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おぢさんの覚え書き

2019.10.12
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カテゴリ:近代
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前回​『君たちはどう生きるか』の甘ったるいヒューマニズムにやや嫌気が差したことを話した。それにもかかわらず、吉野源三郎氏の『人間を信じる』というさらにヤバそうな題名の集成本の「ヒューマニズムについて」という文章を何故か読んでしまった。この文章の主題は「人間は信頼できるか」ということだ。そこで読者は意外なことに、あの人を信じ切った甘ったるい作品を書いた吉野氏の深刻な人間不信を見出す。『君たちはどう生きるか』しか読まなければおぢさんは吉野氏に不信感を抱き続けたままだったが、その不信感は吹き飛んだ。吉野氏の人間不信はおぢさんのものよりも深かった。おぢさんは楽観的に、ざっくり人間は51%信頼できると考えて、それで良しとしていた。この点では吉野氏は全く違うようだ。

これは数の問題ではありません。多数決できまるような問題ではありません。人間の数多くの行為の中から、明るいものと暗いものとをひろいあげ、それを貸借対照表のように両側にならべておいて、その決算をやってみても、それでこの問題の答えを見つけることはできないのです。
p.18 吉野源三郎「ヒューマニズムについて」『人間を信じる』(岩波現代文庫版)

人間はどういうものなのか、ということが問題だとすると、善人も悪人も共に人間であって、しかもここでは、悪人が善人をしめ殺しているのです。そればかりではありません。この問題にかけては、かりに善良な人間が百人のうち六十人を占め、悪い人間のほうは四十人だとしても、――いや、善良な人間がもっと多く、圧倒的な多数を占めたとしても、少なくとも少数の悪人があるというだけで、すでに「人間はみんないい人だ」などという甘い人間観はなり立たなくなるのです。
p.17 吉野源三郎「ヒューマニズムについて」『人間を信じる』(岩波現代文庫版)

吉野氏の場合、特にことわりはないが、善人は信頼でき、悪人は信頼できないということが前提されている。しかしネオファシストは善人は信頼せず、むしろ悪人を信頼する。ネオファシストは平和ボケの平和主義者は悪人ではないかも知れないが、お人好しすぎて信頼できない。彼らに任せたら間違いなく国は亡ぶと考える。平和主義者はネオファシストはバカではないかも知れないが、凶悪すぎて信頼できない。彼らに任せたら、殺し合いの世の中になると考える。お互いに自分たちは信頼でき、もう一方は信頼できないと考えている。このような根本的な価値観の相違があるが、信頼できる人間と、信頼できない人間がいるということに関しては一致している。われらが正木ひろしも次のように述べている。

 人を信ずる事はそれ自体が善いことで、人を疑う事はそれ自体が既に悪いことのような感覚を植えつけられている善良なる人々は、たやすく人に欺かれて不幸な目に遭うものである。信ずべきを信じ、疑うべきを疑うことが正しいという教育を小学校時代からしなければ、現代の日本には生息できないであろう。
p.265 昭和14(1939)年「近々抄」『近きより2』第3巻第10号<11・2月号>​

人間の本性は吉野氏のいうとおり数の問題ではないかも知れないが、多数決で決めざるをえないことも少なくない民主主義が信頼できるものとなるためには、どうしても信頼できる人間の数こそ問題となる。基本的に人をあまり信頼しないネオファシストが民主主義を信頼するのは難しいのではないか。ネオファシストは民主主義を悪用するか、破壊しようとする。どんな人間を信頼できると考えるかは見方が分かれるが、このお人好しと悪人の勢力図は意外と変動するのではないか。日和見人間がこの変動を増幅する。

80年前、ファシストの勢力が枢軸国で頂点に達し、自由主義者は潜伏を余儀なくされた。5年後、ファシズムは崩壊し、自由主義が息を吹き返した。現在のネオファシスムの隆盛も今が頂点である。アメリカのトランプ、イギリスのボリス・ジョンソン、中国の習近平、日本の安倍晋三。既に若干の陰りさえ見える。彼らあるいはその後継勢力も5年後には大半が崩壊しているだろう。

話を戻そう。吉野氏は人間の本性がこういうものであると証明するようなことは無理だし、それでは自由な人間らしさが無くなってしまうという。

人間がどんな醜いことをしたにしても、また、どんなすばらしい事業をやったにしても、それはそうせざるを得ないように人間以上のものからあらかじめきめられていたからであって、彼には、それ以外に選択の余地がなかったからだ、ということになってしまいます。どんな悪事も彼の責任ではなく、どんな善事も彼の功にはならないのです。人間はただ神の手で動かされてゆく将棋の駒のようなものになり、人間の人間らしい自由は、どこかにいってしまうのです。
p.38 吉野源三郎「ヒューマニズムについて」『人間を信じる』(岩波現代文庫版)

ここが、吉野氏に共感できない根本となる部分だ。人間とはまさに神の手で動かされてゆく将棋の駒そのものである。ユヴァル・ノア・ハラリ氏が『ホモ・デウス』で熱心に説く、自由主義の権威を失墜させる自由意志の無さだ。吉野氏は自由意志こそ自由の権威の源泉であると認める点でユヴァル氏と同族である。

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しかしながら、多くの自由主義者は自由意志の存在など全く想定していない。自由主義者はユヴァル氏がまったく重視しない「人間が内なる欲望に従って行動できる」という、まさにそのことに自由の価値を見出している。自由意志と自由への渇望はレイヤが違う。吉野氏が避けたがっている結論、悪事も善事も彼の責任ではない。というのがこの世界の現実であり、悪人を処罰するというのは論理的には無茶苦茶な話で、便宜上死刑になってもらうに過ぎない。安倍晋三支持者である責任は彼自身には無いし、平和ボケの責任も彼自身にはない。責任は大日如来にある。

吉野氏は人間は悪魔と天使の可能性(そんなものは実際にはない)を持った存在であるとして、人間の本性を考えることを止めてしまい、「人間を信頼するか、どうか。」という問いは、決意による選択の問題、という結論に達してしまうのである。

この世界に対して、自分の意志をもって関与していこう(恐らく変えていこう)という態度は吉野氏の特性なのだろう。その点は大いに好感が持てた。しかし、おぢさんとしては自由意志の無い我々には本性があり、そしてその本性は集団としてうねるように変動する。おそらく戦争・恐慌・災害などで引き起こされる、その大衆変動が解明すべきもののように思われた。

さてと、80年前に戻るか。

▶北支派遣……岡野秀夫氏より『久シ振ニ「近きより」ヲ見マシタ。相変ラズ心臓ノ強イコトヲ言イ、理想ニ燃エテ居ラレル姿ヲ思イ出シテ北支ノ一角カラ一筆呈上シマス。斯ク言ウ小生実ハ直接私用デ会ッタリ話シタリシタコトハ一度モアリマセンガ、本年五月半バ迄東京民事地方裁判所ニ居リマシタノデ、毎月無償デ彼ノ小ッポケナ雑誌ヲ送ッテ貰ッテ居リマシタ。今デハ山東省ノ○○ニ一軍属トシテ兵隊ト寝起ヲ共ニシテ居リマス。ソシテ新東亜建設ノ大進軍譜ヲ直接拝聴シテ居ルノデス。東京デ下ッ端官吏トシテ惨メナ生活ヲシテ居ル時ハ、先生ノ言葉モ行動モ(キビキビシタ様)モ実ニ気持チヨク受ケ入レタモノデシタ。トコロガ此ノ二、三ヶ月ノ集団生活デ都会ノ泣虫小僧ノ駄々トシカ聞エナクナリマシタ。御免、』
p.252 昭和14(1939)年「誌友だより」『近きより2』第3巻第9号<10月号>

このたよりには正木氏からの返信もある。それにしても「新東亜建設ノ大進軍譜」という表現、北朝鮮の国営放送を彷彿とさせる。それはどうでも良いとして、右派的な人と左派的な人がいて、どちらつかずの人がいる。経済重視の人がいて、軍事重視の人がいて、どちらつかずの人がいる。国粋的な人がいて、国際的な人がいて、どちらつかずの人がいる。多くの変数の混合の様々な人間がいて、互いをバカにしながら議論しているこの日本とこの世界は本当に変わっていない。現代のネトウヨは80年前に瓜二つの兄弟を見出す、アナキストのおぢさんも80年前のそこかしこに自分を代弁する言葉を見出す。そういう世の中全体はそうそう一気には変わらないが、学校・会社・軍隊という集団生活の場は、大衆の思想を変えるには都合がよい場所だ。何らかのきっかけで一つの方向に大衆の思考が傾き、それが正のフィードバックを持っているとしたらどうなるのだろう。

▷世界は子供の喧嘩のように変転極まりなく、低級な論理、意地悪、不信、手前勝手等あらゆる非文明な妄想にとりつかれて、のたうち回っています。
p.258 昭和14(1939)年「編集後記」『近きより2』第3巻第9号<10月号>

まるで、ネオファシストが跋扈する現代世界を形容しているようだが、80年前も帝国主義国は哀れな劣等人種を保護すると称して植民地政策を正当化して独立運動を弾圧した。新興帝国主義国は自存自衛のためと称して領土獲得に乗り出していた。低級な論理だ。

信頼できない人間は避けることもできるが、信頼できない大衆を避けることは難しい。







Last updated  2019.10.12 09:48:59
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Re:80年前より―その60(『近きより』をなぞる)あなたは人間を信じますか?(10/12)   fujiwara26 さん
こんばんは♪

「現在のネオファシスムの隆盛も今が頂点である。アメリカのトランプ、イギリスのボリス・ジョンソン、中国の習近平、日本の安倍晋三。既に若干の陰りさえ見える。彼らあるいはその後継勢力も5年後には大半が崩壊しているだろう。」
「まるで、ネオファシストが跋扈する現代世界を形容しているようだが、80年前も帝国主義国は哀れな劣等人種を保護すると称して植民地政策を正当化して独立運動を弾圧した。新興帝国主義国は自存自衛のためと称して領土獲得に乗り出していた。低級な論理だ。

信頼できない人間は避けることもできるが、信頼できない大衆を避けることは難しい。」

とても勉強になります。人間及び人間社会の本質とは――。
単純な私見ですが、人間の善悪の本質は「自己愛」にあるのではないだろうか、とも思っています。この範疇には「思想・権力・他者抑圧・自利など」が含まれていますが。

(2019.10.12 00:53:15)

Re[1]:80年前より―その60(『近きより』をなぞる)あなたは人間を信じますか?(10/12)   narcisse7 さん
fujiwara26さんへ

お早ようございます。単純な卓見ありがとうございます。個人主義と利己主義、自分の権利を大切にするからこそ、他人の権利も大切にするかどうか。小さな違いなようで大違いです。利己的な人間が選んだ利己的な政治家による政治、自己愛を国家を通じて満足させようとする人間、大衆は確かに悪の面を持っていてそれは波のように襲ってくる自然現象であると思いますが、その被害を最小限に抑えるのが我々にできることなのかもしれません。台風19号と同じように自然現象は神であり人間ができることには限りがあります。今回の波も80年前と同じように砕け散る運命と感じますので、今では希望を持っています。途中の事故は心配ですが。。。 (2019.10.12 10:20:44)

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