田原俊彦さん【18】1981紅白歌合戦(河合奈保子さん)
第一腰椎圧迫骨折で静養中だった1981年11月24日、河合奈保子さん宛にNHK紅白歌合戦出場決定の連絡が届きました。1981年12月30日、奈保子さんはNHK505スタジオで、ダン池田さんの指揮の下、リハーサルとして「スマイル・フォー・ミー」を歌います。奈保子さんは体をコルセットで固定した状態で臨みました。大晦日の1981年12月31日、19時から21時まで帝国劇場で「輝く!第23回日本レコード大賞」が行われ、奈保子さんはゴールデン・アイドル賞を受賞し、「スマイル・フォー・ミー」を歌いました。奈保子さんはそのまま渋谷のNHKホールに移動し、「第32回紅白歌合戦」の紅組トップバッターとして「スマイル・フォー・ミー」を熱唱します。紅組の皆さんが奈保子さんの後ろに並び、奈保子さんと一緒に歌い、会場を盛り上げました。この時の奈保子さんの熱唱は、以前ブログに記載したので次にご紹介します。(1)は黒柳徹子さんが奈保子さんを紹介する部分。(2)は奈保子さんがスマイル・フォー・ミーの1番目を歌う姿。(3/3)は、奈保子さんが2番目を歌う姿と、奈保子さんがどのような気持ちで熱唱したかを、奈保子さんの本「わたぼうし翔んだ」から抜粋して紹介しています。1981年紅白(1)黒柳徹子さんの紹介(河合奈保子さん) | 星とカワセミ好きのブログ - 楽天ブログ1981年紅白(2)歌の1番目(河合奈保子さん) | 星とカワセミ好きのブログ - 楽天ブログ1981年紅白(3/3)歌の2番目(河合奈保子さん) | 星とカワセミ好きのブログ - 楽天ブログ河合奈保子さんが「スマイル・フォー・ミー」を歌った後、近藤真彦さんが「ギンギラギンにさりげなく」を歌いました。奈保子さんも近藤さんも、日本レコード大賞で受賞した後に、NHKに移動しています。近藤さんが車でNHKホールに到着し、奈保子さんが歌っている時に舞台の袖で待機している様子をご紹介します。この後若手では、石川ひとみさんが「まちぶせ」、田原俊彦さんが「悲しみ2(TOO)ヤング」、松村和子さんが「帰ってこいよ」、松田聖子さんが「夏の扉」を歌いました。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 1981年12月30日 NHK505スタジオにて。河合奈保子さん。↓皆さんに「おはようございます」と挨拶していく奈保子さん。↓ 奈保子さんは1981年に紅白歌合戦初出場。↓ リハーサルの様子。左:ダン池田さん。中央:河合奈保子さん。↓ スマイル・フォー・ミーを歌う奈保子さん。↓ 505スタジオ。奈保子さんの歌う姿を撮影する皆さん。↓ 昭和56年=1981年。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 1981年12月31日、「第32回紅白歌合戦」。紅組1人目で河合奈保子さんが「スマイル・フォー・ミー」を歌った。↓ 日本レコード大賞に出演後、近藤真彦さんが自動車でNHKホールに移動した。↓ 自動車を降りた近藤真彦さん。↓ 大はしゃぎの近藤真彦さん。↓ 河合奈保子さん。大阪府大阪市出身(初出場)↓ 左は寺尾聰さん、右は近藤真彦さん。↓ 河合奈保子さん。↓ 奈保子さんの次に歌う近藤真彦さんが、舞台の袖で待機中。↓ 奈保子さんが歌う姿を見つめる近藤真彦さん。↓ 奈保子さんが無事に歌い終わった。↓ 近藤真彦さんが次に歌う。