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6月3日に『歴程』の詩の朗読会にでかけたことを日記に書きましたが、その続き。 会場となった場所は、大きなリビングルームのような感じで、床やソファにおもいおもいに座り、 昼下がりに、野村喜和夫という詩人が、おま○こ、とか精液とか、そういった言葉の入った詩を朗読して、お年を召した婦人が、それを素敵ね、と賞賛し、 つまり、なんというのかなあ、そのリビングには、詩を書く人ばかりが集まっていたのだけれど、袴を穿いたおじいさんの詩人や、厚化粧をしてお洒落をしたおばあさんの詩人や、若い詩人、中年の詩人、盲目の詩人、著名な詩人、著名でない詩人、それと私みたいに詩をそんなに書いていない者までが一つの場に居、昼下がりにフォーレターワードを口から吐くことがおばあさまから素敵だと賞賛される場所、というのは、職場・学校とはまったく違う場所、正反対の場所で、とても解放されたような気がした。 わたしのおばあさんは、たとえ詩の中でも、おま○こ、などと私が言ったら、素敵ねとはとても言ってくれない。きっと蔑まれる。 今の私の職場はとてもとてもオカタイ。職場とはそういう場所であるとしても、それでもあんまりだとおもう。 あるいは、詩人は年をとらないのかもしれない。 見る人から見たら、変人の集会にみえるのかもしれないけれどね。 私の中には、そういう視線もある。 49(思想) 対っていいな 睾丸だって卵巣だって みんなそうだもの 思想もふたつ もっておくといい ふたつあればぶつかり合うしぶつかり合えば こわれる そのくらいがちょうどいい 『(刺繍-素晴らしく不穏な)』 野村喜和夫 (『現代詩手帳』(2006年11月号)) より抜粋 それから、高橋順子の朗読は、素敵なお声だなあ~と感じ、 那珂太郎という人は、もう老齢の詩人で、今は詩を書いていないという方。 昔書かれたという、やまとことばの詩を読まれた。 こころ残りは、私はすこし遅れていったので、 第一部を見られなかったこと。 和合亮一の詩は好きなので、朗読をきいてみたかった。 (終) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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