人形を愛でることについて
人形さんを愛でることへの衝動について、その起源として自分的にこれかなぁとおもうものを挙げてみます(順不同)。所有への欲求愛でる対象(他者としての対象)自己の理想の投影1番目のは自分でも確かにあるなぁと思うのが、あるキャラクター対象自体を自分のものにしたいという欲求で、自分的にはフィギュアとかキャラグッズとか欲しくなるのはこれかなと。2番目は、例としてはお年寄りが犬さんや猫さんを飼っているとか、そんな感じのことです。3番目ですが、これはうちの妹さんに話してもいまいち同感はしてもらえなかったのですが、意味するところは一種の自己愛といいますか、他者としての対象ではなく自己の理想の具現化としての対象=私のことなのですね。これは例えば現実の自分はおっさんの自分から逃れられることはなく、おとぼくの瑞穂お姉さまでもなく、かしましのはずむくんでもないわけですから、現実のこの自分というものが変更をうけることは有り得ないわけです。そこで、自己の理想形を現実のおっさんな自分ではなく外部に投影する。その具現化が人形さんというわけで、ここでそれは上の2番目の場合のような他者ではなく自分の鏡なわけですね。現実という観点からみる限りでは像と虚像が非対称な鏡(おっさん⇔人形)なのではあるわけですが、しかしその虚像の中に、現実によって制約され規定された自分の代わりに制約されていない理想の具現化した像を見、その虚像を自己の像とするわけですね。……まぁ、こんなようなことを普段から意識してるわけじゃぁありませんが。もっと直観的に、かあぃいと想うから、かあぃいにゃぁ~☆と愛でるわけで。