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ロマンチック 旅

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旅は楽しく朗らか紀行

2016.11.19
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 九州14日間3,560kmの旅を終えて帰って来ました。家内と孫娘とは宮崎で落ち合い、福岡で分かれた4日間以外はのんきな一人旅、暑いくらいの快晴の日々に恵まれました。

収穫は全国で12か所残る天守閣、その最後の訪問になった備中松山城を尋ねられたことで、急峻な山城を8合目から息を切らせて登ってきました。
 もう一つの目的は神社仏閣巡り、過去に巡った所ばかりでしたが10か所に立ち寄りご朱印をいただいて来ました。その中でも宗像大社(福岡県 天照大神の子供で美人?3姉妹を祀り、海の法隆寺ともいわれる沖ノ島は世界遺産に申請中)に寄って、4番目の孫のお守りを求め、これで孫全員の札を揃えることができました。今回のブログは海幸彦・山幸彦で知られる青島神社(宮崎市 神武天皇のお爺さんを祀る)に出向いた折の、実に腹ただしい出来事の報告です。意地悪だった海幸彦を祀っているのかと錯覚するほどの印象でした。

ご朱印は最近若い人にも人気だそうで、私は青森から鹿児島まで巡り6冊目になります。神社だと神社名、お寺だとご本尊を墨書きして、朱色の印を押して300円。もしご朱印帳を持ち合わせていなくても、無料で和紙に書いてくれるのが一般的です。

ところが青島神社での出来事とは、青島神社名と弁財天(日向国七福神の一柱、取り扱いは30年前から?)の両方を書くのでなければ受け付けません・・・とそっけない返事。料金は600円。青島神社だけのご朱印でも600円は払っていただきますと上から目線。片方でも300円で応じてくれるのが通例だから、年甲斐も無くムカーとしてしまいました。しかもご朱印帳を忘れた方には、用紙代として100円徴収との張り紙まであるではありませんか。気になって個人初穂料を見ると5,000円(通常3,000円) からとありますから、お金を稼ぐ方にばかり気持ちが傾いているように感じてしまいます。寄進の勧誘も行われていましたし、ビロウ樹繁る元宮へ出向いた折も、縁起物の天の平甍投げで1枚200円の代金、全て商売に結び付けていると疑われても仕方がありません。

一方、由緒ある神社仏閣の社は化粧され、境内は隅々まで手入れされ清められ、荘厳さを醸しだしているものですが、青島神社のそれは集めたお金がどこへ消えてしまったのか、参拝道は整備されておらず、社は汚れが目立ち、日々の境内の手入れや清掃が手抜きされているように感じます(30年前の火事で再建された社だから仕方がないか?)

天孫降臨からの神代三代(日向三代)と、神武天皇を祀る宮崎神宮の4つの神社の中で、一番見劣りがするのが青島神社、そこでハタと気付くことが青島は神社、他の3つは神宮、社格の違いは運営の志の違いなのかなと納得した次第です。とはいえどこからか灌頂してきた村の鎮守様とは違うのだから、菊のご紋を使用する自覚を持って欲しいと思いました。

祀る山幸彦だって神話とはいえ釣り針を探しに海神の宮殿まで出かけたのに、海神の娘の豊玉毘売と懇ろになって、3年間も遊び呆けて帰って来るという、そこにも問題がある?ように感じてしまいます。

 折角、足を運んでくれた参拝者にこんな商売に敏い扱いをしたのでは、超セコイ神社だ・・・と評判になっても仕方ありませんね。前回訪問と同じで、ご朱印を書いてもらう気分にはなれず帰ってきました。だから全国にある神話の主だった神社の中で、ご朱印の無いのはこの青島神社だけになりました。残念至極です。







最終更新日  2016.11.19 15:57:58
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2016.09.15
テーマ:愛しき人へ(865)

  充実した7日間の家族10人によるハワイ旅行も無事に帰国。でも、ESTAが取得できなかった孫娘(変わりにVISA取得)は、米国入国時に30分以上も調査で足止め、帰国時は全員が靴を脱がされ、透視用カメラ?で身体検査も・・・初体験・・・テロによる厳重な雰囲気を体験して来ました。おまけは余分にもカメラの紛失も。また、出発が成田ですが帰国は羽田、しかも到着便が夜の11:00頃になるため、出発当日の早朝、わざわざ羽田まで帰宅用に自家用車2台を預ける労力まで要した旅でした。

その熱も冷めやらぬ間に今度は、ESTA取得できなかった孫娘を引率して九州旅行。
オシメが取れて小学校6年生までの間、毎年、我が家で夏休み合宿(7~10日間)をしていますが、その合宿卒業旅行のリクエスト地になります(当初はロケット基地の種子島)

鵜戸神社、青島神社、はにわ園、高千穂峡などの宮崎に飛行機で降り、熊本(大観望、高森など)、大分(臼杵磨崖仏、湯布院など)、佐賀(有田、唐津虹の松原など)、長崎(お決まり歴史地区、夜景など)、担々麺を食べに福岡を回る3迫4日の旅です。孫娘の希望地を盛り込んだ超過密なスケジュール、老体には堪えそうな旅程を組んでいますが、その代わり夜は楽しみな居酒屋三昧、奔放なスケジュールばかりで家内には睨まれています。

と言いながら私だけは自宅から車で出発、高知の居酒屋葉牡丹で酔いしれて、散骨希望地の足摺岬に寄り、4番目の孫のためにお守りを宗像大社で求め、広島カープ優勝を祝うために宮島口の名物店であなご丼を食べ、広島では麗ちゃんお好み焼きを堪能、そして全国で現存する12天守閣で最後の見学地になった備中松山城を見て帰宅するという、ワクワク・ウキウキする10泊11日の日程を組んでいます。走行約3500kmにも及ぶと思われる旅、気持ちだけは若く好奇心旺盛な証か・・・と勇気付けています。

福岡には10月11日ANAクラウンプラザ福岡へ投宿、家内と孫娘を見送り夕方の5時には一人チェックイン、その夜は久し振りに博多で誰かと一緒に飲みたい気分です。

伝言が入るといいですし、青春を思い出しながら天神駅で、人待ち顔で6時頃から待ってみるのも一興かと思っていますがどうなることやら・・・。







最終更新日  2016.09.15 11:21:15
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2016.08.13

  米国への渡航は何かと不便になりましたが、今回はその一つESTA申請ミスで苦労したお話です。この話をする前に米国への渡航手続きが、どのように変わって来たかを知る必要があります。01年の同時多発テロを端緒に、機内持ち込みの液体が制限され、スーツスースもTSAロックシステム対応が求められ、更に入国制度の変更で短期滞在ビザ(査証)を免除している全ての国々を対象に、電子渡航認証システム(ESTA)の認証が義務付けされました。

これだけ面倒な手続きや費用、段取りが増えると、敬遠したくなる米国の旅、でも家族10人の意向で今夏はハワイへ行くことになり、その時のESTA申請で大失敗をした話になります。
皆さまも申請には慎重を期さなければならない、他山の石とすべきお話です。

発端は2番目の孫の申請時に、「不法滞在したことがありますか」という質問に、長男は不用意にハイとチェックを入れてしまったことでした。テロ対策で作られたシステムですから、重大質問に間違いをしてしまうと電子システムでは訂正出来ません。結局、米国大使館へビザ申請を行い、書類審査を経て、たどたどしい日本語の米国人相手に孫娘の面接が行われ、怪しい人間で無いことを認めてもらい、やっとビザ発給にたどり着きました。その間約1カ月。幸いにも孫娘の住まいと大使館は1時間一寸で行ける距離でしたし、旅程に余裕がある時期の申請でしたから、何んとか渡航に間に合い胸をなでおろしたところです。でも渡航直前のESTA申請とか、大使館や総領事から遠隔地の方々だったら、手数も時間も費用も要する大事件になっているところです。こんな失敗談は経験しなくても良いこと、慎重な皆さんには無縁なお話でしょうから、こんな馬鹿話と笑って済ませて下さい。

蛇足ですが申請ミスをした孫娘とは、引き続き10月に九州「夏休み合宿卒業の旅」に出る予定です。毎年、オシメガ取れてから小学6年生まで我が家での夏季合宿、その締めくくりの旅になります。湯布郷館にも泊まり、福岡へは10・11日の2連泊。あの人にお逢いしたいな~と思っていますが? どうなることやら。







最終更新日  2016.08.13 14:42:57
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2016.07.15
テーマ:愛しき人へ(865)
 与謝野鉄幹が明治34年に発表した歌詞集<人を恋ふる歌>に、「妻をめとらば才たけて 顔(みめ)うるわしく情けあり・・・」と詩っています。モボ・モガの流行には一寸だけ早いのですが、差別だと非難されようとも明治は歴史的に古き良き時代と感じている小生、才や顔はウ~と唸ることはあっても、情だけはタップリ・・・の家内を、「明治の女」と呼ぶ時があります。
 献身、忍耐、勤勉、謙譲、倹約などの気概は、近代日本を支えた精神といわれますが、その一端を受け継いでいると思われる家内、脇目も振らず家を守り、家族に尽くし、確執があっても夫とは添いとげたい・・・と? 今時、骨董品にカビの生えたような生き方を見ているからです。
こんな極め付きの「明治の女」なんて、今では死語・・・でも揶揄する気持ちはありません。
 料理、和・洋裁、お茶、生け花、書道、音楽など、一通りの教養や技を身に付け嫁ぐ準備をしていたようですが、こんな稽古事に打ち込めたのは代々を通じ醸成された家格から培われたのではないかと感じています。戊辰戦争で会津攻め総大将となり、維新後は土佐から全国へ自由民権運動を導いた、あの方の長女を嫁に貰い受けた系図が示すように、受け継ぐ土壌は一朝一夕に生み出されるものでは無く、無論、維持するには経済的な裏付けも無くてはなりません。そして稽古事の核心は人を育てる修養の場だったように思われ、社会で生きるための作法や躾、規範、志などを身に付けさせ、鍛えてくれた場だったように感じています。
 現代は互助や共助の精神が薄れ、権利は主張するけど義務が欠落して、自由には規律・規則の公意識が伴うことが忘れられ、不寛容で 他人に邪魔されたくない奔放な生き方、こんな身勝手な生き方が蔓延していると感じるからです。便利な時代ですから、たしなみなど無くても生きて行けますし、風潮となれ合う生き方も出来ます。が一方で、困った時だけ都合よく社会に甘えてSOS、貧困や格差社会とは経済力だけでは無い根源に気付かされます。
最後は年寄りの冷や水、ついつい愚痴ってしまいました。
 「100万人に1人の宝くじに当たった」・・・と、小生は明治の女に言います。家内は「100万人に1人の無頼な人」を引いてしまったと宣わり、「はずれ」で残念でしたと言い返します。このように家柄も境遇も格差ある組み合わせの夫婦でしたが、47年間も過ぎた今となっては時が融合してくれるのが世の常、人生の最終コーナーを回った残余少なくない今となっては・・・良き伴侶を得たとお互いが納得して、穏やかな日々を過ごすようになって来ました。
皆さまの・・・ご夫婦の歩みは如何ですか・・・笑い。







最終更新日  2016.07.15 11:14:26
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2016.06.07
テーマ:愛しき人へ(865)
 5月18日から4泊で、若葉あふれる信濃路を旅してきました。47年前の新婚旅行を半分なぞる旅で、毎日が好天気というおまけ付きです。
ハイライトは3年振り4回目の上高地、早朝なのに豪華バイキングで食事を済ませて、AM7:00には松本出発、沢渡のバス接続が良くてAM8:30に到着です。快晴無風、ヒンヤリの空気を感じながらトレッキング日和になりました。訪れるたびに清流梓川、河童橋の向こう側には冠雪した穂高岳連山や明神岳、意気を飲む絶景はいつもと変わりません。
 前回は徳沢まで往復20kmのトレッキング、景観はもちろんですが山野草や野鳥観察(オオルリを見つけました)を楽しみましたが、今回は安曇野で常念岳が見える店で美味しい蕎麦を大盛で堪能した後、由緒ある穂高神社に参拝しご朱印をもらいましたから、明神池ほとりにある日本アルプスの総鎮守の奥宮でもと計画、それとやっぱり心踊る野鳥や山野草の観察は欠かせず、15kmほどのトレッキングを予定しました。いつも記録係の私、直ぐ利用できるようにカメラや三脚、ビデオ、双眼鏡を首に掛けたり、細工してリュックに入れたりしての散策になります。
 ニホンザル20匹ほどの群れに遭遇や、知らない山野草は道行く人に教えてもらいながらツバメオモトやツクバネソウ、エンレイソウなど5種をビデオ撮影。季節なのかいたるところに二輪草が盛りと咲いています。野鳥はヒガラを多く見かけ、目の前にノジコも現れました。そしてキビタキを初めて観察、順光の条件でこずえに止る姿を双眼鏡でハッキリ捉えました。コマドリのような鳴声も聞こえましたが、葉が茂っているので主は発見できません。
 ひょうたん形の明神池へは300円、穂高神社の神域だそうで、例祭では神事が行われる舞台、静寂な湖面に針葉樹が逆さに映し出され、上高地を神降地と表現するだけに、荘厳な情景に満足です。池のほとりに鎮座する奥宮、参詣してご朱印をいただくと珍しく写真入りでした。
遅い昼食は上高地帝国ホテルでランチ、家内との約束でオムレツとハッシドビーフ、年金生活者には超高額ですが、奮発は日頃の労に報いるために仕方がありません。
 空気が美味しく心が洗われる一日はこうして終了しました。4回共、春の訪れだったので、次は色鮮やかな紅葉の時期にと考えています。孫達も連れてこの自然を体験させたら、どんなにか情操教育ができるかと、今からその時を楽しみにしているところです。







最終更新日  2016.06.07 17:14:23
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2015.11.26
テーマ:愛しき人へ(865)
 高校同級会出席のため、墓参りも兼ねて開催の日本三景松島へ行って来ました。
今春、開通した常磐高速道を初めて利用しての帰郷です。先の東日本大震災や原発事故現場を通過しますから、現役に国道を200回以上も走り回り、代理店巡回や発電機の据え付け工事、誘われて釣りやゴルフに興じ、温泉に浸った地の復興を確認したい思いがありました。
いわきICを過ぎてしばらく北上するとそこは双葉・富岡・大熊町の原発事故最前線、田畑には枯れた雑草が背高く広がり、戸締りしっかりの家屋は住む人もおらずゴーストタウン、荒れ放題でした。高速道路の電光掲示板では放射能濃度4μsv/h以上を示しており、高濃度ですからPAやSAなど休み処はありません。
更に北へ向かうと勇壮な野馬追いを見物した南相馬市(旧浪江市)、船遊びした相馬市松浦を過ぎて亘理町へ。真新しいいちごハウスが列を成して林立、津波に浚われた跡が見事に復活していました。そこでICを降りて、投げ釣りをしたことのある海岸線を北上しようと向かいました。が、残念なことに4年前と同じで、道路は閉鎖されて近づくことが出来ません(前回は警官に制止された)。遠目に津波になぎ倒された松林が、無残な姿を晒したままになっています。他県ナンバーも混じった大型トラックの工事車両が頻繁に往来しています。仙台平野の美田は、地盤沈下もあって水はけが悪い状態のようで区画整理中、一部では塩害もあって作付されていない様子。その美田の真ん中に防波堤を兼ねているのか、嵩上げしようと道路工事が延々と続いていて思わずうなってしまいました。ここは大津波に襲われた地区なのに、新築と飲み込まれなかった住宅が混在していて、その明暗はどこで分けたのか不思議に感じられました。全体の印象はまだまだの復興、でも仙台市内の繁華街は人通りが多く、以前より綺麗に化粧され、地下鉄東西線が12月に開通とかで、震災を受けた面影はどこにも残っていません。
 同級会の翌朝は思いがけなく快晴無風、Tさんとデートした思い出の福浦島を散策してみました。観光客が少なく照葉樹繁る島を周遊45分、小鳥(ヤマガラが近くまで)がさえずり、藪柑子の群生、松島湾の水面は陽を浴び輝き感激です。それを見せたくて駅で待ち合わせの家内を何気なく装い誘い、再度、島一周の案内というおまけ付き。当然、前日には半世紀以上も昔のTさん自宅跡や、私の住んでいた所も探索、当時の面影が辿れない変貌を実感して帰ってきました。







最終更新日  2015.11.26 16:14:04
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2015.09.15
テーマ:愛しき人へ(865)
  井上ひさしの作品に「青葉繁れる」があります。
夏目漱石「坊ちゃん」の現代版を狙い、私の故郷を舞台に名門男子進学高の落ちこぼれ4人組(井上ひさし、菅原文太など)と、近くの第二女子高等学校生(マドンナは疎開していた若尾文子)が繰り広げる、戦後混乱期の実在モデルによる青春物語です。
 今春、NHK「にっぽん縦断こころ旅」で、その女子高の校舎風景が投書で取り上げられ、卒業生の家内は録画を懐かしく見ながら、女子高から中高一貫校共学になり校名も変わったことを残念がり、校章は昔のままを喜んでいました。先日、その学校から同窓会案内と一緒に、行方知れずの消息照会がありました。明治19年創立という欧米外国人も掲載された歴史を感じるリストで、家内卒業の年度を開いたら・・・私が高校時代に文通していたTさん、尋ね人になっているではありませんか。Tさんと家内は同窓同学年でしかも同じクラスという偶然、ドキドキ・・・と一瞬の動揺、予期しない発見に、半世紀以上も昔のほろ苦い思い出が蘇って来ました。
 高度成長期直前の私の育った田舎はまだまだ貧しく、裕福で成績優秀な家の子ほど小学校を卒業すると、学区制を逃れて地域の中心都市へ転居、進学中学校へ転校するのが日常化していました。Tさんもその一人です。私は高校入学でその都会へ電車通学が叶いましたが、その時に自宅から通い始めていたTさんへ、一方的で強引に手紙を差し上げて文通が始まりました。
163cm、スリム、9月誕生、ショートカット、女優波留(はる)さん似、ガーベラが好きだと言っていました。幼少から習字を習い、油絵も県展で入選するほどの腕前。高校文化祭に招待され60号もの壮大な出展画「係留される貨物船」を観る機会や、選ばれて卒業文集の表紙や挿絵も描いていました。虞美人草やロザリオの鎖の読書を勧められたこともありました。デートは1度だけ、初心にも緊張しましたが気分は高揚。粗野で無頼の私とは違う、家柄が醸しだす上品さを持ち合わせたTさん。当時、武者小路実篤の青春小説を何冊も読み、その世界に陶酔していた私。そんな有頂天の日々だったのに・・・どうしたことか突然疎遠になり・・・失意から高3夏休みには、目的地も定めず北海道放浪の旅に出る羽目に。立ち寄ったハマナス咲く網走原生花園の浜辺に座り、当時流行の「遠くに行きたい」や「雨に咲く花」を口ずさんだものでした。
 それから数年後、街でバッタリ出逢い県本庁に勤務したこと、教育者の親の勧めで早々に結婚、でも事情があってすぐ別れたと悲しげな顔。男の人は羨ましいと、弱音を垣間見せた表情が蘇ります。慰めの声を掛けてあげることも無く、それっきりになってしまいましたが、青春の憧れだったTさん、あれから幸せな人生を送ったのだろうかと、行方が知れないことを案じながら戸惑う気持ちです。好奇心旺盛で大人になることを急いだ私には、不本意になりますが青く酸っぱい青春の1ページになりました。
 半世紀以上も昔のセピア色になった思い出の品々、最初に届いた手紙の他に、毛筆の年賀状や代筆してもらった2千字にも及ぶ送辞巻文、岩礁に砕ける波を描いた暑中見舞の葉書や栞、数葉のデート写真など、未だ処分できず家内に内緒で保管している有様。歳を重ねても心は青春の証なのでしょうか・・・静寂涅槃は遠い話、悟りを開くことも無く私は朽ちて行くのでしょう。







最終更新日  2015.09.15 17:31:23
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2015.08.13
 話題の超電導リニア体験乗車、8月4日に行って来ました。
JR東海山梨リニア実験線(42.8km)で行われた時速500kmの体験です。
ボディーチェック、手荷物検査など搭乗手続きが終わって乗車、間も無く出発、そして車内ディスプレーに時速がカウントアップ、503km/hが表示されると乗客からウォーという歓喜の声、音速の半分近いスピード、しかも抽選倍率を考えれば感激も一入の歓声です。
 今回の体験乗車は毎年行っている孫達との夏休み合宿、そのイベントの一つにしたいと息子たちと手分けしての申込み・・・それで長男がGet、私と家内、孫3人計5人の乗車(8,640円)になりました。5歳児の孫は既に鉄道マニア、興奮して大満足の様子でした。
 車両L0系 (Linear 第一世代)、白い車体にブルーライン、先頭車は15mというロングノーズ、車両座席は15列で通路を挟んで各2席。乗車して感じたことは、騒音や振動は新幹線より大部低く思ったこと、トンネル走行が多いこと、車両すれ違いも想定してか飛行機のように小さな窓、トンネルを抜け視界が開けた一瞬の間に、アーチ橋を渡り、緑濃い山間に川が飛び込み、遠く富士山が見えるというサプライもありました。
 リニア推進・浮上鉄道の研究開発が始まって53年、今年4月には有人走行で603km/hを出して鉄道の世界最速度を記録、12年後の2027年には品川-名古屋間で中央新幹線として開業し40分で結ぶとか、技術立国日本の面目躍如といったところです。
 それにしてもニオブチタン合金を超電導材として使用して、液体ヘリウムでマイナス269℃まで冷やし、電気抵抗ゼロの超電導を作り出し、電流を流して強力な磁石をつくり、N極とS極の磁力作用で車両を浮上させ推進させるメカニズム、ここまでの長い道程の研究・開発・実験、商用化テスト等など、世界に誇れる頼もしい技術だと感じました。
JR東海さん、これからも頑張ってね。






最終更新日  2015.08.17 09:13:16
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2015.06.14
テーマ:愛しき人へ(865)
 先日、5年生になる孫娘と温水プールに行って来ました。夏を前に小学校運動部会でのクロール泳ぎ、息継ぎが上手くできず恥ずかしい、教えて・・・とのリクエストからです。歳は取っても週3回のジム通い、平均1.4km(最高は2.1kmまで更新)は泳いで来る私、頼まれれば喜んで二つ返事です。些細なことでも期待に応えられる喜び、金銭では得にくいたっぷりの満足です。

 振り返って孫に対する最近の世相、教育援助やら生前贈与、二世帯居住、「孫まごの旅」の流行とか、ジージ、バーバ達の身勝手とは言いませんが、こんな世の動きに疑問を持っています。時代を反映してなのか文芸春秋4月号では、著名人の孫との接し方特集がありました。

 我が家の孫達、財産が無い負け惜しみもありますが、オシメが取れれば一同に介しての夏季合宿(10日間程度)、小学6年生の合宿卒業旅行(国内2泊3日)、初節句にはお雛様or鯉のぼり、4歳誕生日の自転車、小学校入学に机かランドセル(最近は6~7万円も)、中学・高校入学に寸志、お年玉は小学校に入ってからなど、成長過程に合わせて、スケジュールを細やかに組み臨んでいます。無い袖は振れないわけですから、こんな風に気軽に、威張らず、付かず離れずの距離感で接しています。火種になる躾や教育には、一寸だけ口を挟む程度に押さえ自重です。
 今夏の合宿目玉はJR東海のリニア試乗、息子たちと手分けして申し込み・・・当たって欲しいと祈るばかり。また2番目の孫との合宿卒業旅行は、種子島ロケット発射の見学、付き添いで同行する私達老夫婦もワクワク感を共有しています。

 息継ぎを教えた孫は、30mも泳げるようになり大喜び。水に顔を付けたままなら20m泳げ、私と同じ肺活量の多さにビックリ。これは朝練で頑張る陸上中距離走の成果かなと思ったりしています。







最終更新日  2015.07.04 15:25:37
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2015.03.20
テーマ:愛しき人へ(865)
 先日、「アラ古稀の集い」を行ないました。私と家内の兄弟、その子供、孫たちの9家族総勢25名にもなる集合です。しかも病気、怪我、用事などで、誰一人として欠ける事も無い大盛会になりました。都内の一寸高級感ある居酒屋が会場、三つのテーブルに分けて着席しましたが、25名ともなると威圧感さえ感じられる賑やかさです。
 企画の「アラ古稀集い」とは、31年前に14名で登った北アルプス燕岳を記念してつくった燕会、当時の生き残りメンバーが古稀年齢前後になった4名の長寿をお祝いしようという集まりです。当然、72歳に差し掛かる私も家内も主賓であり主役です。しかもこの機会を利用して、親族で結婚された方のご披露会、いとこ家族の紹介、孫たちを楽しませるためのビンゴゲーム(私のオリジナル)と予定は盛り沢山です。
ですが準備・段取りのほとんどが私の仕事になり、得意分野のイラスト入り式次第や席次表、その他の資料と合わせての冊子化、4つのポスター作り(A2版)、ピンゴ関係の手作り道具、花束の手配、肝心なのは古稀対象者に対するお祝いの品々など、全て私の手配になりました。
それだけではありません。主賓である私は当日、司会を務めるという奮闘振りで、折角の料理に舌鼓を打つたり、飲んだりの時間が取れず残念な思いをすることになりました。
でもこうしてこの年齢まで家内共々ボケる事無く身体が動かすことが出来るのは、健康で丈夫に産んでくれた両親や家系に対して、また、日頃の食生活に気配りをしてくれる家内に感謝しなければとしみじみと思った次第です。
いみじくも子供たちの挨拶のなかで、「威厳を保っているのは父親、しかし裏方で家庭をしっかり守っているのは母親だ」との言葉に接した時には、子供はしっかり親のことを見ているなと感じたものです。こうして3時間にも及ぶ集いは終了しました。
 この年代は年金泥棒と若い人に言われています。だから批判を少しでも和らげたいと、これからも病気・怪我や恐れる認知症に注意して、健康や介護保険は使用しないで、健康寿命をこれからも伸ばしていきたいと思っています。平均余命からすると残り13年の人生、気力を充実させ乗り切っていきたいと願っているところです。






最終更新日  2015.03.20 18:01:55
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