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NNN@WWW~Natural9Nationの日々書き殴り~

24枚目:RUNDMC

今回はレジェンドDJ、KWHATSが
書いてくれてます。
以下撃チェキで。

**************

一枚のレコード:RUN.D.M.C.

「スターシップ・トゥルーパーズ2」を
見ようと思ったら・・・
監督がポール・バーホーベンじゃないのに
気づいてすっかり見る気が失せた。

最近すっかりリーマン色が強まり、
ワタシがヒップホップDJというのが
最強に薄まったような気がしたので
今日はどっかのヒップホップ日記
よろしくこんなタイトルでいってみよう!!

一枚のレコード

これこそクソ王道。
KING OF モノホン。
基本中のキホン。
なんで今まで出てこなかったんだ?>NNN


RUN.D.M.C.

まぁ~あ~ディダスッ!!
「My Adidas」 Released 1986

と、叫んでたあの頃が懐かしい。
ウルトラスターが欲しかったが売っておらず、
やむなくスーパースターを履いてたあの頃。

1984 Run-DMC で登場
1985 King of Rock と続いた後
1986
rundmc
Raising Hell
で、オレは初めてRUN.D.M.C.と出会った。

ときは80年代、高校生の頃。
ちまたはイカ天&バンドブーム。
回りのヤツはみんなブルーハーツみたいな
バンドばっかり組んでいた。
ブルーハーツはちょっとはイイなと感じていたが、
「たま」とかいうヤツが絶賛される
イカ天時代には違和感しか持てなかった。
そんな時・・・

ヒップホップというものがあるらしい・・・
ラップっていう音楽があるらしい・・・


とウワサに聞こえていた時、
オレ(と後のDJ Q)が
その頃住んでいたザビエル寮
(宣教師ザビエルのありがたい名前を
頂戴した上級生絶対の士農工商世界)
の寮生懇親会で、
カツ入れと呼ばれた下級生イジメには
絶対加担しなかった孤高の存在
マツモト先輩がいきなり魅せたブレイクダンス。
この世にこんなにカッコいいものがあったとわ!!
と愕然としたオレの人生を変えた瞬間に流れていたのは
RUN.D.M.C.「You Be Illin'」

どっとたたたたた・ぢゅぎぎゅぎじゅ・じゅっちっちゅ
ーday when I was chillin'
in Kentucky Fried Chicken Just mindin' my business,
eatin' food and finger lickin' ♪♪
と始まるラップというものに、
すっかりシビれ感電してしまいヤられてしまった。
脳みそをスクラッチされたしまったオレの偏差値は
ここから急降下したのだが、それはまた別のお話。

とにかく、このRUN.D.M.C.がオレの原点だ。
夕焼けニャンニャンのテーマだった、
「Walk This Way」なんて
何百回(何千回まではイカンが)かけたことか?
(秋本康ととんねるずのあの頃の選曲は図抜けていた)
この曲でエアロスミスが復活したと言われているが
オレにとっちゃ知ったことじゃない。
ロックの焼き直しではない、
この曲は完全にヒップホップだ。
ヒップホップがロックを超えたパワーを持つ音楽
であることを高らかに宣言した曲だったと思う。
ロックからヒップホップに入ったんじゃない。
オレという人格はヒップホップから生まれた。

「You Be Illin'」も「Walk This Way」も
クラシック中のクラシックだが、
ぜったいに忘れちゃイカン曲がこの秀作アルバムには存在する。

それが、この 「It's Tricky」だッ!!

It's Tricky to rock a rhyme,
to rock a rhyme that's right on time
It's Tricky...it's Tricky (Tricky) Tricky (Tricky)
It's Tricky to rock a rhyme, to rock a rhyme that's right on time
It's Tricky...Tr-tr-tr-tricky (Tricky) Trrrrrrrrrrricky



ライムを読んでるだけで、
「ティッキーティッキートゥルルルルリッキーッ!!♪」
と叫んでしまいそうになるぜ。

ホントに巧妙なライムだ。
テンポも切れ味も鋭いライムが
Jam Master Jayのロックなビートに乗りまくりだ。
このRUN.D.M.C.から
ヒップホップはオリジナルな文化
となっていったような気がする。

このRUN.D.M.C.から始まったオレのヒップホップ人生は、
これからLL Cool J、Big Daddy Kaneと続き、
De La Soulの登場により始まったニュースクールの時代、
そしてA Tribe Called Questにヤられ、
JAZZ HIPHOP(@GANGSTARR)へと続いた。
86年から95年ナイティナイティファ~イブッ!!だッ。
まさにクラブ「MEDIA」に始まり、
福岡の伝説のレコ屋「TRACKS」
そして「STAND BOP」に
伝説中の伝説「クラブ・ヌーボー」を挟んで
「DUE DUE」へと続いた、
今のオレの人生の基礎を作ってくれた時代だった。

RUN.D.M.C.と出会わなかったなら、今のオレはない。

このKING OF THE HIPHOPである
Run.D.M.C.のDJ、JAM MASTER JAYが
凶弾に倒れ死んでしまった2002年10月30日。
開いた口がしばらく塞がらなかった。

これから!と言う時に
あっさり死んでしまうことの多い
ヒップホップアーティスト
(そう、まるでビギーのように。
アイツはオレの予想ではウィルスミスと
競演することになったであろう俳優になってたハズだ。)
に比べたら、9枚のアルバムを残した彼は
十分に堪能させてくれたかもしれない。

が、そんなベテラン大物アーティストと言えども、
すぐ近くに死の危険がある世界に生きているのか・・・
と愕然とした。
2 PacとBiggy small、Big Lなんかは危ない匂いもあった。
Jam Master Jayはそんな世界からは遠く感じてたのに・・・。
遠く離れた日本からは、
ブルックリンの黒人社会はやはり遠い世界なのかと悲しくなった。

ただ、スキな音楽をコメンツしてるだけなのに、
こんな悲しい思いを思い出してしまう
ヒップホップがやはりスキだ。
Run.D.M.C.には感謝しかない。
これもオレの大好きなDJである
Pete Rockの言葉を借りて今日の日記を締める。

and everyone should always remember
and always respect Run-D.M.C.
because they opened doors."


ドアを開けてくれたのはRun.D.M.C.だった。
それを忘れることは一生ないだろう。


Jam Maste JayにRest In The Peaceだ。



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