おぢさんの覚え書き

2019/05/11(土)16:25

80年前より―その53(『近きより』をなぞる)今も昔も変わらぬ日本

近代(63)

今から80年前、1939年5月11日、満洲国とモンゴルの国境で衝突が起きた。これがノモンハン戦争の発端だった。5月15日には日本の軽爆撃機がモンゴル領内のモンゴルの国境警備隊に空襲を加えた。5月28日にはハルハ河東岸のソ連側陣地に攻撃を仕掛け、双方約2千の兵力が激突し、この戦闘で日本側は東支隊約200名が戦死したほか、山県支隊も159名の死者、119名の負傷者を出し、ソ連側も死者138名、負傷者198名を出している。このほか満・蒙国軍も多数の死傷者を出したと思われる。 当時の新聞を見ると、毎日のごとく日中戦争の戦果を報じ、重慶政府の終わりも近いような希望的記事も出ている。ところが中国大陸は無限の空間なのか、どれだけ勝ちを収めても日中戦争は実際には終わらなかった。新聞を読んでいても世界は理解不能だ。 我々は現代の世界をどれだけ理解できるのか。日中戦争を戦っていた80年前の世界を理解できるのか。山本夏彦氏によれば、「戦前のまっ暗史観」は左翼の嘘だそうだ。たしかに、戦前の日本を別世界として連続性を否定してしまうと、戦前の日本を想像することも難しくなるし、事実からほど遠くなる。 「戦前のまっ暗史観」といって昭和六年の満州事変から敗戦までの十五年まっ暗だったというのは左翼の言いふらしたウソである。なるほど社会主義者とそのシンパは、特高に監視されてまっ暗だったろう。けれどもそれは一億国民のなかの千人か五千人である。満州事変はこれで好景気になると国民は期待し歓迎したのである。はたして軍需景気で失業者は激減した。まっ暗なのは昭和十九年第一回の空襲からの一年である。飢えかつえたというが、都民は近県に買出しに行ったのである。農家は十分に食べてなお売るべき米を持っていたのである。ウガンダの母子のように、真に餓死に瀕したものは一人もいなかったといくら言っても食いものの恨みは恐ろしい、私はマクロの話をしているのに読者はミクロの話を持ち出して激怒するのである。戦前という時代を再現するには断続して何回か何十回か言わなければならない。 p.152-153 山本夏彦『世は〆切』 山本氏もまっ暗と認める最後の一年でさえ、戦争はどこ吹く風で別世界での出来事というような場所も少なくはなかった。 福井市から、北陸本線で駅二つ目の春江町は、まったくの別世界。戦争は、なにより紡織機供出という形で、住人に襲いかかったが、以後、若者の出征を除けば、《中略》生命辛々、西宮から辿りついたぼくは、とりあえず、女がもんぺをはかず、老人浴衣がけ、道に壕はなく、なにしろ、つけっ放しのラジオから洩れる音は、遠い地域の警報を伝えるが、町をゆるがすサイレンの音がない、聞けば、敵機の機影を誰も目にしていない。《中略》春江の、低く貧しい家並みは、やはりやさしい。戦争などどこでやっているのかといわんばかりの、老人、女子供、本来なら、すでに国民義勇兵法施行され、彼らの多くも竹槍刺突訓練のはず、いっさいうかがえぬ。そもそも防火用具がない。 p.23-25 野坂昭如『終戦日記を読む』 日中戦争、太平洋戦争は巨大な戦争だった。場所により、人により状況も変わってくる。東日本大震災が、体験した人間の数だけの多様な東日本大震災であったのと同じように、個人的な多様な戦争観が生まれる。山本氏の言うようにマクロ的な抽象か、あるいはミクロ的な体験でも何十となく搔き集めるしかない。相矛盾するような内容も、嘘ではなく、そう見えたということが多いのだろう。そうやって当時の情報を飲み込んでいくと、当時の風潮(その一部かもしれないが)が見えてきて、自分が80年前にいるような感覚になってくる。 「一日戦死」のスローガン、縁起でもない、まるで敗戦予想の稽古みたいな、民衆のサイコロジーのわからぬ連中のやること概ねかくの如し。政治の貧困の一例。 p.170 昭和14(1939)年「四、近々抄」『近きより2』第三巻第七号<八月号>大陸紀行号 その三 戦死した(国家に利用されて殺された)人間を英雄に祭り上げ、英雄になりたいという馬鹿どもを煽った張本人が兵役を逃れ安全なところに身を置いていた。当時の新聞を見ると戦死者をひたすら称賛、神格化する記事が並ぶ。またぞろ、そういう空気が日本に復活してきている。 本当かうそか、軍部の意向というものはよく聞くが、国民の意向というものはよく聞かない。軍部の責任は重大である。 p.171 昭和14(1939)年「四、近々抄」『近きより2』第三巻第七号<八月号>大陸紀行号 その三 軍部に対する警戒心を持たず、軍部の容喙を容認してきた国民の自業自得といえばそれまでだ。そもそも、主権者としての意識が国民に皆無なのは戦前戦後の連続性といえるだろう。 己も苦しんだのだから、お前も苦しめ、己も撲られたんだから、てめいも撲る、というような根性は日本を世界的に高めていく心理状態ではない。 p.173 昭和14(1939)年「四、近々抄」『近きより2』第三巻第七号<八月号>大陸紀行号 その三​ 大学出だというと殴られる。新兵が部隊に配属されるとまず殴られる。これぞまさしく日本文化だと感じる人も少なくないはずだ。あからさまな暴力は少しは減ったのか、陰に隠れて陰湿化したのか知らないが、根性は昔も今も変わらない。 ​断髪令、パーマネント禁止令、いよいよ学校長に通達さる。 p.176 昭和14(1939)年「四、近々抄」『近きより2』第三巻第七号<八月号>大陸紀行号 その三​ 禁止、統制、配給。当時の新聞でよく見かける言葉だ。弱い敵と見縊っていた中国と戦っているのに戦時体制。戦前は真っ暗ではないにしても、暗雲立ち込める時代というのが公平だろう。 にほんブログ村

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