カテゴリ:河合奈保子さん
「幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記/笹山敬輔/彩流社」を読みました。
本の帯には、「漱石も、谷崎も、川端も・・・・・・みんなアイドルにハマっていた!?」とあり、「アイドルとアイドルヲタ現象は明治からあった。1887年から1945年、明治・大正・昭和にかけて活躍しながらほとんど忘れられている『アイドル』に焦点を当てた異色のアイドル論にして”キワモノ”として埋もれてしまった大衆娯楽に光を当てた新しい大衆芸能史」と続きます。 本の構成ですが、次になります。 ・第一章 寄席の女神 - 絶対的エース 竹本綾之助 ・第二章 笑顔ダイヤモンド - 超絶かわいい松旭斎天勝 ・第三章 誘惑のタイツ - 三カ月のシンデレラガール河合澄子 ・第四章 てっぺんとったんで! - 宝塚の初期メンたち ・第五章 万歳Venus ー 戦時下のアイドル明日待子 この本を読むと、明治、大正、昭和にかけて、その時々の芸能人に対して、熱心なファンが応援するという事実が詳細に書かれており、人間の嗜好は変わらず、時代は繰り返すのだなと思いました。 p153から、「戦時下のアイドル明日待子(あしたまつこ)」として、新宿駅近くにあった「ムーラン・ルージュ新宿座」で活躍された明日待子さんの事が書かれています。 『ムーラン・ルージュ新宿座」は、満州事変が勃発した昭和6年(1931年)にオープンし、昭和20年(1945年)にB29爆撃機による大空襲で焼け落ちるまで続けられました。明日待子さんはこの店専属の看板踊り子で、大人気でした。 戦争の足音を感じさせる部分を紹介します。 (p153~154)昭和11年(1936年)2月に2・26事件が起こり、主導した青年将校たちは処刑され、その多くが所属していた東京第一師団は満州に派遣されることになりました。 その師団の兵隊たちが同年5月、ムーラン・ルージュ新宿座の舞台を見ていました。踊り子が総出演するレビューのとき、突然、兵隊たちが立ち上がり、「明日待子万歳!」と声をそろえて叫び、その中の一人が「明日待子さん、自分たちは・・・」と言いかけたところ、憲兵が駆け寄って、ビンタをくらわせ、劇場の外へ連れ出したそうです。 (p155)戦局が悪くなり、日本の兵力不足が顕著となったため、学生に許されていた徴兵猶予の特権が廃止され、学生たちも入隊して戦争に参加するという「学徒出陣」が始まりました。 明日待子さんのファンには学生が多く、その学生たちが出征前に「明日待子万歳」と叫んだそうです。 本には次の紹介がありました。 「演劇研究者の中野正昭は、当時を知る関係者から聞いた話として、当時の様子を次のように記している。場面は、最後の演目の終了間際、何人かの兵隊たちが万歳を唱えた後である。 明日待子が『これから軍隊に行かれる方、いらっしゃいましたらお手をお上げください』と言うと、今まで遠慮がちだった者たちも次々と手を挙げていった。そして舞台から降りて来た明日待子と踊り子たちは、一人一人の手を握って「ご苦労様。ご武運長久をお祈り致します」と、眼に涙を浮かべながら挨拶をして回った。(中野正昭『ムーラン・ルージュ新宿座ー軽演劇の昭和小史』)」 p162では、「正統派アイドルの王道」として明日待子さんの人気が詳しく書かれています。 「(明日待子さんの)当時の写真の中には、今でも通用しそうな可愛さで写っているものも残っている。彼女は、ポスターのCMモデルとしても人気があり、ライオン、キッコーマン醤油、カルピス、カゴメなどに起用されている。カルピスはすでに『初恋の味』のキャッチコピーで広告展開をしており、待子はイメージにぴったりだったということだろう。現在でもフレッシュなアイドルや女優が起用されるカルピスガールの元祖に待子がいたのである」 「昭和10年(1935年)に小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)が、新宿ー小田原間に週末温泉特急を走らせたとき、その車内案内放送に明日待子を起用したことがある。 ~ 当初は、各車両に1名の車掌が乘って沿線案内を行っていたが、それに代えて待子が吹き込んだレコードを流したのである。ムーラン・ルージュの人気アイドル明日待子の声を流すことによって、少しでも集客しようという戦略であった」 p164では、明日待子さんの印象、性格について書いてあります。 「待子は素朴で初々しく人形のような美しさだと言われ、性格も明るくてどんな時でも笑顔を絶やさなかったという。電車内で見かけたときには、『車内の注目の的になりながら、特別すましもせずテレもせず、愛嬌よく微笑みを絶やすことなく、お行儀よく座っていたのが印象に残った』と書かれている(本間正春『戦前の新宿ムーラン・ルージュ』)待子は、正統派アイドルの王道を歩んでいたのである」 p165「劇団員の中にも待子を悪く言う者はいない。彼女は客席の人気も楽屋の人気もあった」 私は河合奈保子さんの大ファンで、1980年のデビューから今日まで、奈保子さんの曲を聴かない日はないほどですが、上記の明日待子さんの記載を読むと、贔屓目ではあるのは承知で、まるで河合奈保子さんの事が書かれているかと思うほど、印象、性格の部分で重なる部分があると思いました。 河合奈保子さんは1980年6月に「ほほえみさわやか カナリーガール」というキャッチフレーズでデビューしました。歌声が自然にビブラートするところが心地よいし、高音も耳に気持ちよく聴こえます。そしてなんといっても素敵な笑顔、清楚で明るい振る舞いが大好きでした。仕事では辛い事や嫌なことがいっぱいあったと思うのですが、それを外には出さず、本当に「ほほえみさわやか」な女性でした。 本のp165~166に、熱心な待子ファンのことが書いてあり、心に残りました。 「ムーラン・ルージュの初日にいつも必ず同じ席から見ている学生がいた。あるとき、彼がスーツ姿で楽屋にやってきた。4年間通い詰め、今度就職が決まったので、記念に中村屋のロシア・チョコレートをプレゼントしたいというのである。中村屋では、昭和6年(1931年)に破格の待遇でロシアの製菓技師を採用しており、彼の指導のもとで多くのロシア菓子を販売していた。ロシア・チョコレートは当時、話題のスイーツだったのである。だが、ムーラン・ルージュでは、ファンレターが届いてもそれを読んでうぬぼれることのないように、本人に手渡されるのは半年から1年後となる程、座員の規律に厳しかった。今回は、4年間も通ってくれたファンを無下にすることはできないので、事務所の人が立ち合いのもと、ようやく青年の想いが遂げられたのであった」 「幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記/笹山敬輔/彩流社」には、有名な作家達もみんなアイドルを応援していたことも書いてあり、明治、大正、昭和の時代の雰囲気が分かり、とても興味深かったです。興味がある方はぜひ読んでください。 ーーーーーーーーーー ↓ 「幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記/笹山敬輔/彩流社」 ![]() ↓ 明日待子(あしたまつこ)さん。 ![]() ↓ 河合奈保子さん (企画制作:音楽専科社、協力:芸映プロダクション) ![]() ↓ 河合奈保子さん (企画制作:音楽専科社、協力:芸映プロダクション) ![]() ↓ 別冊近代映画 河合奈保子特集号/近代映画社/昭和56年(1981年1月15日発行) ![]() ↓ 河合奈保子 (奈保子フォトメッセージ)/近代映画社/昭和56年(1981年)8月5日発行。 ![]() ↓ 別冊近代映画 河合奈保子スペシャル Part3/近代映画社/昭和57年(1982年)7月1日発行 ![]() ーーーーーーーーーーー 「幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記/笹山敬輔/彩流社」 【目次】の紹介。 ![]() ![]() ![]() ーーーーーーーー ↓ 私が持っている資料本。 デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 Part 1 戦前~1964年/美空ひばり、石原裕次郎、吉永小百合から御三家まで/近代映画社。 この中には、「戦前スターグラフティ」のコーナーがあるが、明日待子さんは記載されていなかった。 ![]() ↓ デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 Part 2 1965~1979年/SG、中3トリオ、新御三家からピンクレディーまで!/近代映画社。 ![]() ↓ デラックス近代映画 20世紀アイドルスター大全集 Part 3 1980~1989年/松田聖子、中森明菜からおニャン子クラブまで!/近代映画社。 河合奈保子さんは、p12~15で、23枚の写真が紹介されている。 ![]() ーーーーーーーー 「幻の近代アイドル史 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記/笹山敬輔/彩流社」のp183~186に「参考文献&ブックガイド」の紹介欄があった。 【序章】の3冊の内、阿久悠さんの「夢を食った男たちー『スター誕生』と歌謡曲黄金の70年代」と、明星編集部編『「明星」50年601枚の表紙」は、手元に持っている。 ![]() ↓ 夢を食った男たちー『スター誕生』と歌謡曲黄金の70年代/阿久悠/文春文庫 ![]() ↓ 夢を食った男たちー『スター誕生』と歌謡曲黄金の70年代/阿久悠/道草文庫/小池書院 ![]() ↓ 「明星」50年 601枚の表紙 カラー版/明星編集部編/解題・橋本治/集英社新書 河合奈保子さんのページは、p213、214、216、219、221、222、225、227、228、235、240。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.27 12:26:10
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