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カテゴリ:生きる
TVでやってるこの話題。
いつもボロボロになる。(歳のせいか涙もろくなったものだ・・・) そう言えば、私の生い立ちも壮絶なものだった。 今でこそ幸せ(?)な生活を送っているが・・・。 私が物心付いた時は、父親はいなかった。 (両親は離婚していた) 炭鉱の小さな町の長屋に暮らしていた。 祖父母・母・姉の5人暮らし。 お風呂は付いてなかったので、銭湯まで歩いて通ったものだ。 この頃のいい思い出は「ポンポン菓子」の爆音を聞いていたことだろうか。 決して買うことは出来ない高嶺の菓子だったので 甘く香ばしい香りと、その爆音を聞くことが楽しくて仕方が無かった。 いつもいつも楽しく見ていると、見るに見かねたのだろう、 母がお金とお米とお砂糖を渡してくれた。 (お米とお砂糖を持っていくとその分安い) ゴミ袋いっぱいに詰まった「ポンポン菓子」には夢も沢山詰まっていた。 場面は変わり、両親がよりを戻すことになり、他県で一緒に暮らす。 そこはとあるラブホテル。 母はそこで住み込みで働くことになり、私達一家は使用人用の小さな部屋で暮らす。 私が幼いこともあり、外で遊ぶことは拒まれた。 場所が場所なので、客に見られると良くないからだ。 まだ就学前で、近くに幼稚園もないこの場所では、TVが唯一の友達だった。 外では遊べない。 仕方のないことだった。 たまに母の手伝いでホテルの部屋の掃除をした。 今考えると、教育上悪いことかもしれない。 だが、母と一緒に過ごせる時間が嬉しかった。 ・・・つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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