星とカワセミ好きのブログ

2023/05/21(日)07:35

病室の人気者(河合奈保子さんの妹さん)

河合奈保子さん(484)

河合奈保子さんは1981年10月5日、NHKホールで行われた「レッツゴーヤング」のリハーサルで、4.5メートルの小セリから落下し、「第一腰椎圧迫骨折」で入院しました。 「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」P67には、この事故がきっかけで奈保子さんの母、妹が東京で暮らすことになったことが書かれています。 P67「ユカちゃんごめんね」 昭和56年(1981年)10月13日(火) 今日から妹の由香里が、東京の学校へ転校しました。 中3の二学期のおしまいに転校なんで、かわいそう・・・・ごめんね、ユカちゃん。 今が一番大切な時期なのに、私がこんなことになってしまって。 受験もあるのに・・・・ごめんネ。一日も早く学校に、東京の学校になれてください。 とっても大変だと思うけど、とってもつらいと思うけど、私にはこれぐらいしかいえません。 本当にごめんなさい。でも・・・、ユカちゃんならだいじょうぶよネ!ぜったい・・・ (日記より) 事故がキッカケで、おかあさんとユカちゃんは、東京で暮らすことになりました。 私を一人で東京におくのは、心配になったそうなのです。おとうさんは、お仕事があるので大阪で一人暮らし。私のせいで、とうとうこんな形になってしまいました。 おかあさんは、私の看病であわただしく大阪を離れて以来、帰ることもなく、東京の人になってしまいました。 ユカちゃんも、(10月)9日に上京したきり、制服も教科書もないままに、東京の中学校へと転校しました。 ーーーーーーーーーーーーーー 同本P108~111で、「病室の人気者」として、奈保子さんの妹のユカさんの似顔絵が紹介されています。 絵のじょうずなユカちゃんは、スタッフの皆さんの似顔絵を描いては、私を笑わせます。 「ネェネェお姉ちゃん。マネージャーの清水さんて”ムーミン”に似てない?」 ある時、こっそりと耳打ちしたことが、キッカケでした。 「これが清水さん。そいで、こっちがムーミン」 「キャハハハ、似てるゥ~」2人(?)が並んだ姿は、まるで兄弟のよう。セーターからお腹をポッコリと出した清水さんが、かわいいんです。 会社の部長さん、専務さんからバンドの大石さん、マキシムのお姉さんたちまで、とにかくみんな似ていました。じょうずに特徴をつかんでいて、実物よりいいみたい。(ハハハ、ごめんなさい) サインペン1色ではさみしいので、ユカちゃんが学校へ行っている間に、私がぬり絵をしていました。 できあがった順番に、壁にはってお披露目。お見舞いのお客様やスタッフの皆さんにも、大ウケにウケていました。回診の時には、担当の恒川先生までが、 「これはじょうずだねえ。ひとつ、ボクの絵も描いてもらえないかな」なんて。 陰でこっそりと『ツネちゃん』とアダ名していた私とユカちゃん。もちろん、喜んで描いてあげました。親しみを込めて、とびっきりじょうずにね。そのせいかしら、できあがった絵を見て、「こりゃいいぞ。実物よりハンサムに描けているよ」 壁にはった似顔絵は、退隠するまで、病室の人気をさらっていました。 おかげで、始終なごやかな空気に包まれていたような気がします。 ーーーーーーーーーーーーーー 河合奈保子さんの入院部屋の様子。(雑誌の切り抜きより) ↓ 壁に飾られたユカさんの絵。 ↓奈保子しんぶん Vol.5 昭和56(1981年)11月発行 芸映プロダクション・芸映友の会 河合奈保子FC編集部。 「奈保子の病院のお部屋」 ↓「わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/1983年5月20日初版発行」 ↓「新装版 わたぼうし翔んだ 奈保子の闘病スケッチ/河合奈保子/ワニブックス/復刊ドットコム/2021年8月31日初版発行」

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