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もう義父は終末医療に入り、
いつ何時何があるかわからないところまできたので、 区切りの意味でも書こうと思いました。 最近知ったことがたくさんあります。 息子は過去を振り返りました。 一度危篤に陥って 老人ホームから病院に運ばれたときに 久しぶりに息子は義父と会って一言。 「顔がいい顔になったじゃん。 昔は悪人顔していたのに。」 息子はとっくに社会人でもうすでに 家庭も持っています。 常識ももう持っています。 娘とも最近昔の話をする機会がありました。 子供たちは今もそうですが 義父に対していい思い出がまったくなく むしろ悪い思いでしかないそうで まったく会いたがらないのです。 毎日家にやってきて 私が勉強を教えますと言って 子供たちを自分の思い通りにしようとして ここから私の戦いが始まったのですが 実は 小学校の問題でさえ、 息子がそれを学校へ持っていくと 答えが全部間違っていたそうです。 それは数日前に私の母から来ました。 あまりの義父の暴挙に 息子は切れて 反撃をした時があったそうです。 娘から聞きました。 それを主人にチクったと 娘にいったらしいです。 チクルなんてきったねえって。 ・・・ずっと思っていたのです。 自分勝手に東京の 事業を起こすからと私たちに借金させてまで 始めたのに とっととやめて 自分の年金を全部自分の遊びに使いたいからと 食事は毎日我が家へやってきて食べて その理由として毎日家庭教師をし、 さらに孫を自分の思い通りにしようという思惑。 なのに なんでストレスからくる 病気を二度もやって 入院手術したのかと。 やっとその理由はわかりました。 私はずっと 義父の悪事の数々と戦ってきました。 施設に入ってからも出るまで ずっとケアマネジャーと連絡を取り 入院した時も 常に私ひとりでやってきました。 子供たちは大人になり、 当時を振り返ったとき、 悪事の数々は最終的には 本人に返ってくること。 今は何にもわからず ただご飯を本能的に食べて 暮らすだけの終末に せめて ちょっとだけでも 自分のやってきた悪事の数々を 清算して旅立ってほしいという気持ちだけです。 子供たちにはかわいそうなことをしました。 自分の孫は所有物ではないし、 大きくなると 思い通りにはいかないよと、 子供たちはきっちりと 義父に教えていたのですね。 義父のことを書くのはこれが最後となるでしょう。 私もその日が来たとしても 淡々と 事務的に事を終わらせるだけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.05 08:32:10
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