読書『ダンス・ダンス・ダンス』『羊をめぐる冒険』/村上春樹著
何年かぶりに読み返してみた。前に読んだときにはわからなかったことがすこしわかるようになった気がした。気のせいかも。以下、太字の部分は引用です。引用が多すぎるかな。主人公の「僕」は、妻に去られ、ガール・フレンドたちに去られる。何もかもが彼から失われていく。「僕」は個人主義的だ。個人主義は退屈だ。ベクトルは外ではなく内へ向いているので、社交的でもなく華やかさもない。俗っぽくもない。つまり退屈なのだ。「君の言うとおりかもしれない。僕の人生が退屈なんじゃなくて、僕が退屈な人生を求めてるのかもしれない。でも結果は同じさ。どちらにしても僕は既にそれを手に入れているんだ。みんなは退屈さから逃げだそうとしているけれど、僕は退屈さに入り込もうとしている、まるでラッシュ・アワーを逆方向に行くみたいにさ。だから僕の人生が退屈になったからって文句なんて言わない。女房が逃げ出す程度のものさ」妻は「でも、あなたと一緒にいてももうどこにも行けないのよ」と言った。つまり僕は、自分という行き止まりの中に入り込んでいるからだ。個人主義のせいだ。ひとりのガール・フレンドは「とにかく時々、月にいるみたいに空気が薄くなるのよ、あなたと一緒にいると」「月世界に帰りなさい」と言った。自分の中に入り込んでいると、自分がこの世界にいることを時々忘れてしまうのだ。やはり個人主義のせいだ。すべてに去られた「僕」は、喪失感と孤独の中にある。その中で、誰かが泣く声が聞こえる。だれかが自分のために泣いているのだ、と思う。彼はドルフィン・ホテルの暗闇(それは現実ではあるがこの世界ではない)の中で、羊男に再会する。ここはあんたのための世界だ、と羊男は言う。「ここでのおいらの役目は繋げることだよ。ほら、配電盤みたいにね、いろんなものを繋げるんだよ。」繋がる形にはいろいろとあるのかもしれない。目に見える形、見えない形。「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考え出したら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。」「僕」は踊り続け、繋がるものを見つけることが出来た。だが、この世界は脆く、そして危うい。そしてまだ誰かが僕の為に涙を流していた。僕が泣けないもののために誰かが涙を流しているのだ。そして僕は失われたもののために泣き、まだ失われていないもののために泣いた。