2022/08/14(日)11:50
海軍「善玉」 真相は?
今年も8月6日(広島)、9日(長崎)が過ぎ、もうすぐ8月15日の終戦記念日を迎えます。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
上記は、名将で誉れ高い海軍大将 山本五十六 の有名な格言です。
私は山本五十六については、あまり詳しくは知りません。
ただ、以前から腑に落ちないことはありました。
山本五十六は連合艦隊司令長官として周囲の反対を押し切り、真珠湾攻撃を敢行しています。
※一般的にはアメリカとの開戦には反対していたとも言われていますが。
それは非常に中途半端な攻撃に終わった(終わらした)わけですが、ミッドウェー海戦では数的に優位であったにもかかわらず、致命的な敗戦を期しています。
その氏が何故名将として未だに称えられているのか。
もし本当にアメリカに脅威を与えた軍人であったら、戦後GHQからも危険視され、今の英雄視されている風潮を許さないと思うわけです。
もしかしたらアメリカ(の背後にいる国際金融資本)が有利になるように動いたとしたら・・・。
当時のアメリカの国内事情は、とても参戦する風潮ではなかったと聞いています。
戦略的に意味のない真珠湾攻撃をしなければ、いくらアメリカのルーズベルト大統領が参戦したくとも出来なかったと言われています。
最近、歴史家の林千勝さんが「日本は定石通りにやっていれば戦争に勝っていた」とお話されているのを聞きました。これはアメリカのスティムソン陸軍長官の言葉らしいです。
定石通りとは簡単に説明すると、アメリカを無視して東南アジアからインドにかけて抑えることです。
東南アジアには日本が欲しかった資源もあったわけで、イギリスのみを叩けば良かったんです。
実際、日本はイギリスを圧倒してましたから。
そして有名な話ですが、真珠湾攻撃を知った当時のチャーチル英首相は小躍りして喜んだとか。
これで勝てると。
英雄・山本五十六は戦死したわけですが、その一方で生存説も根強くあります。
果たしてその真相はどこにあるのでしょうか。
私は、再び日本が戦争に巻き込まれないためにも、「戦争」というだけで目を背けるのではなく、明治維新以後の世界の戦争の歴史(真相)を学ぶ必要があると感じます。
真相といえば、数年前から原爆地上起爆説が注目を集めつつありますね。
私も最初はトンデモ論と捉えていましたが、以下を知れば知るほど考えざるを得なくなりました。
〇当時は日本も原爆を研究し、起爆技術を有していたのは日本だけであったこと
〇そして空中起爆の技術は当時はどの国も有していなかったこと
〇昭和20年8月6日、その時B29(エノラ・ゲイ)は広島上空を飛行していなかったこと
〇それからあくまで都市伝説の範疇ですが、原爆の特許を「ある人物」が持っていたとか etc
第343海軍航空隊少尉・本田稔氏(当時22歳)は昭和20年8月6日午前7時45分、戦闘機「紫電改」で姫路を出発し長崎へ向かって飛行していた際、広島上空で爆風に襲われたそうです。
あと数秒遅ければ、本田さんも助からなかったと述べられていましたが、同氏は当時B29は飛行していなかったこと、爆発は地上からだったと感じたと同じ動画内で話されていました。うまく検索すれば動画を確認できるかもしれません。
流石にこの地上起爆説は「陰謀論」であって欲しいと願いますが、1975年の「ある人物」の記者会見の動画を見てしまうと、何かが引っかかってしまいます。