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2025.05.03
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カテゴリ:河合奈保子さん
「浜村淳の人・街・夢」(関西テレビ1993年6月4日放送)で、浜村淳さんと藤原みえさんが河合奈保子さんと一緒に、奈保子さんが1年間通っていた大阪女子学園高校(現・大阪夕陽丘学園高校)を訪問しました。
奈保子さんはマンドリン部に入って高校生活を頑張っていましたが、ヒデキの弟・妹コンテストで優勝したため、1年生最後の1980年3月に上京し、同年6月に「大きな森の小さなお家」でデビューしました。
会話の一部を紹介します。


3人は『学園坂』を上る。
【浜村】今、奈保子ちゃんが通っておりました大阪女子学園を訪ねようとして歩いておりますが、これが有名な『学園坂』。
【河合】そうですね。懐かしいですね。
【浜村】雰囲気がありますね。向こうが谷町筋で、こっちが松屋町筋ですね。それを繋ぎます『学園坂』。
ここで3人は大阪女子学園の敷地に入る。

2階の廊下を皆で歩く。
【浜村】ただいま、マンドリン部の顧問を務めていらっしゃるI先生です。よろしくお願いします。
奈保子ちゃんの頃も、今も、マンドリン部はこの辺で練習をしているわけですか?
【I先生】ずっとこの階で、各教室にファーストとかセカンドとか、ドラとかセロとか分かれまして、だいたい全部押さえておりまして。
【浜村】もちろん奈保子ちゃんはこの辺は、よく覚えてますよね。
【河合】あの階段なんかは、よく楽器を運んで。一年生がティンパニーとか大きいのを皆で運ぶんですよ。

2年7組の部屋に入る奈保子さん。恩師のMさんに会う。
【河合】あ~あっ、こんにちは!(驚く奈保子さん)
【浜村】先生がいらっしゃいますね。さあさあ奈保子ちゃん、先生を紹介してください。
【河合】M先生です。
【浜村】M先生、当時の。
【河合】ご無沙汰しています!どうも。お元気でいらっしゃいますか?
【M先生】ありがとう。(二人で握手をした)
【浜村】M先生は当時のマンドリン部の。
【河合】顧問の先生で、曲の編曲とか全部されて。

M先生の指揮の下、奈保子さんがマンドリンを弾いた。
奈保子さんが無事弾き終わると、奈保子さんはキャハハと大喜びで、皆さん拍手した。
【浜村】うまい!覚えてますね!久しぶりにマンドリンを持ったのに。
【河合】恥ずかしい!なんか指が震えちゃって。
【浜村】(奈保子さんは)どんな生徒でした?
【M先生】おべんちゃらじゃなしに、いい生徒でした。
【浜村】どういう意味で?
【M先生】クラブの中でも、やさしくみんなをまとめていく、上手に。人気者でしたよ。
【浜村】マンドリンの腕はどうでした?
【M先生】抜群でしたね。マンドリンの腕も抜群でしたが、楽見の試験を僕がするんですよ。(奈保子さんが)いつでもトップでした。
【浜村】そうですか。当時のクラブというと、どんな状態でしたか?マンドリン部は。
【河合】そうですね。定期演奏会が毎年行われてて、あと新見の方にも演奏旅行とか、岡山とか・・・。
【M先生】お呼びがいっぱいかかっとった時分ですわ。
【浜村】先生は、厳しかったんですか?
【河合】そう、厳しく優しく(笑)。
【浜村】それでね、先生。彼女が1年生で、もう学校を辞めてしまうと、芸能界に入ると知ったとき、どういうお気持ちでした?
【M先生】惜しかったですね。音楽学校に行かせたかった。
【浜村】そういう才能が大いにあると先生は見てはりました?
【M先生】ありますね。
【浜村】あれ(ヒデキの弟妹コンテスト)はなんで応募したんでしたかね。やはり秀樹のファンで?
【河合】それもありますけど、やっぱり歌手になりたいという夢があって。(マンドリンとは)ジャンルが全然違うんですけど。
【浜村】ヒデキの妹のコンテストにこうして選ばれ優勝した以上、そっちに行きたいと決心したとき、まず学校では誰にまっさきに言いましたか?
【河合】やっぱりクラブのM先生と、お世話になってる先輩方に。
【浜村】そういう場合、先輩はどう返事するんですか?
【河合】や~あ、確か私、オーディション受ける時、今だから言うんですけど、嘘ついて、東京にリハーサルの日にちがあったので、2日間クラブの練習を休まなきゃいけなくて、それで東京で親戚の結婚式がありますと言っちゃって、(東京に)行ったんですね。オーディションに受かりたいという気持ちはありましたけど、まさか受かるとは思ってなかったので、事態がこういう形になってしまって。一番自分がとまどったんですけど。
【M先生】生徒はみんな割に、良かったね、良かったねと言うてたようですよ。
【浜村】こうしてお話を聞いてみると、やっぱり奈保子ちゃんは小さい頃からピアノに親しみ、オルガンに親しみ、マンドリンに親しみ、色々な楽器をやってきました。それがいよいよ芸能界に入って、役に立ったなあと思いますか?
【河合】もう、すごく役に立ったと思います。特にマンドリン部で厳しい練習をずっとやらせていただいて、こういった小さい頃から音楽をやろうと思っていたわけじゃないのですけど、振り返ってみると何らかの形で楽器に触れていった自分が今いるんだなあって感じるんですけど。これからもいい意味で音楽との関わりや距離感を保ちながら進んでいけたらいいなと思います。


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↓ 浜村淳さんと藤原みえさんが河合奈保子さんを囲み、大阪の『学園坂』を上っていく。








↓ 大阪女子学園 (現・大阪夕陽丘学園)
(当時河合奈保子さんが1年間通っていた)


↓ 高校生の頃の河合奈保子さん。
「マンドリンに夢中だった頃の思い出」





↓ 現・マンドリン部顧問のI先生。











↓ 当時奈保子さんが習ったマンドリン部顧問のMさんに会い、深くお辞儀をする奈保子さん。


↓ 奈保子さんにマンドリンを指導されたMさん。


↓ 奈保子さんが高校1年生の時の、M先生と奈保子さん。


↓ Mさんの指揮の下、マンドリンを弾く奈保子さん。











↓ 奈保子さんが無事弾き終わり、拍手をする皆さん。






































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最終更新日  2025.05.07 21:22:27
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