2022/09/25(日)16:43
アグネスさんと河合奈保子さん(1)初々しさ
アグネス・チャンさんは、1972年に「ひなげしの花 (作詞:山上路夫、作曲:森田公一、編曲:馬飼野俊一)」でデビューしました。
そして、翌年には「草原の輝き(作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃、編曲:馬飼野俊一)」が発売され、日本レコード大賞・新人賞を受賞します。
当時、私は小学2年生でしたが、テレビで「ひなげしの花」を歌うアグネス・チャンさんの初々しさ、そして香港から日本に来て、日本語の曲を歌う姿に驚きました。
河合奈保子さんは、1980年6月に「大きな森の小さなお家 (作詞:三浦徳子、作曲・編曲:馬飼野康二)」でデビューしました。
同年6月30日に夜のヒットスタジオで、奈保子さんは「大きな森の小さなお家」を歌いました。その姿、笑顔、歌い方がとても初々しく、心に深く残りました。
私にとって、1972年のアグネス・チャンさん、そして1980年の河合奈保子さんのデビュー当時の姿が、重なって見えます。
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「昭和歌謡1945~1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人/平尾昌晃/廣済堂新書」p172~175に、平尾昌晃さんがアグネス・チャンさんの事を詳しく書かれていますので、一部を紹介します。
(p172)
あれは、いつだったか。香港・台湾洋上セミナーというイベントに招待され、総勢16人で香港に着いた時のことだ。
「さあ、香港だ。うまい料理でも食べようか」と下船したら、「平尾さん、お客様がお待ちです」と言う。誰だと思ったら、アイリーンだった。アイリーン(アグネス・チャンさんのお姉さん)という子は、一時期、日本でレコードを何枚も出した香港の美人女優兼歌手で、素敵なスターだった。
(そうか、そう言えば、今度、香港に行くって、彼女に話したっけ)
彼女はそれを覚えていて、僕を迎えにきたのだ。
「平尾さん、妹が待っています。会ってください」
~
(p137)
僕がアイリーンに連れていかれたのは、小さなスタジオだった。そこで「アグネス・ワールド」というテレビ番組をやっていた妹に会った。それがまだ14歳のアグネス・チャンだった。
DJの真似事かと思ったのは、彼女のラジオ番組だった。
当時、アグネスは香港で歌手デビューを果たした人気アイドルだった。しかし、僕はそれも知らなかった。アグネスは「いま、日本から平尾昌晃さんがスタジオに来てくれました。ちょっとお話をうかがいましょう」などと言い、僕を出演させた。そんなこと、聞いていないと思いつつ、はじめてアグネスと言葉を交わした。まだ、14歳なのに、素晴らしいタレント性だった。
~
(p174)
僕は驚いた。なんという高音の伸びなのだろう。しかも発音も素晴らしく、いつの間にか、まだ少女の彼女に魅せられてしまっていた。なみなみならぬタレント性を僕は長年のカンで感じとったのだ。
番組の収録が終わり、アイリーンとアグネスと食事をした。そして彼女の屈託ない笑顔を見た時、「この子は、日本でもきっとアイドルになる」と確信した。
そうして彼女は来日をした。
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「デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 PART2 GS、中3トリオ、新御三家からピンク・レディーまで!/近代映画社/平成12年1月10日発行」
(P74) アグネス・チャンさんの紹介があります。
香港生まれ。1969年に母国で歌手デビュー。1972年「ひなげしの花」で日本デビュー。「草原の輝き」「ポケットいっぱいの秘密」などのヒット曲でアイドルになる。
1978年トロント大学に入学し芸能活動を中止したが、卒業後は日本でテレビレポーター、司会などで活躍。
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↓ ひなげしの花を歌う、初々しいアグネス・チャンさん。
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↓ 河合奈保子さん。
↓ 1980年6月30日、夜のヒットスタジオで「大きな森の小さなお家」を歌う、
初々しい河合奈保子さん。
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「昭和歌謡1945~1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人/平尾昌晃/廣済堂新書」
p172~175にアグネス・チャンさんの事が書かれている。
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「デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 PART2 GS、中3トリオ、新御三家からピンク・レディーまで!/近代映画社/平成12年1月10日発行」
P74にアグネス・チャンさんの紹介がある。