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2009.08.15
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テーマ:愛しき人へ(908)
  今年は太宰治の生誕100年、先々月の桜桃忌には特集記事や番組が目立ちました。
小生にも思い出多い作家で、友情の尊さを描いた「走れメロス」は高校時代にあの娘に勧められ読んだ純情があり、故郷への深い愛情と憧憬を綴った「津軽」とか、没落して行く上流階級の人達を書いた「斜陽」は自分の過去に重ねて読み、そして社会や仕事、対人などに適応出来ない自身に挫折を感じたとき、何度も読んだ「人間失格」が記憶に残るからです。
そんなことから今回は、含羞の人「太宰治」にまつわる話題と記念館「斜陽館」のご案内です。
交通案内地図
  太宰治の故郷は青森県津軽半島の金木町(現五所川原市)、そこの生家に斜陽館が設けられています。付近は津軽鉄道ストーブ列車や地吹雪体験ツアーとかで全国的に知られていますが、小生は旧木造町、車力村、小泊村、中里町など毎年冬場に通った仕事場であり、突端の龍飛崎から青函トンネル掘削現場(海抜-273mの地下)へ潜った思い出の地にもなります。
再来年に東北新幹線が青森まで延伸されますが、それでも不便な場所の「斜陽館」です。
太宰治生家の斜陽館正面
映画「斜陽」が上映中、今秋には「ヴイヨンの妻」「パンドラの匣(はこ)」が公開予定です。
  太宰治の本名は津島修治、10人兄弟の下から2番目の六男として生まれています。
太宰の父で大地主六代目津島源衛門(婿養子)が、当時経営中の金融業の店舗を兼ねた住宅を明治40年に建築、敷地約680坪に米蔵までヒバ材を使った一階11室、二階8室、泉水を配した庭園の入母屋造りの大豪邸になります。しかしこの豪邸も戦後になって津島家は手放し、買取った角田氏が旅館「斜陽館」として経営、その後町が買取り記念館「斜陽館」として'98(平成10)年に太宰治関連資料を展示して開館、今では国の重要文化財に指定されています。
斜陽館への入館券
オープン当初に訪問、館内の「叔母の言う」掛け軸(と思う!)の言葉が印象に残ります。
お前は器量が悪いから 愛嬌だけでも良くしなさい
お前は身体が弱いから 心だけでも良くしなさい
お前は嘘が上手いから 行いだけでも良くしなさい
1Fの板の間 2Fの洋間 1Fの蔵
176cmと長身の太宰治、今年一杯フルタイム現役続行の若き小生? と背格が同じです。
  太宰は生家で13才まで過ごし、後は中学(青森)、高校(弘前)、東京帝国大学に進みます。
それにしても芥川龍之介に憧れた太宰の波乱に富んだ人生、凡人小生の理解を越えた生き方です。4度の自殺未遂やハレンチ心中事件(人妻で銀座カフェの女給が絶命する心中、新聞社入社失敗で自殺未遂、内縁の妻との心中未遂と離別、最後が愛人と玉川上水で心中)、実家からの除籍、学費滞納や未出席で大学除籍、薬物中毒、愛人を囲い、多額の借金、賞金500円が欲しかった第一回芥川賞を逃し審査員川端康成との大事件、一寸だけ羨ましい滅茶苦茶人生です。
10kmスリーディーマーチで玉川上水を散策、緩い流と狭い川幅・・・自殺現場は本当なのと!
故郷疎開頃の太宰治(斜陽館パンフレットから) 斜陽館内部の2F階段 故郷疎開時の出筆机
太宰が遺した長女園子氏は、田中・竹下・小渕・橋本派と続く津島派領袖雄二氏の妻です。
見学の時にメモした「鬼千匹・仏千体」、何を意味するのか思い出せません。
  そんな太宰ですが、井伏鱒二が見合い立会いと媒酌人を務めた石原美知子との結婚は、彼女の献身的な努力もあって、故郷での疎開生活を含め7年にも及ぶ平穏な時期もありました。
印象的なのは井伏鱒二宛に書いた結婚誓約書、「結婚は、家庭は、努力であると思います。厳粛な努力であると思います。浮いた気持ちはありません。貧しくても、一生大事に務めます」、本人の正直な気持ちを吐露しているようで心に伝わって来ます。
晩年の憂鬱そうな太宰治 マント姿で等身大の生誕100年記念銅像(朝日新聞から) 中村晋也氏作銅像の原型像
太宰の「桜桃忌」名は、短編小説「桜桃」から。バラ科サクラ属で果実はさくらんぼです。
東京・三鷹市にある太宰の墓所禅林寺、望み通り森鴎外墓の向かい側に埋葬されています。
  妻美知子「こんなに自分のことばかり書いて・・・この人は自分で自分を啄(ついば)んでいる」と書き残します。生涯154点にも及ぶ作品は、自身の人生を投影したものが多く、その最たるものが玉川入水心中自殺する1ヶ月前、全206枚を脱稿した「人間失格」になります。
美知子との平穏な生活でも、今までの親との葛藤、女性関係、自殺・心中未遂、戦争協力などへの罪の意識を拭い去ることは出来ず、再び、破天荒な生活に戻って出筆された人間失格は彼の総仕上げ的な作品、「恥の多い生涯を送って来ました」という名文句に象徴されています。
6月20日に第一回太宰治検定が、五所川原市と晩年を過ごした東京・三鷹市で行われました。
7月号文芸春秋にも、「70点取得で人間失格」が掲載されていますから解いてみて下さい。
次回は特別編、災難ありありの旅になったイタリアポンペイを予定しいてます





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最終更新日  2009.08.15 06:13:31
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