2024/03/17(日)15:30
長崎本石灰町の御朱印船(2023年10月15日)
2023年10月15日、長崎大浦天主堂前で、長崎・本石灰町(もとしっくいまち)の御朱印船を見ました。この御朱印船は全長6メートル、高さ5メートル、重さ5トンで、根曳衆が船を動かしていました。
長崎諏訪神社の有名な秋季大祭「長崎くんち」で、本石灰町の御朱印船が神社に奉納されます。
御朱印船には「荒木」という文字が記されています。17世紀に東南アジアとの貿易で財を成した貿易商人荒木宗太郎の船を表しています。そして船体にはオランダ東インド会社(VOC)のマークで飾られています。
荒木宗太郎は肥後国(熊本県)出身で、長崎に移住後、豊臣秀吉から御朱印状を交付され、御朱印船貿易の仕事を行ないました。1606年にシャムのアユタヤ王朝(タイ)、1610年に安南の広南国(ベトナム)、1619年からはインドシナ半島の航海を行っており、それが縁で広南国(ベトナム)君主阮福源の養女アニオーと結婚しました。1632年に江戸幕府から鎖国要請があり、家族で長崎に戻りました。
この御朱印船は、宗太郎が安南国(ベトナム)の王女アニオー姫を妻に迎え長崎に戻ってきたときの様子を再現しており、船の上部には荒木宗太郎とアニオー姫役が座っています。
本石灰町は思案橋がある町です。思案橋は丸山遊郭の入り口にある橋で、当時多くの人が遊郭に行くか戻るか橋の手前で考えたので「思案橋」という名前になったそうです。
本石灰町は、マカオから運ばれた石灰(しっくい)の荷揚げ場所だったのが町名の由来です。
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↓ 長崎・大浦天主堂の前にて。
本石灰町(もとしっくいまち)の御朱印船。
↓ 御朱印船がグラバー邸の方に進む。
↓ オランダ東インド会社(VОC)のマーク。
↓ 荒木宗太郎とアニオー姫役の2人。
↓ 船体に「荒木」という文字が見える。
↓ グラバー邸入口。
↓ 大浦天主堂前。
↓ 長崎港が見える。
↓ 長崎(国際電信発祥の地、長崎電信創業の地、南山手居留地跡)。
↓ 我が国ボウリング発祥の地。
↓ 四海樓。
↓ 順風耳(じゅんぷうじ)
中国に昔から伝わる航海の神様「媽祖」の家来で、千里先のあらゆる悪の兆候や悪だくみを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせる役目を持っている。
↓ 千里眼
中国に昔から伝わる航海の神様「媽祖」の家来で、媽祖の進む先や千里先の動きを監視して、あらゆる災害からま祖を守る役目を持っている。