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カテゴリ:仏教
常不軽菩薩と一切衆生憙見菩薩は、勇猛と精進に関してその修行の順序がほぼ逆だったことがわかってきたようですね。
それはやはり両者の個性の違いがあったのかもしれません。 私は、常不軽即ち釈迦が精進な個性で、一切衆生憙見菩薩即ち薬王菩薩が勇猛な個性なのではではないのかなと思えたりしてきました。 しかし、各々の過去世はまた各々にその逆だったのかなとも思いましたが・・。 ところで、なぜ釈迦の個性が精進かと言いますと、単に人気取りだけでなく、複数の諸佛と同時に上手くやっていけるオールマイティだからです。 そして、釈迦は長い如来の寿命の中で恐らく最終的に見宝塔品で多宝佛と座を分け合いましたが、それは多宝佛も実際は精進な個性であって几帳面な資産家と考えられ、そのため褒美のように得ることができた勇猛な勢いのほうは二人で力を出し合ったり分け合ったと考えられるのです。 また、一切衆生憙見菩薩であった薬王菩薩は、更に元は妙莊嚴王の長子の淨藏だったらしいですが、その頃から数々の波羅蜜を修し多くの三昧も取得しており、なかなかの精進息子だったわけです。 そしてその頃は二子として厳しい修行の相方であって仲良く力を合せて分け合っていたのでしょうね。 そしてさらに二子は精進の為に佛に往詣して仕えることの大切さをとても良く知ったわけです。 つまり私の推理からしますと、この二子は精進のほうを佛に対し力を合わせて分け合ったことになると思います。 しかし、その後、二子或いはそれどころか家族全員がバラバラに別々の佛の所へ仕えていってしまったのです。 このことが一体何故なのか中々疑問だったのですが、どうやら佛への精進とは各々一人ずつすることらしいことがわかってきますね。 それから一切衆生憙見菩薩は恐らく勇猛になることができる現一切色身三昧を精進から得て、たった一人で日月淨明徳佛を供養するつもりで、新たに得た勇猛さを用いることにより自らを火に燈して千二百年が過ぎましたが、佛からは何の反応も起きなかったようですね。 つまり、佛は修行者の勇猛な行動については一切面倒を見ないらしいことがわかってくるようですね。 したがって、一切衆生憙見菩薩はどうして勇猛さを佛供養に用いて、逆に勇猛さで人々のほうへ法華経を説かなかったのか、それが残念な修行だったということになるようです。 どうやら、常不軽も一切衆生憙見も自身の得意とすることの方こそを自身でどう上手く活かすことができるのかを解からないようです。 どうでしょう、仏教とは自身の苦手分野こそ同じような他との調和を心掛け助け合える良さと共に、得意分野に関してはよほど死ぬほどの苦労があり、それを救済してくれるのが佛ということでしょうか? しかしながら、常不軽も一切衆生憙見も結局のところ、勇猛さを一人で発揮してはあまり良い評価は得られなかったようです。 やっぱり、勇猛は誰もの憧れに過ぎず、精進のほうも誰もが苦手ということになるようで、誰もが勇猛こそ得意な者など居なくて、衆生同士が必ず助け合わなければならない定めにあるようです。 やはりこれでやっと、この品の終わりに宿王華菩薩が薬王菩薩と取り組まされる意味がだんだん分かると思います。 ・・・・・なかなか、考えさせられますが、一切衆生憙見菩薩には自ら佛に成ることだと教えているようであり、これぞ知らぬが真の一切衆生憙見菩薩ですね! ⇒ HP本日ブログへ:第8-23日-今故お現に在す-薬王菩薩本事品第二十三-四十二-四十九行/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.23 20:25:17
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