私が嘗て自分の意思とは別に一番遠くまで電車に乗ったのは金沢までだった。当時私は、埼玉県の熊谷という場所に住んでいた。上野から新幹線に乗れば、大宮の次に停まる駅だ。私は、提携先の会社の新人、マッチーとの初仕事を無事に終えて祝杯をあげていた。マッチーは、私が生涯で尊敬する「かっこいい生き方をしている男」と認めている2人の内の一人だ。(もう一人は、客船の会社で知り合った中野さん。有名なバーテンダーさん)。マッチーは、新人とはいえ当時既に60代の男だった。人材業界としては、全くの新人だったが以前の仕事はイギリスの自動車会社の日本法人のトップをしていて、親会社がアメリカの会社に買収されてしまい、アメリカの会社にも日本法人があったのでマッチーの部下を有無を言わさずクビにしろという仕事を終えての転職だった。マッチーは、イギリスに顔がきくトップクラスの日本人で会社としては、マッチーの人脈だけは欲しかったみたいで残留を求められていた。マッチーは、日本の上流社会でも認知されている男だった。この日、私はマッチーの接待を受けていた。銀座の有名な画廊で待ち合わせ、そこの支配人と雑談をした後、戦争で3軒だけ焼けなかったビルの一つである銀座の会員制クラブに案内された。ここのフロントでは、メンバーとビジターの名前を記入する用紙があり、私はゴルフクラブかよ・・と内心思った。エレベータの表示は、時計の振り子みたいで歴史を感じ、案内されたフロアーの壁面には厳しい方の肖像がが掲げられていた。天井は、凄く高く古きよき時代を感じさせる空間だった。事前予約がなかったにもかかわらず、マッチーは、フロントの支配人と一言三言会話して料理を用意するのでそれまで少しだけ待って欲しいといわれた。30そこそこの男と60過ぎの男の二人で呼ばれるのを待った。周りを見回すと、如何にも育ちのいい集団が食事や会話を楽しんでいたり、落ち着いた雰囲気の家族が優雅な時間を過ごしていた。日本にもやっぱりこんな場所があって・・こんな生活をしている人がいたんだな・・と改めて感じた。高校の同級生や世界中の王侯貴族と遊んだ時以来、自分がこの空間に不釣合いな人に思えた。マッチーは、この業界に入ったばかりの新人である自分が、初月から2人契約できたのは私のお陰だと一方的に感謝していた。コースの食事を食べた後、横のバーで何杯か酒を飲んだ私を、マッチーは老舗のクラブに案内してくれた。それも、2軒も。多分、座っただけで何万円という場所だったと思う。そして、最後に案内されたのが銀座で40年、有名クラブのママたちが常連さんやキーマンをお店帰りや出勤前に案内する一軒のバーに招待してくれた。バーのマスターは、70歳をとうに超えているにもかかわらず艶っぽい男だった。初対面の私は、あった瞬間に寒気がした・・・。彼の目は、私を狙っていた。
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幸喜3319
表の世界と裏の世界の狭間を日常にするヘッドハンターという人種の日々起こる出来事をあなたにも、ほんの少しお知らせします。
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