2018/12/13(木)13:43
ブランドもの
ここ最近自分と向き合うことが多く、『本当に自分が望んでいることはなんなのだろうか?』と1日のうちの半分はそれが頭の中でグルグルしている。
一般的にブランド物を持つ、持ちたいということは、自分の関心が外側に行っている状態である。
言い換えれば他者にどう見られているか?どう思われているか?かなりの部分そこにフォーカスしている状態である。
冷静に考えてみて、ブランドが似合う人って殆どいない。『豚に真珠』の日本人がどれほど多いことか。外見的に似合う割合が高い西洋人ほどブランド物をそれほど持たないというパラドックス。
そもそも横文字のおフランスやおイタリアのものが日本人に似合うはずがない。漢字で書いている方がまだマシである。これまた不思議なことで、漢字の書いたTシャツを日本に来ている外国人がよく着ているという…
私の思考や関心が内側に向くにつれて、ブランド物の意味や価値がなくなってきている。それらをいくら身につけても、私を『幸せ』にするものではないことが改めてわかったのである。
どんなに豪華な服や時計や靴、車を手に入れてもそれは変わらない。しかし、この強欲の資本主義社会では、それを手に入れることが『幸せ』の1つであると思わされている。
その洗脳に気がつかず、あくせく働き、必死にそれを手に入れようとする。偽りの幸せを掴みにいこうと。
実際手に入れてみると、一瞬は満たされるけど、時間の経過ともとに劣化してくる。持てば持つほど、欲しくなり、劣化のスピードも早まってくる。
そして、さらにラットレースが熾烈化してくる。ローンを組んだり、リボ払いしてみたり。タワマンに憧れるとか、かなりヤバイ。この先の見えない衰退化していく日本で35年ローンとかありえない。35年奴隷宣言したのとなんらか変わらない。
高度経済成長期の変なシステムを景気減速が明らかなこの時代に未だ採用するというのは、明らかに間違えている。35年ローンを組むのも消費者金融で借金するのも悪どさでは変わらない。
銀行が一番の悪であることは言わずもがな。一見誠実そうな出で立ちの人の方がかえって危険なのはデフォルト。
ブランド物に始まり、マンション、高級車など外側を求めて、手に入れても本当の幸せには辿りつけないと私は確信している。
全て手に入れたこともないお前が偉そうなことを言うな!と言われればぐうの音もでないが。ただの底辺の僻みと思われたら、反論の余地もない。
しかし、それでも私は外側を求めてあくせくすることに魅力がなくなった。【幸福】と【快楽】は一見似ているようだが、全く対極にある。
マスメディアに踊らされ、偽りの幸せを刷り込まれ、それが本当の幸せであると信じ込み逆走していく。恐ろしいことである。
人間の欲望につけ込ことが一番『儲かる』。資本主義社会の弊害である。
それに打ち勝つには、見たくない内面を見つめ、自分にとって本当に大切な物事に気づき、それに対して真摯に取り組んでいくことが大切ではないだろうか。
【灯台下暗し】というように、自分の幸せは自分の内側、足元にある。世間に溢れている『ブランド』ではなく、自分らしく生きていくことによって、自分だけの『ブランド』を作り上げていくことが幸せへの道だと私は思う。