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夏希ヒョウの世界へようこそ

夏希ヒョウの世界へようこそ

2026年07月04日
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カテゴリ:格闘技
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ボクシングの井上王者(4団体王者)はS・バンタム級では無敵とはいえ、フェザーではどうでしょうか?

世界的にステイタスがあるのはフェザー級から。そういう背景もあって全階級のクラスで、一階級で一番差があるのはS・バンタムとフェザー。

昔と違いバンタムのような軽量級でもSNSの影響で試合が公開されるために、強い王者になれば注目され報酬もアップ、さらにPPV(有料放送)の歩合も加算されます。

(現在、彼の試合は民放では観られない)

バンタムクラスで10億円以上の報酬は、以前は考えられなかった。

元々井上王者は、肉体的にフェザーでは小さいと言われています。

ただ、彼は日本ボクシング界・史上最高傑作であることは間違いない。

(それまで日本人の世界王者がPFP=パウンド・フォー・パウンド。全階級の王者が同じ体重と仮定した際、誰が強いのか? で1位に選ばれるなどあり得なかった)

 

英国に「ナジーム・ハメド」(92年4月デビュー、36勝31KO1敗)という名王者がいました。スタイルは前例のない型破り&自由奔放なスタイルで、しかも左右のスイッチ・ヒッター。ノーガードどころか、ダンスをしながらのボクシング。(前例のない非常識スタイルでも、世界の一流王者たちのパンチが当たらないのだから笑うしかない)

WBO世界フェザー級王者として「サイド・ラワル」との初防衛戦では、3発のパンチで3度のダウンを奪い1R・KO勝ち。

そんな彼は、ほとんど減量をしていなかった。しかし、ハメドの指導者で名トレーナーのエマニュエル・スチュワートが「もし、ハメドと※レノックス・ルイスが同階級なら、ハメドのほうがパンチ力は上」

※身長196・リーチ213、全盛期111キロ。44戦41勝(32KO)2敗1分。負けた相手には再戦でKO勝ちしている文字通りのパーフェクト・レコード。タイソンも全盛期ではなかったとはいえ、互角だったのは2Rまで。3R以降は一方的で8R・KO勝ち。

(年齢は1つルイスが上)

この試合は個人的に観たくない。それほどタイソンは酷かった。どうやらタイソンは、ルイスをナメていた。(小泉さん)
「後編」史上最強のヘビー級ボクサーは?(夏希ヒョウ)
で検索してください。(1Pで9千以上のアクセス)

 

「なぜ下のクラスで試合をしないのか?」と、ハメドが記者に聞かれたとき「フェザー級でないと高額マネーを得られない」(ハメド)

当時の彼は4億の報酬だった。
「同級の他の王者の20試合分」(小泉さん)

その後から、軽量級のボクシング王国で「メキシコの英雄」と呼ばれる王者たちが鎬(しのぎ)を削り名声を得て、ラスベガスでパッキャオが彼らと死闘を演じました。

 

以下、パッキャオの変遷……。

95年1月にライト・フライ級(48,99キロ)でプロデビューしたパッキャオは98年12月、WBC世界フライ級王者を戴冠するも99年9月の2度目の防衛戦で3R・KO負け(試合前に、体重超過による王座剥奪)

それから3か月後、(3階級上げて)S・バンタム級のWBCインターナショナル(=準王座)獲得。(5度防衛)

2001年6月、同級のIBF世界王座を獲得。相手は当時、同級最強の王者。

「まさかパッキャオが勝つとは思わなかった」(小泉さん)それから4度防衛。

2003年11月、フェザー級王者でメキシコの英雄で当時・同級最強の「バレラ」を11R・TKOで勝利。(リング上で号泣するも、マイナー団体だったために6階級制覇には入っていない)

ここから彼の異次元の快進撃が始まり、フェザー級のステイタスが、さらにアップ。

パッキャオの最後の雄姿は、S・ウエルター級(69,8キロ)王者のマルガリートを圧倒的な強さでボコボコにして判定勝ちして6階級制覇。(2011年11月)

……以上。

 

78年6月、ラリー・ホームズがケン・ノートンとの王座決定戦で判定勝ちし、それからホームズ時代が到来しました。

しかし、彼は「アリのコピー」と不人気だった。

80年10月、ホームズが老雄のモハメッド・アリを10R終了・TKO。

「関係者は全員逮捕されるべき。これは試合ではない事件だ」と酷評された。勝ったホームズも控室で号泣。

「彼はアリ戦を望んでいなかった」(トレーナー)

そのアリの次戦は81年12月、バービック戦を最後に(アリが)引退。

そんなヘビー級のカオス時代、ボクシング史上初めてヘビー級以外の中量級に注目が集まりました。レナードvsデュランの2試合がプロローグとなって、1981年9月にレナードvsハーンズがウエルター級でスーパー・ファイトを戦いました。二転、三転するシーソー・ゲームの末にレナードが逆転KO勝ち。(ポイントではハーンズが勝っていた)
ボクシング史上屈指の名勝負と言われる伝説、レナードの報酬は1200万ドル=最低保証。(当時1ドル=220~249円、大学初任給が11万円)

レナードvsデュランの初戦はデュランの判定勝ちでパナマ国民は大熱狂、当時の大統領が専用機でデュランを迎え入れました。そして急きょ、この日は(パナマでは)「デュランの日」という祝日になった。(後に廃止)

再戦では、レナードが雪辱してリベンジしました。

その頃でもウエルター級より下のクラスは、ビッグファイトとは蚊帳の外。

それを考えたら、現在は軽量級のボクサーたちにとっても夢のある競技になったと思います。

(ちなみにウエルター級は、ミドル級以下で未だに日本人が奪取していない唯一のクラス)






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最終更新日  2026年07月05日 20時36分22秒
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