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カテゴリ:美術館、博物館
詩人&評論家の生野さんより。 おっしゃられます通り、藪前キュレーターの、ズバリと本質を突いたキュレーションに、作家さんたち個々が感じ放出するもの、それを受けとめ表現なされる高橋龍太郎氏の様が凄まじく。。。 私は3回拝見致しました。 皆様に感謝致します。 -------------------------------- 東京都現代美術館で開催中の、激動の戦後日本において、果敢に、妥協なく世界と対峙し、同時代に鮮烈な認識の亀裂を生み出てきた希有なアーティストたちの仕事を、未曾有の規模で眺望する企画展『日本現代美術私観 高橋龍太郎コレクション』も、会期あますところ、11/10(日)までとなりました。 広大な都現美の空間において、世代もコンセプトもまるで異なるアーティストたちの、壮大にして膨大な展示作品の連なりは、無数の大宇宙、小宇宙のひしめき合う様を思わせ、しかもこれらの作品群は、それぞれ非常に個性的でありながらも、相互に有機的な連関を持っているようにも見えて、観覧の後はヘトヘトになります。しかし、一回観ただけでは到底全貌を把握し切れないという実感と、大宇宙、小宇宙がひしめき合う様を繰り返し体験したいという思いから、ついつい繰り返し足を運んでしまい、結局、(「もしトラ」が確定した一昨日と昨日も含めて)計四回、観覧してしまいました。できれば、後一回は行ってみたいというのが本音です。 昨日と本日11/9(土)は、通常の18:00の閉館ではなく、20:00まで観覧時間が延長されていましたが、昨夜の閉館直前まで、世代を超えて大勢の観客たちが広大な展示空間を往還し、食い入るように作品を観賞し、画像を撮っている姿は、同時代と対峙してきたあまたのアーティストたちと、危機の時代を生きる観客たちの、切実な問題意識と創造への憧憬が響き合っている光景として感じられて印象的でした。あまたのアーティストたちの織りなす大宇宙、小宇宙の発生に渾身で務められた、高橋龍太郎氏、都現美学芸員の藪前知子氏の慧眼、ラディカルな創造的精神、広大な展示空間を構築された関係者のかたたちの尽力に、深く敬服する次第です。 さて、「日本現代美術私観」が投げかけてきた問題はあまりに大きく、あまりに多く、未だ大宇宙、小宇宙の眩暈から醒め切らぬ私には、おいそれと感想をまとめることなどはできませんが、会期終了後も、押し寄せてきた問題、豊饒なイマジネーションの数々については、おいおい考察し、発酵させてゆきたく考えてゆきたいと思っていますが、ここでは、私が「日本現代美術私観」へ足を運ぶきっかけともなった、私的なことがらについて記します。 それは、私のかけがえのない知己である、前本彰子、石田尚志、玉本奈々という三人の稀有な表現者が「日本現代美術私観」に出品していることです。 表現方法も、表現活動の有り様も、世代も異質な三人の天才は、私自身のおぼつかない詩的な活動にも大いなる浸潤作用を果たしてきたかたたちですが、前本氏の『BLOODY BRIDE Ⅱ』(画像右)、石田氏の『Burning chair』(画像左)、玉本氏の『心眼』(画像中央)は、それぞれが全く独自の世界観、表現方法から生み出されておりながら、いずれも、安部公房の『終わりし道の標に』原典版の中の「…存在の肉体にじかに触れるのだ。」という一節をいささか捩って言えば、宇宙そのものの肉体にじかに触れ、擦過している巨大な、強靭にして繊細な詩的半透膜であり、互いに触知しつつ、溶融と衝突を繰り返していると感じられたのでした。(前本氏の作品は、常設展においても『深海のアネモネ』をはじめとする傑作群を観覧することができます。) #日本現代美術私観高橋龍太郎コレクション #東京都現代美術館 #前本彰子 #石田尚志 #玉本奈々 #nanatamamoto #藪前知子 #清澄白河 #Contemporaryart お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年11月09日 20時15分02秒
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