2023/08/26(土)05:43
北海道自転車旅行(4)長万部→洞爺湖(1986年8月12日)
今から37年前ですが、1986年8月に北海道を自転車で旅行しました。(1988年8月9日~8月21日)
4日目は長万部から洞爺湖に移動しました。
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【4日目 : 1986年8月12日(火)】
・長万部駅近くで野宿をした。朝起きると雨だった。
長万部駅近くの店でラーメンを食べた後、昨夜仲良くなった自転車仲間達と別れ、洞爺湖を目指した。
途中の礼文崋山トンネルは、走るのが大変だった。
・洞爺駅の店で絆創膏を購入し、洞爺湖まで自転車で走った。
洞爺湖畔から遊覧船「羊蹄」に乗って、洞爺湖の中央にある弁天島や大島に行き、大島博物館を見た。
・虻田町立火山科学館に行った。1977年8月7日、有珠山の大噴火が起こり、災害が起こった記録を見ることができた。
・洞爺湖畔の光風園で風呂に入った。町は観光客が多かった。店でワンタンを食べた。
自転車で旅行している人と知り合い、洞爺湖の花火大会を見た。湖上のボートから花火が打ちあがり、空と湖面に花火の光が見えて美しかった。
当時、1986年3月に発売された松任谷由実さんの「ダ・ディ・ダ(DA・DI・DA)をテープに落とし、ウォークマンで聴いていた。「メトロポリスの片隅で」、「月夜のロケット花火」、「シンデレラ・エクスプレス」がお気に入りだったが、洞爺湖の花火を見ていると、自然に「月夜のロケット花火」を口ずさんでいた。
「高く上がれ 今年最後のロケット弾
白く照らせ 今夜最後のバケーション
夜空に消える」
・洞爺湖温泉の火山科学館の入り口で、自転車で旅行している人と野宿をすることにした。寝袋に入り、お互いに自転車旅の思い出を話していたところ、バイク旅行をしているという3人組がやってきた。一緒に寝ても良いかと言われたので、スペースを開けた。私と知り合いが話の続きをしていると、バイク旅行の人が、「うるさいので黙って欲しい。我々はバイク旅行で疲れている」と言ってきた。私は「バイクより自転車で走る方がもっと疲れる」と嫌味を言ったが、知り合いが「自分は簡易テントを持っているので、そちらで寝よう」と言ってくれた。
結局、私たちが外に出て、テントで寝る事になった。
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帝国書院 最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院。
長万部→洞爺湖
↓ 長万部→洞爺湖
↓ マップルガイド17 北海道/昭文社/昭和61年(1986年)5月第4刷発行。p32~33。
道央より。
↓ マップルガイド17 北海道/昭文社/昭和61年(1986年)5月第4刷発行。p63。
洞爺湖。
↓ 1986年8月12日、長万部を出発して洞爺湖へ向かう。
↑ 室蘭本線。
↓ 洞爺駅に到着。
↓ 洞爺湖畔で記念撮影。
↓ 洞爺湖温泉街。
↓ 洞爺湖と、中央にある大島、弁天島。
↓ 洞爺湖汽船株式会社の遊覧船「羊蹄」チケット。
↓ 洞爺湖汽船株式会社の冊子を購入した。
「洞爺の旅 支笏洞爺国立公園・洞爺湖の自然」
↓ 「羊蹄」乗船記念/洞爺湖汽船株式会社。
↓ 「羊蹄」遊覧船に乗って、洞爺湖の島に行く。
↓ 魚たちが集まる。
↓ 洞爺湖の大島。
↓ 熊の剥製。大島にある森林博物館。
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↓ 洞爺湖温泉街にある「虻田町立火山科学館」に行った。
↓ 1977年8月7日、有珠山が大噴火した。
↓ 虻田町立火山科学館。
↓ 火山科学館のチケット。
↓ 火山科学館で撮影した写真。(有珠山大噴火 昭和52年:1977年8月7日の有珠山大噴火の写真)
↓ 火山科学館入管記念スタンプ。
↓ 岡田有希子さんのポスターを見かけた。
↓ 洞爺湖畔にて。私と自転車。
↓ 有珠山が噴火して泥流が流れた場合、それを流す水路ができていた。
↓ 昭和新山と自転車。
↓ 洞爺湖と観光船。
↓ 洞爺湖の花火大会。
私は花火を見ながら、ユーミンの「月夜のロケット花火」を歌っていた。
↓ 1986年3月に発売された松任谷由実さんの「ダ・ディ・ダ(DA・DI・DA)」をテープに落とし、ウォークマンで聴いていた。「メトロポリスの片隅で」、「月夜のロケット花火」、「シンデレラ・エクスプレス」がお気に入りだったが、洞爺湖の花火を見ていると、自然に「月夜のロケット花火」を口ずさんでいた。
「高く上がれ 今年最後のロケット弾
白く照らせ 今夜最後のバケーション
夜空に消える」
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↓ 火山科学館で、自転車で知り合った人と寝袋で寝る事にした。
自転車旅行の話で盛り上がった。
↓ バイク乗りの人たちが来たので、場所を詰めた。話をしていると、バイクの人達が「うるさくて寝られない」と言ってきた。結局、我々が外に出て、知り合いの簡易テントで寝る事になった。
これは、朝になって記念撮影した写真、