にそのような事をされたことがなかったので、顔を真っ赤にして固まってしまった。暗がりでその男の顔ははっきりとは見えないが、なんとなく帝とは違った感じの姿形のよい者で、ついときめいてしまった。
「何も言われないということはよい返事と取ってよろしいのですか?」
「え?」
そういうと、桜の木の下でその男は皇后にキスをする。
「あなたの事を朧月夜の君と呼んでよろしいですか?また会いましょう・・・。」
「あの!あなたは?」
「桜の君とでも呼んでいただこうかな・・・。では失礼します。」
皇后は放心状態で、男が消えていくのを見つめた。皇后ははっと気づくと、急いで弘徽殿へ戻った。そして何もなかったように寝所に潜り込み単を頭の上まで被った。
「桜の君?」
思い出したようにそういうと、先ほどの出来事を思い出し、顔を真っ赤にしてなかなか眠ることができなかった。
その後も桜の君が宿直の日、同じ時間同じところで密会をした。いつもいろいろ話をしたりするだけで、最近公務が忙しく後宮に来ない帝へ募る思いを忘れ、楽しい日々を過ごした。
「朧月夜の君、この私と結婚していただけますか?」
「え、それは・・・。」
そういうと、皇后は桜の君を離して、弘徽殿の方に走り去った。
(皇后様付きの女官か、女房殿だったのか・・・。)
桜の君はそう思うと、宿直所へ戻っていった。
 次の日、帝は皇后のもとにやってきた。以前より皇后が帝に頼んでいたことについてのようだ。帝がなかなか夜のお渡りがなかったわけもこれにあった。
「綾子、以前より行きたいと言っていた、長谷寺詣の件だけど、いろいろ手配が整ったよ。近衛の者から数十人列に付かせる事にした。」
帝が扇を鳴らすと一人の男が帝の後ろに座り深々と頭を下げる。
「この者は今回の列の責任者である新頭中将源将直殿だ。昨年まで衛門府にいたので腕は確かだ。そしてとても信用できる者。安心してお任せしたらいい。」
頭中将が頭を上げると、皇后は驚いて声が出なくなった。
(桜の君様・・・。)
「どうかしたの?綾子・・・。」
皇后は顔を扇で隠したまま、震える。もともと桜の君は皇后の事を後宮に出仕している女官か女房と思っている事を皇后は知っていたので、声を出せば自分が朧月夜の君とわかってしまうと思った。萩は機転を利かせ代理で返事をする。
「綾子、ここのところこちらに顔を見せてないから怒っているのですか?今晩こちらに参りましょう。昨日までのように清涼殿に詰めておく必要はなくなったし・・・。」
そういうと、帝は頭中将を連れて清涼殿に戻っていった。
「どうかなさいましたか?皇后様・・・。」
「萩、ありがとう・・・。ちょっと気分がすぐれないの・・・一人にしてくれないかしら・・・。」
「では薬湯を・・・。」
「いいわ・・・とりあえず一人にしてくれないかしら・・・・。」
皇后は一時とはいえ、頭中将にときめき、微かな恋心を抱いていた。今まで帝の寵愛を一身に受けていたのにもかかわらず、一時の偶然の出会い・・・。皇后は密かな恋心を帝のために心の中に封印しようとした。
(私は何という事をしてしまったのだろう・・・ただの半月帝が来られなかったというだけで、他の殿方と・・・。)
一方頭中将は弘徽殿の中に朧月夜の君がいないかと目で追って探していた。しかしそれらしい女官や女房は見つからなかった。
(本当に弘徽殿にいる方なのか?もしかして物の怪の類かそれとも幻か・・・。あのように美しいのなら物の怪でも幻でも構わない・・・。)
そう思った頭中将はこの日の同じ所同じ時刻に行ってみる。今日はいくら待っても朧月夜の君は来ず、桜の木下で座り込む。出会った時、満開であった桜はもう散って葉桜になろうとしていた。今夜は朧月夜ではなくきれいな満月の夜だった。
(やはり朧月夜ではないと会えない幻か・・・・。でも確かにあれは生身の体・・・。)
頭中将は苦笑をし、その場を立ち去った。
 帝は皇后を弘徽殿の庭に連れ出す。
「ほら見てごらんよ、綾子。今日はなんてきれいな満月なのだろうか・・・。」
皇后は浮かない顔をして満月を見上げる。すると帝は皇后の腕を引っ張るとあの桜のところにやってきた。そして皇后を抱きしめた。
「ここなら誰も来ないよ。綾子・・・。」
そういうと帝は皇后にキスをした。まるで桜の君と同じような行為に皇后は涙を流した。
「常康様、なぜわざわざこちらに?」
「弘徽殿では必ず二人きりにはなれないからね。ここはよく右近少将の頃、宿直の時にここに来て桜と月を眺めたところだ。もう桜は終わってしまったけれど、ここなら誰も来ないと思って・・・。綾子が長谷寺に行くと当分会えないから今のうちにこうしてじっくり綾子の顔を見ておきたかった。」
そういうと帝は皇后の額に帝の額をあわすと、微笑んで改めてキスをした。皇后は桜の君との密会の記憶と重なってしまい、帝を離して弘徽殿に走って戻った。
(やはり相当綾子は怒っているのだろうか・・・。)
そう思うと帝はため息をついて弘徽殿に向かっていった。帝は弘徽殿の階段に腰掛けて、月を眺めながら皇后のおかしな態度について考え事をする。もちろん皇后が頭中将と密会を繰り返していたなどとまったく気が付いていない。橘が帝に気が付き、声を掛ける。
「帝、どうかなさいましたか?このような場所で・・・。」
「綾子の態度が気になって・・・。今まであのような態度など見せたことなどなかったのに・・・。私のこと嫌いになったのかな・・・。」
「そんなことはありませんわ・・・。大事なお子様方と離れて過ごされておられるのできっと滅入っていらっしゃるのだと・・・・。長谷寺詣できっと気晴らしになられ、元気になられますわ。」
「ならいいが・・・。こういうときはそのままにしておいたほうがいいのかな・・・。ありがとう橘・・・。」
そういうと帝は弘徽殿に入っていく。そして皇后のいる寝所に入ると単を頭から被って泣いている皇后を見つめると帝は横になった。
「綾子、長谷寺から帰ってきたら、こちらに孝子を呼び寄せよう。内親王であれば後宮で過ごしても問題はない・・・。同じ弘徽殿で一緒に暮らしたらいいよ。気が付かなくて悪かったね・・・。あなたから大切な姫宮を取り上げたような事をしてしまって・・・。」
皇后は帝の優しさに触れ、さらに桜の君との密会について自分を責めた。やはり反応がない皇后に対し、帝はため息をつくと立ち上がった。
「やはり綾子をそっとしておいた方がいいようだね・・・。清涼殿に戻る。別に怒ってはいないからゆっくり休みなさい。」
そういうと寝所から出て、橘を呼ぶ。
「どうかなさいましたか?ご気分でも?これから麗景殿へお渡りになりますか?」
「いや、もう夜が更けてしまった。和子には迷惑だろうから清涼殿へ戻るよ。」
そういうと橘に先導されて清涼殿に戻る。すると滝口のあたりで頭中将に出会う。
「頭中将殿、今日はあなたが宿直なのですか?ここのところ多いですね。」
帝に気が付いた頭中将は頭を下げる。
「弘徽殿は相当機嫌が悪いらしい・・・。このようなことは初めてだ・・・・。眠気も覚めてしまった。良ければ話し相手になっていただけるとうれしいのだが・・・。」
そういうと清涼殿の片隅で二人は話し出す。
「頭中将殿はどうして頭中将になられてから宿直が多いのか?」
「私には他の公達と違って通う姫がおりません。家にいても仕方がないので、こうして毎夜他の者と変わって宿直を・・・。夜の内裏は静まり返り気分も落ち着くのでございます。」
「どうして通う姫がいないのですか?」
頭中将は苦笑して帝に申し上げる。
「お恥ずかしながら、理想的な姫にめぐり合えないだけでして・・・。しかし想う女(ひと)はいます。その方は朧月夜の夜に出会っていろいろ楽しい時間を過ごしました。しかし求婚をしたとたん消えてしまわれた。あれはもしかしたら桜か月の精かもしれません。まるである物語の朧月夜の君か、かぐや姫の様・・・。」
帝は微笑んで頭中将に言う。
「その姫と結ばれると良いですね。弘徽殿は元服前に出会った初恋の姫。とても理想的な姫・・・きっと私は良い家柄でなくても妻に迎えていたことでしょう。しかし今まで機嫌を悪くしてもすぐに笑顔に戻る姫であったのに・・・今回は違うようだ。」
帝は苦笑して月を眺める。
「女性というものは秋の空のように変わりやすいものと聞いております。長谷寺詣に行かれて気分転換されるときっともとの皇后様に戻られます。」
「だといいね。普通の公達の妻であれば、のびのびと生活できるのであろうが、何かしら宮中は堅苦しい・・・。ここだけの話だけれど、あの時私が右近少将のままであったらと度々思うのですよ。そうすれば、弘徽殿も東三条の若宮や姫宮と共に過ごせたのに・・・。頭中将、公務中に引き止めて悪かったね。少し気持ちがすっとしたよ。ありがとう。ゆっくり眠れそうだ・・・。戻っていいよ。」
頭中将は深々と頭を下げると、内裏の警備に戻っていった。帝も寝所に戻り眠りに付いた。

第41章 長谷寺詣

 皇后が長谷寺の向かう当日、朝早く旅立つ皇后を送るために弘徽殿に帝はやってきて、皇后の手を取ると、弘徽殿に横付けされた車まで見送った。お付の近衛の者達は、深々と頭を下げ、皇后やお付の女房達が車に乗り込むのを待つ。
「綾子、ゆっくりしておいで。私と孝子と一緒に待っているからね。」
皇后は扇で顔を隠しながら帝に会釈をすると、車に乗り込んだ。
「頭中将、頼みましたよ。」
「は!」
そういうと頭中将は出立の合図をする。途中大和国に入ると、大和守や従者達が列に合流し、警備を固める。そして大和で一泊して長谷寺に向かった。長谷寺の宿坊の着くと住職が、皇后を部屋に案内し、長谷寺について話していく。宿坊から見えるきれいな牡丹が皇后の心を癒した。まだ満開ではないが、ちらほら咲いた牡丹はやはり花の寺として有名な長谷寺だけはある。特に今回は皇后のために寺を貸し切られていたので、ゆっくりと他の人を気にせず、半月間過ごすことができそうだ。
「萩、散策してもいいかしら・・・。近くで牡丹を見てみたいの。」
「それでは準備を致しましょう。警護の者も付けないと・・・。」
小袿を来て頭から袿を被って庭を散策する。そしてある程度後ろから、近衛の者が警護をした。
「帝にも見ていただきたいですわね。こんなにきれいだなんて・・・綾姫様。摂津さんもつれてくればおかったですのに・・・。」
「ええそうね。長谷寺に来ている間、他の者達は里帰りできるのだからいいじゃないかしら。ここに連れて来た者たちもみんな気の知れたものたちばかり・・・。ゆっくりできるわ。あなたも羽を伸ばしなさいね。それとも内裏にいたほうがよかったのかしら?」
「何を言われますの?綾姫様。」
「知っているのよ。五位蔵人橘晃殿と仲が良い事くらい。」
萩は顔を赤くして黙り込んだ。
「秘密にしなくていいのよ。萩はそろそろお嫁に行ってもいいのよ。常長様も同じ事を言っておられたのだから・・・。」
皇后は微笑んで萩を見つめる。
「ねえ萩、袿取ってもいい?暑いし、よく見えないもの・・・。萩は何も被ってないからよく見えるだろうけど・・・。」
萩は周りを見回して、警護の者の位置を確認したうえで、そっと皇后の袿をはずす。
「ありがとう萩・・・。やはりここの風は気持ちいいわ。後宮の堅苦しい空気と違うわ。」
萩は人の気配を感じるとまた皇后に袿をかぶせる。
「さあ、お部屋に戻りましょう。警護の者が近付きすぎですわ。まだこちらに何日もいるのですから、またゆっくりと・・・・。」
そういうと、萩は皇后を部屋に入れる。皇后は残念そうな顔で部屋に戻り、身なりをととえて脇息にもたれかかる。皇后はつまらなそうな顔をして、外を眺める。高い山の奥では、まだ山桜が咲いている。
(桜か・・・。桜の君は今日都へ帰られるのかしら?)
皇后はつい頭中将の事を思い出してしまい、顔を赤くした。ここまで来る道中も、皇后の車の横についていて皇后の体調などを伺いながら列の指揮をしていた。皇后は頭中将の声を聞き、自分の立場を見失いそうになった。
(常康様と出会っていなかったら、桜の君と結ばれていたかもしれない・・・。常康様がいなかったら?)
皇后は、最後に密会した日の事を思い出す。いつも微笑みながら雑談をしていた頭中将が、急に真剣な顔をして皇后を引き寄せキスをした後、求婚してきたあの時、はっと気が付いて、頭中将を離して走り去ってしまった時・・・。
(ここは常康様がいない。ちゃんと桜の君に本当の自分を知っていただかないと・・・。ここでなら会えるかしら?)
そう思うととても夜になるのが待ち遠しく思った。
 夜が来て皆が寝静まると、そっと起き出し袿を着て外に出た。そして廊下に座ると、三日月を眺めながら少し考え事をする。皇后は思い立った様に庭に下り、少し歩いた庭の石に腰掛けて夜空を見上げる。皇后はすらっと歌を詠むと、後ろで人の気配がする。
「その歌は誰に宛てた歌ですか?」
どこかで聞いたような声が近付いてきた。
「桜の君?」
「その歌は帝に宛てたのですか?朧月夜の君・・・。」
「え?」
そういうと頭中将は後ろから皇后を抱きしめる。
「あなたが、皇后様であったなんて・・・。どおりで身のこなし等に気品が・・・。」
「ずっと言えなかったのです・・・。でもいつ?」
「到着後の皇后様が庭を散策されていた時・・・被っていた袿を取られた時です。後ろで警護を致しておりました・・・。」
「そう・・・もし今日ここで会えたらきちんとあなたに言おうと思っておりました。」
「だからですか?私からの求婚を・・・。」
「私はあなたとは結婚できません。私には帝がおられるのですから・・・。」
「そうですね・・・。明日の朝、都に戻ります。帝に長谷寺に無事送り届けたと報告に戻らないといけません。朧月夜の君・・・。」
そういうと頭中将は皇后の手を引き引き寄せると抱きしめた。
「あなたへの想いは変わりません、しかしあなたは恐れ多くも帝の妃、それもご寵愛を一身に受けておられる方。私はこのあなたへの想いを我慢できません。あなたの心の中に、少しでも私の存在があるのでしたら、今夜を共にしていただけないでしょうか・・・。今夜限りであなたを諦めます。あなたとのよき想い出を・・・。」
皇后はうなずくと、頭中将は皇后を抱きしめた。そして自分の装束からかさねを脱ぐと、皇后にかぶせ、頭中将が泊まっている部屋に案内した。部屋に入ると扉の鍵をかけ皇后からかさねをはずすと、改めて皇后を抱きしめキスをした。
「あなたが帝の妃ではなければ、このままどこかに連れ去りたい・・・。せっかく理想の姫と出逢ったと思ったのにもう別れなければならないなんて・・・。来世では一緒になれたら・・・。」
「私はあなたとことが好きです・・・。もう少し早く出逢っていれば・・・。」
そういうと二人は抱き合い、夜を過ごした。
 夜が明ける前に二人は別れ、皇后は寝静まった部屋にこっそりと戻った。誰も気が付かない様子で皇后はほっとした。そして横になり、頭中将の肌の温もりを思い出し、眠気が覚めてしまった。朝が明け少し経つと、萩が皇后を起こしに来る。
「綾姫様、頭中将様が近衛の方々の半分を連れて都に一時帰られるそうで、皇后様にご挨拶をと参っておりますが・・・・。今大丈夫でしょうか?
「ええ、もうだいぶん前に起きているから、大丈夫よ、お通しして・・・。」
すると、頭中将は皇后の御簾の前に座ると、深々と頭を下げる。先ほどまで一緒にいた二人は、皆に悟られないように装うが、やはりお二人共の顔は赤らんでいる。
「今から都に戻って帝に長谷寺まで皇后様を無事お送りした事を、報告に言ってまいります。またご帰郷の際にはお迎えに参上いたしますので、よろしくお願い申し上げます。何か帝にお伝えすることがございましたら何なりとお申し付けください。」
「頭中将様、ではお伝え願いますか?離れ離れになっていたとしても心は一つでございます。どうぞお元気で・・・と・・・。」
もちろんこの言葉は頭中将に向けられた言葉であって、そのことに頭中将は気づいた。しかし平静を装っている。
「では、御前失礼致します。」
そういうと皇后の部屋を下がり、数人の近衛の者を引き連れて馬に乗って都に帰っていった。皇后は萩たちに悟られないように頭中将との別れに涙する。
毎晩のように部屋を抜け出しては来るはずのない桜の君を待ってみる。
 数日が経ち、月が満月に近付いた頃、いつもと同じように抜け出していつものところで石に腰掛けて月を眺める。すると今日はいつもと違って宿坊の方が急に騒がしくなったので、慌てて部屋に戻ろうとすると、暗がりのためか小石につまずいて転んでしまった。皇后は起き上がって衣に付いた土を払い転んでかすり傷をした膝に付いた土を座り込んで丁寧に払っていると、ちょうど目の前に手のひらを差しのべる。
「大丈夫?綾子。」
「常康様?」
「そうですよ。つい綾子のことが気になりすぎて夢にまで出てくるようになったから、関白殿に無理を言って馬でここまで走って来たのだよ。でもどうしてこんなところにいるの?皆心配しているよ。さあ部屋に戻ろう。萩に言って手当てしてもらおう。」
そういうと帝は皇后を抱きかかえて部屋へ戻る。部屋では萩たちが心配そうに皇后を探していたようで、帝に抱えられた姿を見て一堂は安堵する。
「綾姫様!どちらに!」
「萩・・・眠れなくて・・・月と牡丹を見に行っていたの・・・。夜なら何も被らなくていいと思って・・・。」
萩は脹れながら皇后の手当てをする。
「常康様・・・いつ?」
「さっき着いた所だよ。予定よりも時間がかかってしまった。明日当たり空の車が来る。車では時間がかかりすぎて待てないから、橘晃と綾子の兄上とともに馬で走ってきた。」
「頭中将様は?」
「長谷寺から帰ってきた後から様子がおかしくてね・・・。毎日出仕していたのに最近休みがちで・・・。綾子の迎えを辞退したよ。家の者に聞くとなにやら寝込んでおられるらしい・・・。たぶん長谷寺往復で疲れが出たのであろう。」
「そう・・・。」
萩は帝に白湯を持ってくると、いう。
「お部屋はこちらでよろしいのでしょうか?こちらは宿坊ですので大したおもてなしはできませんが・・・あの・・・あっちの方も・・・。」
帝は照れながら微笑むといった。
「わかっているよ。久しぶりの馬で疲れたからもう寝るよ。そうそう萩、控えている橘晃と左近中将殿に部屋を案内してやって欲しい・・・。」
萩はさっさと部屋を出て空いている部屋に案内した。帝は皇后の寝所に潜り込むとすぐに疲れているのか眠ってしまった。皇后は帝の側に横になると、帝の手を取り自分の頬にあてる。
(常康様・・・申し訳ありません。私・・・頭中将様のことが好きです。忘れようと思っても忘れられません。常康様は本当にお優しくていい方なのですが・・・。私を想ってわざわざこちらまで馬を走らせ来ていただいたのに・・・。このまま後宮には戻りたくありません・・・。)
皇后は自分の体の変化に気が付いていて、後宮を密かに出る事を考えていた。しかし出るにしても一人では何も出来ない。頭中将に体の変化を伝えようとしても一人では・・・。そこで皇后は意を決し、萩に伝えようとした。皇后は帝が熟睡しているのを確認して控えていた萩を庭に連れ出した。
「姫様お待ちください!!どちらへ!」
誰も来ないような場所に萩を連れ出すと、皇后は話し出した。
「萩、いい?あなたは私の味方よね・・・。何があろうとも・・・。」
「もちろんです!物心付いた頃より姫様のお世話をしております!」
「帝にも、お父様にもみんなには内緒よ!お母様には言わないといけないかもしれないけれど・・・。私、多分だけど身籠っているの・・・。」
「帝のお子ですか?そういえばまだ月の穢れが・・・。」
「帝のお子であればここまで悩まないわ。」
「では一体・・・・。もしや・・・。頭・・・。」
皇后はうなずくと、頭中将との詳しい経緯を萩に告白する。萩は顔を真っ青にして聞き入っていた。
「宇治にあるお母様の別邸があるでしょ。あそこはもともと亡きおじい様である院のもので、そう簡単には役人が出入りできるものではないのよ。帝でもよ・・・。そちらに病気として籠もろうと思うの。病気であれば里下がりが出来ると思うの。そちらで密かに御子を産んで・・・里子に出すしかないわ・・・。本当は帝の子として育てていくのがいいのでしょう。でももし、帝に似ていなかったら?これしか道はないのよ・・・。桜の君にもご迷惑はかけられないし・・・。もちろん実家にも・・・。何があっても、決して面会はしない。本当なら今すぐにでもここを出て行きたいのよ・・・。」
「わかりました。私の命に代えてでも!姫様をお守りいたします!」
「ありがとう・・・。とりあえず都に戻ってから・・・。」
そういうと二人は部屋に戻り眠りに付いた。
 朝を迎えると、帝と皇后は朝餉をとりながら会話をする。
「こちらに来た時は夜だったからよく見えなかったけれど、やはり花の寺といわれるだけありきれいだね・・・。あとで近くまで行って見よう・・・。護衛には君の兄上を付けるから、何もかぶらなくてもいい。ゆっくりと散策できる・・・。綾子、やはり気分がすぐれないの?」
返事のしない皇后を見て帝は心配をした。
 帝は皇后の手を引いて庭を散策する。皇后が来た時と違って、いろいろな牡丹が満開になっていた。帝は大変喜んで皇后に微笑む。
「無理を言って来てよかったよ。私の日々の気分も晴れそうだ。さっき私の車が到着したようだから、明日出立するよ。十分楽しまないと・・・。ね、綾子。綾子?」
帝は皇后の真剣な顔つきを見て驚いた。
「常康様、お願いがございます。」
「何?綾子の気分がよくなるのであれば、何でも聞いてあげるよ。」
「当分の間里下がりをお許しいただけないでしょうか?」
「そうだね、最近綾子は何だか変だ。きっと後宮の暮らしが窮屈なのかもしれないね・・・。期間は?」
「わかりませんが最低1年は頂きたいのです。」
すると帝は驚いたが、うなずき皇后の願いを聞き入れた。帝の寂しそうな顔を見て皇后は今にも今までの行いを告白しそうになったが、頭中将の事を思うとそれは出来ずにいた。
「綾子、きっと帰ってきてくれるのだろうね・・・。何だか胸騒ぎがするのだ・・・。」
帝の言葉に皇后はドキッとした。皇后は軽くうなずくと、また下を向いた。
「約束だよ・・・。」
そういうと帝は皇后を抱きしめた。皇后は改めて帝の優しさと心の広さを感じ涙を流す。皇后は涙をふき取ると、微笑んだ。
「きっと戻ります。きっと・・・。しかし御文を頂いてもお返事できないかもしれません・・・よろしいですか?」
「しょうがないね・・・。絶対戻っていただけるのならば我慢するよ。」
二人は無言のまま部屋に戻り、次の日朝早く都に向けて出立した。

第42章 期限付きの新たな出発

 後宮に戻ってきて数日、皇后は里下がりの準備がある程度終わる。萩は皇后を気遣って何かとよくしてくれる。皇后は里下がりの間萩だけを連れて行くことにした。後の者は皇后が帰るまで、麗景殿にまわるもの、清涼殿にまわるもの、そして里に帰るものに別れた。明後日に里下がりをすることになっているので、昼間は様々な人たちが弘徽殿に出入りをする。一方夜になると、里に帰った者たちがいるので静まり返った。皆が寝静まると皇后は部屋を抜け出し思い出の桜の木にもたれかかると、頭中将との思い出を思い出しながら、星空を眺めた。
「次ここに戻ってくる頃は咲いているのかしら・・・。戻れたらの話だけど・・・次はきっと・・・。」
すると後ろで声がする。
「次は私とではなく帝とですか?」
皇后は桜の木の後ろを見ると頭中将が立っていた。
「朧月夜の君・・・忘れようとしても忘れられませんでした・・・。帝のものとわかっていながら・・・。初めて恋煩いというものにかかってしまいました・・・。」
「桜の君・・・私・・・あなたの子供を身籠りました・・・。だから・・・病気と偽り里下がりを・・・。」
「私の?」
皇后はうなずくと頭中将は皇后を抱きしめる。
「なんと言う事をしてしまったのだろう・・・。あなたを苦しめることになってしまった・・・。」
「私、どこかでこの子を産んで、そのまま姿を消そうと思っているのです。」
「それはいけない!帝のためにも東宮様のためにも後宮にお戻りください。あと・・・よろしければ私の宇治にある別邸をお使いください。そしてお腹のお子は私が引き取ります。」
「一度実家に戻り、宇治にいるお母様の別邸にお世話になるつもりでしたが・・・。」
「それならそちらにお迎えにあがります。別邸には帝のおじいさまであられる院の妹宮である私の祖母がおります。とてもよいお方ですので、ご安心を・・・。」
そういうと頭中将は立ち去っていった。
 里下がりの前の日、昼間からいろいろな人たちが挨拶に訪れた。もちろん中宮も訪れる。
「綾子様、寂しくなりますわ。出来るだけ早めのお帰りくださいね。」
「和子様・・・帝のこと、頼みましたよ。私の代わりに・・・。」
「はい・・・綾子様がいらっしゃらないと、この後宮も明かりが消えたように寂しくなりますわ・・・。」
皇后は微笑んで中宮を見送った。夕方になると、帝がやってくる。当分会えないので今夜は一緒に過ごすことになっていた。皇后にとっては針の筵のような晩だった。何も言えず、帝と時間を過ごした。朝が来ても帝は皇后を離さず、里下がり寸前まで一緒にいた。警護の左近中将が迎えに来ると、皇后は帝に頭を下げ車に乗り込んだ。帝は悲しそうな顔をして皇后を見送った。実家に帰ってくると、東宮が走ってきて皇后に飛びついた。
「母上!いつまでここにいるの?」
無邪気にはしゃぐ東宮を見て皇后は微笑むが、この先こちらに戻れないかもしれないという寂しさでいっぱいであった。少し歩き出した姫宮を見るといっそう涙がこみ上げてくる。
「聞いて若宮。母は病気なのです。今からおじい様にご挨拶をしてすぐにこちらを発ちます。」
東宮は涙を浮かべて皇后に抱きついた。
「若宮は孝子のお兄様でしょ。母がいなくても大丈夫よね。母は早く元気になるように静養にいくの。いいわね。」
若宮はうなずくと皇后と一緒に左大臣の部屋に向かう。左大臣は皇后を迎えるという。
「初め里下がりと聞いて、驚いたよ。帝から見放されたと・・・。でもそなたが病気がちと聞いてね・・・。帝もたいそう心配されていたよ。空気のきれいな宇治に行ってゆっくりしておいで。そしてまた帝のご寵愛を一身に受け、皇子を授かっていただかないと・・・。」
「お父様、私はどうしても一人で籠もりたいので、決してこちらには来ないでください。来られても会うつもりはありません。ゆっくり静養したいのです。あと、若宮と、姫宮のこと、よろしくお願いします。」
「わかった、ゆっくり静養すればよい、しかし近況報告ぐらいはしてくれよ。」
皇后は深々と頭を下げる。そして宇治の別邸に旅立ってしまった。
 宇治の別邸につくと、皇后の母君が待っていて、皇后を心配そうに眺め抱きしめる。
「萩からの文を見ました。大変なことになってしまったのですね・・・。いいからこちらにいらっしゃい・・・。お客様がお待ちよ。」
そういうと客間に皇后を通す。そこには狩衣を着た頭中将が座っている。
「綾姫、この方からお話を聞きましたわ。びっくりしてしまって・・・。この方のおばあさまは私の腹違いの姉上なのですもの・・・。以前言ったわよね。私と、帝の父上様は叔母と甥の関係だと・・・。私は亡きお父様が晩年、院の時代に出来た姫ですし。お姉さまは私よりも二十も上の方。親子といってもわからないくらいよ。なんというめぐり合わせなのでしょう。でも、あなたの身を明かしてはいけませんよ。お姉さまは私の姫が皇后になられた事を知っているから・・・。度々お姉さまのお邸には御呼ばれしているのですけれど、お邸では他人ですわよ、ねえ綾姫。名前を変えないといけませんね。何がいいかしら。月姫ってどうかしら?朧月夜の君なのですものね。」
皇后の母君はとても楽しそうにこれからの話をする。
「お母様、結構楽しそうですのね・・・。」
「わかった?なんて物語のような・・・私も若ければ・・・殿と別な方と・・・。」
「お母様!」
すると母君は真剣な顔をして頭中将に言う。
「きちんと責任は取っていただけるのでしょうね。これはあなたのご家族、そして左大臣家に関わることなのですよ。もしこのことが帝の耳に入ったとしたら・・・いくら帝が心の広い方であっても許されませんよ。綾姫を迎えるご用意は整っているのでしょうか?こちらも空蝉のように皇后がいるというように対処します。よろしいわね。」
「もちろん、女房もお道具もそろえました。女房達も本邸から口の堅いものを選んで連れてまいりました。あと問題は私の母上なのですが・・・。子離れできていないというか・・・。何とかなるとは思いますが・・・。」
「あのお方ね。お姉さまからよく聞いておりますわ。あなたの縁談にとやかく言うって聞きました。」
「それなら話は早いですね。期間限定の夫婦とはいえ、母上が出てくるとまずいのですが、おばあさまと仲が良くありませんので、まず宇治の別邸には来られないかと思うのです。しかし私がこちらに通うとなると口出しするかもしれませんね・・・。月姫、おばあさまは本当にいい方だから心配しなくていいですよ。きっと可愛がってくださる。私も実はおばあ様っ子なのですから・・・。」
今まで見たことがない頭中将の姿に、皇后は微笑んだ。


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