(^_^)タイトルが浮かばない
あるひとつのことがらが頭をぐるぐる、頭がクラクラ…するとなにもできない。乙女ごころですなあ…(-_-)。詩はかたちにならない。絵くらい描こう…。ということで日記でも書くことにする。人が生きていく原動力ってなんなのだろう。知人と車に乗っていてふと横のトラックを見ると、信号待ちで運ちゃんが、水筒から温かいお茶をついでいる。あ、あれは奥さんが、あなたはこの頃忙しいから薬草茶を持って行ってネ、とかいって持たせてくれたんだね、と、勝手に物語りを作って言うと、知人が奥さんは夫に早く死んで欲しくて、少しずつヒ素をいれたお茶を飲ませてるのかもよ、と言う。たとえば夫に早く死んで欲しいから薬草茶に少しずつヒ素を入れて、徐々に殺すということ。私にはそんなことはできない、と思う。人を殺すことは悪いこと、というのはあたりまえの大前提として、あえて、なぜ私はそれができないのかな、と考えてみる。世の中にはいろいろな人がいて、罪悪感の欠落した人などは、平気で夫をヒ素で殺して、そのあと新しい恋人や、保険金などを手に入れて生き続けていくだろう。わたしは、かなり罪悪感の強い方で、ほんの少しの罪を犯すことも怖い。大多数の人は、たぶん人を殺したら罪の意識に呪縛されて、生きていくことが難しいだろう。生きる事ができない、つまり、生きる力を失う。それは人殺しである「自分」に耐えられないからではないだろうか。いっぽう、夫殺しをしてそのあと自分の欲望を満たしながら生き続けていける人は、人殺しということが、「自分」像をすこしも汚すことがないのかもしれない。逆に言えば、生きる原動力は、あるべき自分像を持ち続けることができることから生まれるのかな。なんて思ったりした。いっぽう猫のトラちゃんには、こいつにはあるべき「自分」なんてあるはずもないのに、のびのびと生きているのだ。