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おぢさんの覚え書き

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至言

2015.03.29
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カテゴリ:至言
Why do you see the speck that is in your brother’s eye,
but don’t consider the beam that is in your own eye?
 
なぜあなたは,兄弟の目の中にあるちりは見えるのに,
自分の目の中にある丸太のことを考えないのか。
『マタイによる福音』7:3
 
すべてのことを偏見無く判断できれば、今より余程まともな判断を下すことができるだろう。さらに以下のように続いている。
 
You hypocrite, first take the plank out of your own eye,
and then you will see clearly to remove the speck from your brother's eye.
 
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
『マタイによる福音』7:5
 
至言だ。全く偏見が無ければ他人をも説得できる明確な論理を見出せるだろう。
しかし人間にはこれはほぼ不可能な注文ではないだろうか?われわれが物事を認識したときには既に「好き」、「嫌い」はもちろんその他の判断もなされている。という話を何かの本で読んだことがある。どれだけ科学的に確かめられているのかは知らないが本当ではないかと思っている。われわれは過去の限られた経験で出来上がっているので、単純化すると 認識=偏見 である。 
わたしのような凡人は偏見を持たないように心がけるよりも、自分の偏見の傾向、偏見の元になりやすい自分の立場を自覚するのがせいぜいだろう。






Last updated  2015.03.29 10:18:40
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2014.11.16
カテゴリ:至言
「人間は、百パーセント善人であることもできず、かといって百パーセント悪人であることもできない。だからこそ、しばしば中途半端なことをしてしまい、破滅につながることになるのだ。」
ディスコルシ(政略論)』 

イタリア、フィレンツェのルネサンス期の思想家マキャベリ Niccolò Machiavelli(1469-1527)の言葉。他にも数々の名言を残している。
これは至言だと思う。
100%の善人にも100%の悪人にもお目にかかったことはないが(そう疑いたくなる人物は結構いる)想像して思い浮かぶのはどちらも異常な人格だ。どちらであれ極度に偏ってしまっては生きていくのが難しくなってしまうということだろう。
人に対してこいつはどうしようもない悪人だと頭にくることがあっても、この言葉を思い出したりする。そして奴にも善人の部分があるのだろうなと思ったりする。

 







Last updated  2014.12.11 22:05:52
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