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八の字の巣穴

八の字の巣穴

「業火の中で」

 雪に閉ざされたソーンリーム遺跡。
 その内側は、ファンタズマゴリアとは異なる世界に入り込んでしまったかのように感じざるを得ない、異質な空間。
 今ここで、この世界の行く末を決める戦いが行われていた。





 紅蓮の炎が荒れ狂う。
「く……」
 悠人は降り注ぐ灼熱の塊をかわしきれず、呻きとともにオーラフォトンの壁を創り出して遮断する。
 その上でなお気が狂いそうになるほどの熱量。皮膚の感覚も既にない。
 経てきた戦いで培われた経験によって、向かい来る熱線の軌道から未然に身を外す。
 炎の雨を弾き飛ばし、溶岩の柱は吹き散らす。
 エトランジェとして戦い抜いてきた成果、『聖賢』から引き出した力と与えられた知識。それらは個々の攻撃を防ぐには充分すぎるほどのものだ。
 それでも、敵の攻撃はあまりにも厚かった。
 周辺で炎のない場所はない。ただここに立っているだけでも存在が削られてゆく、そんな気さえするほどだ。
 しゅるしゅると啼き、この場を作り出している存在がまたも踊る。
 悠人の身長を凌駕する大きさの、逆さにした涙滴状の赤い肉体。その中央で縦に裂けた眼裂からは巨大な単眼が覗いている。
 そして、その頭上には王冠。
 ロウエターナルの一員にして<法皇>テムオリンの配下、<業火のントゥシトラ>だ。
 踊っているように見えるのは、無論のことそのままではない。
 触毛のひとつひとつすらが炎を喚んでいるのだ。
 炎は縒り合わさり、巨大な紅蓮となって放たれる。
 空間そのものを重く震わせるほどの爆裂は、到底かわすことなどできるものではない。
 悠人もそれは承知していた。
「……ここだっ!!」
 『聖賢』からの補助を受け、オーラフォトンで身を守りながら前に出る。
 爆風に乗って一気に接近しようというのだ。
 背中に走る激痛。まだ痛みが走ってくれることに悠人はむしろ感謝した。
 これならばもっと戦い続けられる。
 袈裟切りに振るわれた『聖賢』を、ントゥシトラは避けようとはしなかった。
 その赤い巨体が切り裂かれ、血液が迸る。
「っ!!?」
 悠人は歯を食いしばった。
 ントゥシトラはその身を流れる血液すら灼熱、返り血が悠人を焼く。
 しかしここを逃してはならない。
 悠人もオーラフォトンを収束して撃ち出すという手を持ってはいるが、やはり遠距離戦は分が悪い。
 浮遊したまま後方へと離脱するントゥシトラに追撃をかけようとして、そこで何かを叩きつけられた。
「……ち……」
 炎ではない。
 まるで頭の中に圧倒的な何かが入り込んでこようとしたかのような感じだった。
 ふらついたのはほんの少しの間だけ。その短い間に距離を空けられてしまう。
 取り戻すために悠人は前方へと跳躍しつつ、『聖賢』へと尋ねる。
『あいつの神剣って精神攻撃か何かあるのか?』
『ありえん。名が示すとおり、炎が象徴するものを司っているだけだ』
『じゃあ何だっていうんだよ!?』
 火炎の矢を払い落としつつ、悠人は炎の薄い箇所を探す。
 『聖賢』との同調は戦いの中で自然と上昇してゆく。
『少しは頭を使え。神剣の力ではないのであれば、あの存在が元から有している能力だろう』
『元から……?』
 悠人はントゥシトラの姿を確かめる。
 人間とはまったく異なる異形。いかな能力を有していたとしても不思議ではない。
『少し待て。調べてみよう』
『頼むぜ』
 オーラフォトンを収束させる。
 打撃にするためというより、炎の中に道を切り拓くためだ。
 しかし、その過程の半ばで先ほどと同じものが来る。
 重い衝撃にも似た、それでいて駆け抜ける風にも似た、何か。
 頭が割れそうになる。
「まったく……何だっていうんだよっ!」
 堪らない。
 身体が受け付けない。
『おい!』
『聖賢』を急かす。
 一刻も早くこれを何とかしないと、ここを起点に敗れてしまいそうな気すらする。
 だが、答えは思いも寄らぬものだった。
『……これは攻撃などではない。思念だ。お前に語りかけてきている』
『語りかけて……って……何言ってるかなんて分からないぞ?』
 エターナルは永遠神剣の力によって、いかな言語であっても概念を解して理解することができる。
 なのに、先ほどからのものは苦痛を感じるだけだ。
『無理もあるまい。今のお前では頭が足りん』
『……俺が馬鹿だからって言いたいのか?』
『それもないではないが……むしろ向こうが問題だ。とてつもない数の意思から発せられたあの思念をまともに受け止められるとすれば、 両陣営を合わせても十名にもなるまい』
『……例えばテムオリンみたいにか?』
 敵の首魁を思い出す。少女というよりも幼女と呼びたくなるような外見に、薄ら寒くなるような力を秘めた存在。
 彼女ならば理解できるのだろう。だから従えることができる。
「この……!」
 少し動きが遅れたために直撃するところだった熱線を『聖賢』で相殺し、悠人は叫んだ。
「『聖賢』、なんとか話できないか!?」
 純粋に相手を屠ることを考えれば、それは余分なこと。
 だが悠人は望んだ。
 思念を向けてきているということは、向こうから何か伝えたいことがあるということだ。
 聞いてみたいと思った。それがたとえ殺意の塊であったとしても、自分が今戦っている相手が何を考えているのか知りたかった。
 自分が殺した相手にも、生きてきた昔があり、生きてゆくはずだった未来がある。それはファンタズマゴリアでの戦いでずっと思い続けたこと。
 相手がエターナルであっても、その気持ちは変わるものではない。
『よかろう……なんとかお前が理解できる程度に緩和してみよう』
 『聖賢』は、悠人の思いを無碍にはしなかった。
 その力を解放すると、途端に悠人の頭にかかる負荷が激減する。
 それでも頭痛を起こすほどではあったのだが、今までただの苦痛であったものが、漠然と意図を感じられるようになった。
 分かるようになって最初の意思は、こうだった。
 何故に抗うのかという、疑問。
 その奥にある感情までは分からない。疑問だけですら脳内を反響して侵す。
 それを打ち消そうとするかのように悠人は叫び返した。
「守りたいからだ!!」
 スピリット隊の皆、レスティーナ、光陰、今日子、ラキオスの人々。
 自分が喚ばれ、戦ってきたこの世界。
 守るために、たった一人でエターナルとなったのだ。
「お前たちこそ……世界を滅ぼして、一本の永遠神剣に還してどうするっていうんだよ!? そんなことをして何になる!!?」
 悠人は己の言葉がントゥシトラに通じているかどうかなど気にもしていなかった。
 溢れ出す想いをただ叩きつける。
 果たして、答えははっきりと返ってきた。
 すべては不完全だということ。
 いかに完全を求めても、存在が完全たりえることはないということ。
 真に完全、真に永遠たることを望むならば、在ってはならないということ。
 しかしそれが叶わぬならば、せめてすべてを原初の一本へと還し、最も完全に近い一となるしかないということ。
 叩きつけ、破壊せんばかりの思念だった。
 悠人は知らない。
 全にして個、個にして全となったントゥシトラが求めるさらなる高みこそが、最も完全に近い一となることなのだ。
「不完全だから何だっていうんだ! 完全だからって何なんだよっ!? 独りになって……そんなのはっ……!」
 ずっと皆に支えられてきた、と悠人は思う。
 エターナルとなり、以前よりも大きな力を手に入れた今でも、やはりそう思う。
 たとえ忘れ去られていようと、悠人にとっては今こうして戦い続けられる最大の理由は彼女たちなのだ。
「そんなのは寂しいだろっ!!」
 残響すら終わる時間は与えられなかった。
 即座に思念が押し潰そうとしてくる。
 それは脆弱さゆえだということ。
 一つになるとは、その脆弱さを補い合い克服することだということ。
「できやしない……どんなに強くなったって独りじゃいつか倒れるんだよ!」
 思うのは瞬のこと。
 あれはきっと、支えてくれる者のいなかった自分。元の世界でも、このファンタズマゴリアでも。
 いつしか、双方の攻撃の手が止んでいた。
 距離をおいて向かい合い、声と思念とが交錯する。
「不完全でいいんだ。不完全だからこそ誰かを大事に思って、支え合っていくんだろ!!」
 愛欲は子孫を残すために仕組まれたまやかしに過ぎないこと。
 群れ集うことも同じく種の保存のためだということ。
 悠人は『聖賢』を握る手に力を込めた。
 大きく息を吸う。
「そんなことはない! アセリアたちは……子供ができなくたって誰かを大事に思い続けてる!!」
 ントゥシトラを悠人、メダリオを時深、ミトセマールを光陰と今日子が受け持っているうちに、スピリット隊の皆はエターナルミニオンを相手に今も戦い続けている。
 オルファリルへの攻撃を、その身ごと盾にして防ぐエスペリア。
 エスペリアへと飛来する火炎弾を打ち消すセリア。
 ニムントールは仲間に次々と風を纏わせてゆき、傷ついた者はハリオンが癒す。
 アセリアとヒミカ、ヘリオンが先駆けとなって敵陣を切り崩す。
 背中合わせに手数で押すネリー、弱いところへ痛烈な一撃を叩き込むシアー。
 ウルカとファーレーンは疾風の如くに敵陣深く踏み入って青のエターナルミニオンを葬り去って即座に離脱。
 そしてオルファリルとナナルゥが一気に焼き尽くす。
 それは長い戦いの中で鍛え上げられた連携ではある。
 だが、ただ効率よく勝つためだけのものではない。
 誰も失わせず、全員が生き残るために己のできる最善を尽くす姿なのだ。
 スピリットに血の繋がりはない。己の血が次代へと継がれることもない。『再生』によって生み出されるのみである。
 それでも互いに思い合い、ひとつの家族となって生きているのだ。
「無駄なんかじゃない、虚しいものなんかじゃない! お前が何を悟ってるのか知らないけどな、これだって真実なんだ!!」
 絶叫にも似た思いの吐露。
 遠くから戦いの音は響いてきても、ここだけが静寂に沈んだ。
 返事は、すぐには返ってこなかった。
 ントゥシトラの単眼が悠人の奥底までを見通すように貫いている。
 悠人は知らない。
 ントゥシトラの高すぎる知性は、事実から眼を背けることを己に許さない。
 己を偽ることを許さない。
 今の己の持つものは厳然たる事実、しかし見えているものも今まで己が気付いていなかっただけの事実。
 そして知への渇望がそのすべてを満たす。
 ならば、とントゥシトラの統合意識が動く。
 悠人へと、改めて思念が叩きつけられる。
 今までで最大の強さ。
 その事実が普遍であることを悠人はントゥシトラに示さなければならないということ。
 思念はそれが最後だった。
 ントゥシトラが炎を喚び、一帯は再び炎に包まれる。
 それは戦闘再開の合図。
「何だっていうんだ、もう問答無用なのかよっ!!」
 悠人も『聖賢』を構え直し、地を蹴った。
 既に、双方とも余裕があるわけではない。悠人とントゥシトラの戦いは、自分が倒れる前に相手を倒せるのはどちらなのかを競うが如きものなのだ。
「『聖賢』、力を貸してくれ……俺は……希望を繋ぐ力になるんだっ!!」
 『聖賢』から今この瞬間のすべてが流れ込んでくる。最良のタイミングに最高の動きを重ね、ありったけのオーラフォトンを叩き込む。
 それは単純でありながら、ある意味においては剣の理想と言えるもの。
 オーラフォトンを纏って眼前にまで瞬時に踏み込んだ悠人は、渾身の一撃を放った。
 光の柱とすら呼べる力の刃がントゥシトラの巨体を切り裂いてゆく。
 だが。
 ぐふるしゅしゅうと、ントゥシトラが吼えた。
 ぞくりと悪寒が走る。灼熱の返り血などもはや問題ではないほどに意識が凍りつく。
 倒しきれていない。それどころか、赤のマナが急速に集中、オーラフォトンへと変換されてゆく。
 こんな状態で、こんな至近距離から、こんな力を受ければひとたまりもない。
 しかし対応すべき悠人は全力の一撃を放ったがための、一瞬のマナの虚脱を起こしている。
 負けるのか? そんな言葉が脳裏を走った。
 そして、皆の顔が意識を埋め尽くしてゆく。
 失いたくない。失わせたくない。
 そのためにこの力を手に入れ、戦い続けることを選んだのだ。
 ぶるりと身体が震えた。
 恐怖ではない。武者震いが最も近いだろう。
「見せてやるよ、これが絆だ……俺たちの力だっ!!」
 枯渇していたはずのマナが溢れてくる。
 守りたいもののために、永久にでも戦い続けられるだけの活力が湧き出してくる。
「うおおおおおおっ!!!」
 『聖賢』は振り下ろされた状態。そこから更に最適な剣筋を見出し、先の一撃に勝るとも劣らぬ一撃を放つ。
 本来ならばできるはずのないこと。
 後がないほどの渾身に更なる渾身を重ねるなど、不可能なのだ。
 だが今、悠人は重ねられるはずのない渾身に渾身を重ねた。
 未曾有の事態にオーラフォトンが爆発を起こし、世界が震える。
 『聖賢』は抵抗すら感じぬほどに滑らかに、今度こそントゥシトラの巨体を二つに断ち割った。
 ントゥシトラの声にならない断末魔。
 透明な液体が宙を舞った。
 しかしそれは高熱の中に即座に蒸発し、何も残らない。
 ントゥシトラ自身も金色のマナの霧となって消えてゆく。
 勝った。
 悠人は確信とともに、膝をつきそうになる。
 が、『聖賢』を杖に堪えた。
 戦いそのものはまだ終わっていない。皆の援護に行かなくてはならない。
「行くぞ、『聖賢』!」
 だから、気付いたのは『聖賢』だけだった。
 気付いてなお黙っていた。悠人にとって今はそれよりも大事なことがある。
 戦いはあと少しだ。障害こそ多いが、この世界の命運が決するまでに要するであろう時間はさほどない。
 伝えるのはその後でもいいと判断したのだ。
 『聖賢』にも意味を読みきれなかったということもある。



 悠人が二撃目を放つよりも早く行使できたはずの炎の力を、ントゥシトラは行使しなかったのだ。


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