いわんや悪人をや
『歎異抄』の有名な一文の一部。”善人が極楽に行けるのなら、悪人はなおのことだ”みたいな意味らしいのだが、この文に出会った高校生の頃から今まで意味がわからなかった。それが最近になって、「悪人」というのは「自分が悪を働いていることを自覚している人」らしいことがわかり、ようやく納得できた。納得できてみると、”自分は罪を犯していません”と善人ぶってる人より、”自分はなんて罪深いんだ”と思っている悪人のほうが、よほどその人生において実りが多い気がするのは私だけか?世の中には、自分の課題を直視せず、その未解決なゆえの不快な感情を、無意識的に他人を利用して解消するような人間がいる。そういう人は、まさか自分の思考回路に問題があるとは思ってない(思いたくない)が、そのとばっちりを受けている他人は、早晩その人に嫌悪感を抱くことになる。私が今、職場で忌み嫌っている「仕事ができない彼女」がその典型だ。よくよく観察してみれば、彼女は境界知能(ぎりぎり知的障害)の可能性が高く、それがゆえの問題行動だと言える部分もあるが、人を不快にさせておくのを見て見ぬ振りができない私が今、信条としているのは仏の顔も三度その根性、叩き直してやる。そんな決意をしていた折、ホールのバイトの女の子が、「〇〇さん(←私)、あいつ(←仕事ができない彼女)に”勝手に人の会話に入ってくるな”って言ったんですって?」と言ってきたので、「だってイラっとくるじゃん。みんなよく気にならないなと思って・・・」と言うと「いや気になりますよ!!でも、なかなか本人に言うってできないじゃないですか。でも、〇〇さんてすごい真面目なのかと思ったらめっちゃヤンキーなとこあるんですね(笑)」褒められた。