粉浜と河合奈保子さん【9】楽屋での再会(1982年)
手元の雑誌切り抜きで、「感激!4500人の奈保子コール」があり、中には「楽屋にたずねてきた、小学校以来の仲よし3人組。コンサートが終わって、お好み焼きをパクパクやりながら、久しぶりの同窓会です」という記事があったので、紹介します。ーーーーーーーーーーー集まった3人は、家も近所同士で、学校も小学校、中学校とずっと一緒。おままごとから男の子のお話までつき合ってきた仲よしグループなのです。この春にそれぞれの高校を卒業して、自分の道へ。(友人のSさん、Оさん、Tさんの紹介あり)~「でも、ええなあ・・・。みんな、行く道があって。ウチだけや、全然、出世せんのは」と、お好み焼きを口いっぱいの奈保子。ちょっと、さびしそうなのです。「なに言うてんの。奈保子が一番出世しとるやないの。ウチら、テレビにもよう出らんのに」Sちゃんの声に、「そりゃ、無理や。絶対」とふたり。ギャハハと大笑いで、その騒々しいことったら・・・。「でも、元気になってよかったな。ウチら心配しとったんやけど、退院してから温泉から電話くれたやろ?いつもの奈保子で安心したわ」とОちゃん。(注:1981年10月5日にNHKホールで奈保子さんがセリから落ちて、第一腰椎圧迫骨折で入院した。退院後、山梨県の桃ノ木温泉で療養していた)「あのときな、電話代が1時間で4,970円やて!そんなに長かったかな?」首をかしげる奈保子。「あんたの長電話は昔から変わらんな。テストの前なんて、しょっちゅうやったもん」とTさん。 「あっ、テストって言えば、みんなで参考書を持ち合って、学校の帰りに誰かの家で勉強しようとしたことがあったやろ?」クスクス笑いの奈保子。「あった、あった!それで、誰の家にしょうかてうろうろカバンさげて歩いてるうちに、マクドナルドでハンバーガー食べて、道草して、結局、なーんもやらんうちに夜になって家に帰った・・・」とОちゃん。これもケラケラ笑い。「ほんで結局、10何点しかとれへんかった。みんな連帯感だけは、強かったから」と奈保子。勉強会という名目で、奈保子の家にみんなして集合したこともたびたびだけど、最終的にみんな、お菓子食べ食べ、遊んでしまうので、テストが終わるたびに深く反省のパターン繰り返し。「でも、Оちゃんが頭のよい子にとり入るのがうまくて、よくノート借りてきて助かったわ。みんなで写しっコしたもん」奈保子、ペコッ。「そういう性格やから、銀行入れたんや」とTちゃんが言って、一同またまた大笑いなのです。「ねえねえ、奈保子のレコード買うてくれてる?」「おっ、さすが芸人や」とおちょくるみんな。「(1981年)12月5日にレコード店へ買いに行ったけど『ラブレター』売っとらんかったよ。電車賃、後で返しなさい」とTちゃんが言う。「ガメツイなァ、あんたも。でも、奈保子のレコードでは、デビュー曲が一番良かったわ。なんや奈保子の性格に一番合うとる」とОちゃん。みんな吹き出して「ナーイ、ナイ」と合唱。奈保子、落ち込んで「どうせ子供ですヨ!」(注:奈保子さんのデビュー曲は『大きな森の小さなお家』で、「誰も見たことナーイナーイ」で歌が始まる)さて、18歳の娘たちと言えば、番茶も出花!?なかには、ボーイフレンドのいる子も・・・。「Sちゃんの彼氏、素敵なんやて。ひとつ年上のひとらしいんや」とTちゃん。ニヤニヤ。「ああ、うらやましいな。お願いだから、ウチの前でその話、せんといてな。淋しくなるから」と奈保子くん。必死にお願いであります。「もう、奈保子はいつまでたっても子供なんやから」「あんたも、いい人見つけんとアカンよ」とそれぞれから激励(?)される奈保子。「でも、誰が一番最初にお嫁さんになるかな?」って奈保子が言うと、みんなで「あんたが、一番最後!」「あっ、ヤダー、もう、意地でも絶対最初に結婚してやるからね!」「そんときは、ウチがウェディングケーキを作ってあげるわ」とSちゃん。「ウチが銀行からお金貸してあげるから、盛大にやってな」とОちゃん。「ウチは、料理食べてやる」とTちゃん。奈保子の友達もやはり、ハッピーな子たちばかりなのだ。久しぶりに懐かしい顔とおしゃべりをし奈保子の心は100%ハッピーだった。「この前『レイダース』見に行ったの。でも、入ったとたん、ヘビがウジャウジャ出てきたから、ずっと下を向いたままで、結局どういう映画かゼンゼンわかんなかった。みんな、オモシロイって言ってるけど、ホントかなァ」いつまでも無邪気なこの子(奈保子さん)、お嬢さんになるのはいつかな?