おぢさんの覚え書き

2015/04/18(土)23:43

名前の不思議-(4)

『命名』という言葉があります。「名をつけること」という意味ですが何故『命』という字が使われるのでしょうか。 漢和辞典の『命』の解説の一つには以下のようになっています。 天からの使命。 いのち。天から授かった生きる定め。のち広く、生命。『命』という字は、会意文字で「あつめるしるし+人+口」が合わさって、人を集めて口で意向を伝えるさまを表しているといいます。そこから神や君主が意向を表明することや命令の意味が派生してきたと言われます。漢字博士として有名な白川静氏は『命』という文字の成り立ちについて上記とは異なり、以下のように解釈しています。  自然的生のなかでは、生きることの意味は問われていない。その意味を問うものは命にほかならない。命ははじめ令(3)とかかれた。令冠を著けたひとが跪いて、しずかに神の啓示を受けている。おそらく聖職のものであろう。その啓示は、神がその人を通じて実現を求めるところの、神意であった。のちには≪サイ≫をそえるが、その祈りに対して与えられる神意が命(4)である。生きることの意味はこの命を自覚することによって与えられる。いわゆる天命である。『論語』に「命を知らずんば、以って君子たることなきなり」というのはその意である。当為として与えられたもの、それへの自覚と献身は、その字の形象のうちにすでに存するものであった。白川 静『漢字百話』 p.72 天から使命を与えられているとする「受命思想」は元々は王が天から命を受けて国家を統治するという中国の思想ですが、この思想によって『命』に「名づける」という意味が生じてくるのは自然な流れだと思います。なぜなら天命こそがその者の存在意義であり、その与えられた役割でその者を呼ぶのが名付けの本来の姿だからです。 受命思想は非常に古くから日本に浸透していました。たとえば古事記には末尾が・・・命(みこと)という神や人の名が多く登場します。命は御言であると言われてます。日本書紀では、至って尊いお方には「尊」、それ以外には「命」と使い分けています。つまり、命はより上位の神から御言(使命)を受けてそれを名前としていると考えられるわけです。また江戸時代の儒者、荻生徂徠も次のように考えていました。「心」は「命」という形で「天」から降るものであり。一個の人間を超えた大きな存在である。したがって、この心に到達することは人間にはできない。なぜ草木が花咲き実り、水が流れ、山がそばだち、鳥が飛び、獣が走り、人がふるまい、もの言うのかすら、そのからくりはわからないのである(『徂徠先生問答書』)。末尾に「命」とつけないとしても、日本人は生涯をかけて果たすべき使命を名前としてきたということでしょう。 つづく 

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