おかんの日記

2007/01/15(月)05:23

衝撃 その2

ひとりごと(15)

Mさんは静かな声で話し始めた『一昨日、夜にJが交通事故に遭いました。容態は良くありません。今集中治療室に入っています』私は耳を疑ったいや、私だけではなくそこにいるチームのみんながびっくりして言葉も出なかったその後、Mさんが何と言ったかほとんど覚えていないただ覚えているのはJがいま本当に危険な状態で必死で戦ってるということだけ全身から力が抜けて何も考えられられなくなり、気がつけばJのことばかり考えていた 私は3歳ぐらいの頃から彼を見てきた当時同じ団地に住んでいて家が近く、仲良くしてもらっていた彼の母とは一緒にテニスをしたり卓球をしたりキャンプにも一緒に行ったりしたバレーには最初私が近所の人に誘われて行ってたのだが、行き始めてしばらくしてJの母が来るようになり、そのうちJの姉、Jも4年生ぐらいから来るようになった中学・高校と野球に打ち込んでいたJはクラブが忙しかったので、ほとんどバレーの練習には参加できなかったが、引退後は毎週毎週参加するようになったそしてその年の初め、私と同じチームになり一生懸命練習してきて2月・3月には一緒に試合にも出た練習熱心で研究熱心な彼はどんどん上手くなっていった 強いチーム相手に、一生懸命練習してきたCクイックが決まった時にはものすごく嬉しかったいつもニコニコと笑顔を絶やさず、明るくてスポーツマンのJが何で!?こんな事がぐるぐる頭の中を渦巻いて、あまりのショックに私はしばらくの間、うつ状態のようになってしまったそんな精神状態のときにあの福知山線の脱線事故が起こったのだテレビに映る事故現場のあまりの凄惨な状態に、さらに気分が落ち込んだバレーをする気力も全く無くなったでも、私たちが練習をしなくなってもJの容態が良くなるわけではないむしろ頑張って練習した方が、Jが元気なるような気がしてJの分まで頑張ったきっとその時チームのみんなも同じ気持ちだったと思う その事故が起こらなければ1週間後にはJとは同じチームで試合に出るはずだった近県だけでなく岐阜や岡山、広島など遠くからも参加がある大きな交流大会参加チームも百何十という数が参加する大会だこの大会に出てひとつでも多く勝つ為、結構頑張って練習してきたが、彼が出れなくなり私のチームはメンバーも足りず、しかもこんな大変な時に試合に出る気持ちにはなれなかった代表に『試合どうする?』と相談されたが、チームのみんなと即不参加を決め『申し訳ありません。急で先方(主催者のチームの方)には悪いんですがこんな時ですのでバレーする気持ちにもなれませんし、お断りしていただけませんか?』とお願いした代表も『そりゃそうやなぁ、わかった。断りの連絡入れときます』と言ってくれたところが。。。 。。。続く。。。

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