与謝野鉄幹が明治34年に発表した歌詞集<人を恋ふる歌>に、「妻をめとらば才たけて 顔(みめ)うるわしく情けあり・・・」と詩っています。モボ・モガの流行には一寸だけ早いのですが、差別だと非難されようとも明治は歴史的に古き良き時代と感じている小生、才や顔はウ~と唸ることはあっても、情だけはタップリ・・・の家内を、「明治の女」と呼ぶ時があります。
献身、忍耐、勤勉、謙譲、倹約などの気概は、近代日本を支えた精神といわれますが、その一端を受け継いでいると思われる家内、脇目も振らず家を守り、家族に尽くし、確執があっても夫とは添いとげたい・・・と? 今時、骨董品にカビの生えたような生き方を見ているからです。
こんな極め付きの「明治の女」なんて、今では死語・・・でも揶揄する気持ちはありません。
料理、和・洋裁、お茶、生け花、書道、音楽など、一通りの教養や技を身に付け嫁ぐ準備をしていたようですが、こんな稽古事に打ち込めたのは代々を通じ醸成された家格から培われたのではないかと感じています。戊辰戦争で会津攻め総大将となり、維新後は土佐から全国へ自由民権運動を導いた、あの方の長女を嫁に貰い受けた系図が示すように、受け継ぐ土壌は一朝一夕に生み出されるものでは無く、無論、維持するには経済的な裏付けも無くてはなりません。そして稽古事の核心は人を育てる修養の場だったように思われ、社会で生きるための作法や躾、規範、志などを身に付けさせ、鍛えてくれた場だったように感じています。
現代は互助や共助の精神が薄れ、権利は主張するけど義務が欠落して、自由には規律・規則の公意識が伴うことが忘れられ、不寛容で 他人に邪魔されたくない奔放な生き方、こんな身勝手な生き方が蔓延していると感じるからです。便利な時代ですから、たしなみなど無くても生きて行けますし、風潮となれ合う生き方も出来ます。が一方で、困った時だけ都合よく社会に甘えてSOS、貧困や格差社会とは経済力だけでは無い根源に気付かされます。
最後は年寄りの冷や水、ついつい愚痴ってしまいました。
「100万人に1人の宝くじに当たった」・・・と、小生は明治の女に言います。家内は「100万人に1人の無頼な人」を引いてしまったと宣わり、「はずれ」で残念でしたと言い返します。このように家柄も境遇も格差ある組み合わせの夫婦でしたが、47年間も過ぎた今となっては時が融合してくれるのが世の常、人生の最終コーナーを回った残余少なくない今となっては・・・良き伴侶を得たとお互いが納得して、穏やかな日々を過ごすようになって来ました。
皆さまの・・・ご夫婦の歩みは如何ですか・・・笑い。
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最終更新日
2016.07.15 11:14:26
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