カテゴリ:歴史/考古学/毛人
前回まで 『神川町誌』に「神流川語源」という節があり「神流川」の語源について多くの説が取り上げられている。(1)~(5)迄伝説的な由来を紹介した後、やや学究的な説として以下があげられている。 (6) 原始的製鉄法による鉄穴(カンナ)で砂鉄と木炭とを交互に粘土製の炉に入れて焙焼する法。「かんな」川の流域は製炭用の原木に満ちているので、この名があるのであろう。(多野藤岡地方誌-滝沢精一郎) と歴史的論証をあげ言語学上の転訛説を唱えている人も多く語源については種々様々である。 p.11 どの説ももっともらしいが、決め手に欠けているようだ。 加美郡の表記は六国史の一つの『続日本後紀』や大東急記念文庫本の『和名類聚抄』では加美郡、『延喜式』民部や高山寺本と名古屋市立博物館本の『倭名類聚抄』では賀美郡と記されている。 p.178 前回『延喜式』(927)が「賀美」の初見と書いたが、『続日本後紀』巻九承和七年(840)十二月条に「武藏國加美郡」が見え、『続日本後紀』が成立した869年が文献での「加美」の初見だった。さらに上記の通り武蔵国分寺跡の瓦によって787年には「加美」と表記されていたことが分かる。 となると上代特殊仮名遣いからも「加美(賀美)」は「神」ではなく「上」「髪」であるという可能性が高くなる。『上里町誌 通史編 上巻』にはさらにこんな記述もあった。 全国的に上・中・下がついている郡名をあたってみると、どうやら、ある地域を分割すると、上(かみ)・下(しも)あるいは上・中(なか)・下の郡となるようである。つまり、武蔵国加美郡も上郡のことであり、那珂(中)郡に対応しており、下郡は認められないが、政治的意図をもった地域再編の結果と見られる。 p.183 また『神川町誌』ではその名称は上毛野国にもっとも近い郡が、賀美郡となり次に次に児玉郡・那珂郡となったのであるから、当然「下」にあたる郡があってよいのだが、現在は不明である。 p.372 どうやら「賀美(加美)」は「上」であって「神」では無いようだ。
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Last updated
2015.07.18 22:27:54
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