テーマ:窓(54)
カテゴリ:家/土地 雑感
昨日5/3稿「夕陽に寛ぐ…昼下がりから黄昏への移ろい~西陽を積極的に楽しむ窓配置」、 5/2(一昨日)は日の入りを見られなかったけど・・・の続き。 昨日5/3の夕方、初めて・・・入居して4か月にして初めて! そのためにここに窓を配置した2階西側の出窓から、 日の入りの瞬間を見ました。 これまでは冬だったこともあり、日の入りの時刻の頃はまだ仕事から帰宅していません。 なら休日はといえば、意外と雲がかかっていたりして、なかなか綺麗には見られないんです。 新型コロナ緊急事態宣言が出されているこの大型連休の間、 昨日も一昨日のようにNetflixを見ていた夕方5時過ぎ・・・。 キター! 1階の西側の吊戸棚の上の明り取り窓から、長~い陽射しが射し込みます。 これから1時間半のEvening Sunset Showの始まりです。 日の入りの迫った6時半前、2階の出窓から西の空を眺めると、 まさに遠く箕面方面の山々の向こうに、輝く夕陽が沈もうとしています。 18:33、完全に太陽の姿が隠れました。 (山に日が落ちるので、気象データより10分ほど早い。) 真っ赤な夕焼けが、神々しく西空を染めます。 昔の人は(人工の物が何もない風景の中に)この日の入りを眺めて、 西方極楽浄土を見たというのも分かる気がします 家からの眺望なんてなかなか望めない大都市近郊の住宅密集地という立地のなか、 周囲に空いているのは西側の一角だけ。 それならなんとか工夫して積極的に西からの眺望と採光を楽しもうと考えました。 この西からの日の光の入り方と影(陰)の出方は、 家が建つ前の更地のときから自分で何度となく現場に立って太陽の動きを眺め、 意図して実現した室内空間デザインなのです。 窓は、採光・通風・換気・眺望・外観や室内空間デザインなど、様々な役割があります。 近年は高断熱高気密を謳うがあまり、 また無神経なローコスト住宅や奇をてらったデザイナーズ住宅など、 窓の役割が軽視されている風潮が散見されるように思われます。 伝統構法の昔の家は、都市の町家の格子窓にしても田舎の農家の縁側にしても、 現存しているものを訪ね回った限りでは、 外から内からどう見えるかという眺望を大切に考えてきたように思われます。 いま伝統構法で建てるにはハードルが高いですが、 そういった先人の窓に対する思いや智恵は、 現代の家づくりでも十分活かせるのではないでしょうか。 西陽は避けるようにというのが伝統的な家屋のセオリーですし、 西陽が好きな私の感性が共感してもらえるかどうかは怪しいですが、 窓を「眺望」と「空間デザイン」いう役割からとらえ直してみてはいかがでしょう。 一般の建売りやローコスト住宅や大手ハウスメーカーなどパッケージ商品の家では 窓のそういった観点からの自由な配置は難しいでしょうけれど、 本物の注文住宅であればぜひ棟梁や建築士と一緒に考えてみると良いと思います。 さて、今日5/4もとってもいい天気だったので、 用事を済まして夕方4時ごろから妻と一緒に近場にお出かけ。 隣りの京都府八幡(ヤワタ)市と久御山(クミヤマ)町の間の木津川に架かる上津屋(こうづや)橋へ。 河原には石を並べて何やら字がいっぱい。このごろ流行ってるの? 「コロナにまけるな」なんていうのもあります。 三十年来ときどき訪れていたのですが、久しぶり。もう何年ぶりでしょうか。 この橋、ここ数年は台風による増水で文字どおり!何度も流されていましたが、 すっかり綺麗に修復されていました。 この橋は通称「流れ橋」といって、橋脚に木製の橋が乗っかっているだけで、 川が増水すると橋が浮いて流されるという構造。 橋は橋脚にロープで係留されているので、また載せ直して修復します。 エネルギーをいなすことで橋そのものを守るという発想は、 石場建てに通じるものがありそうです。 自然の猛威には逆らわないというのが、日本古来の思想なんでしょう。 元々は橋脚も含めほとんどが木製だったので、 時代劇のロケでしょっちゅう使われていました。 その現場にたまたま出くわしたこともあります。 近年あまりにも頻繁に流されて修復にその都度費用がかさむので、 今日久しぶりに見ると、橋脚はコンクリートと木製の複合に作り替えられていました。 遠目にはそれと分かりにくいようにはしてありますが、この先時代劇で使えるかな? これらの写真、この稿の前半に載せた昨日の夕方の写真とちょうど同じ時間頃。 昼までの眩しい陽射しはどこへやら、すごく曇ってきました。 うーん、今日は夕焼けは拝めそうにありません・・・。
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最終更新日
2021年09月23日 21時52分15秒
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