元号に関して 浅学ながら
ある年古代史研究家の書籍を取り違えて送付することがあり、古田武彦氏の著作に触れる機会がありました。まず「邪馬台国はなかった」の書籍名から第一印象は正当な学者ではないのかと思われました。修学の四標的一に曰く、正なり。二に曰く、大なり。三に曰く、精なり。四に曰く、深なり。学をなすに当たって人に勝らんと欲するの情の強きは、悪しきことではない。しかし人に勝らんことを欲するの情強きものは、ややもすれば中正を失うの傾きがある。僻書を読むのも正を失って居るのである。奇説に従わんとするのも正を失っている。しかし読んでみますと資料をかなり読み込んでおられ検証も精密に行われています。2年前くらい図書館に氏の著作が揃えられており可なり読んでみました。浅学のため詳しいことは言えませんが。東洋文庫に三国史記があり倭の時代の記録で倭が登場する部分がないものかと思い読みましたがほとんど登場しません。唐と百済(記憶があいまいで確かではないかもしれません)との調停の際倭も同席した。との記述があります。白村江の戦いも中国の記録にも殆ど取り上げられていません。三国史記にも記録がありません。大海戦について記録がないことが不思議で中国にしてみれば大勝利であり人間の習性として書き残す欲望が湧きそうなものです。ないようです。先日世界史の講座を聞いておりましたところ白村江の戦いの後進駐軍が福岡に上陸したと講師が話しておりました。勿論古田氏の著作には何度かに渡り最大一時に4千人程度の進駐軍が上陸したと書いておられます。隋の時代沖縄は隋軍に荒らされ、倭の使者が隋を訪れた際捕虜となっていた人物が顔見知りの者であった為倭が憤慨しトラブルが起きたようです。元号が人々の話題に上がることが増えました。朝日新聞でも珍しく元号の発案者が誰であったのか可なり掘り下げた報道が行われていました。古田氏の著作の中で二重元号の記述があり法隆寺の釈迦三尊後背銘に歴史にない元号が刻まれているとの記載があります。法興元三十一年という年号です。ネットで検索をいたしますと年号の考証されたページがありました。