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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第一話「結成」

 三峰朱鷺子は委員長である。
 小学校に入学してからこの方、委員長ではなかった年はない。
 なりたかったわけではないのに、一度の例外もない。高校生になっても委員長だ。
 もう慣れてしまった。自分なりの統率の仕方というものも得て、毎年委員長を務めている。
 だが朱鷺子自身は、なぜ自分が選ばれ続けるのかには気付いていない。
 他人から見れば、選ばれないわけがないのだ。
「そこ、私語を慎め」
 講義中、ざわめきのある一角へと一喝する。
 端的で自信と威厳に満ちた口調。それは静かでありながら有無を言わせぬほどの迫力に満ちていた。
 ぴたりと声がやまる。
 朱鷺子は頷くと、教官を促した。
「続きをどうぞ」
 むしろ教官の方が呑まれて、戸惑い気味に講義を進める。
 数学だ。
 朱鷺子も退屈ではあった。
 自分はもう充分理解していることを延々と解説されても、何かを得ている気がしない。だがまだ分からない者もいるだろう、と退屈な講義を聞いている。
 それにしても、と思いながらちらりと視線を走らせる。
 本当に聞いている者は何人いるのだろう、そんなことを本気で考えてしまうほど、皆の注意は散漫している。
 朱鷺子のよく知っている少年も顎杖をついて何もない壁を見ている。
 さもありなん、と朱鷺子は黒板に視線を戻した。
 講義はつつがなく進んでゆく。
 練習問題を解いてみる。
 やはり簡単だ。
 思いそのままの皮肉げな笑みが朱鷺子の頬に浮かぶ。
 ちょうどチャイムが鳴った。
 教官が前で何か言っているが、皆はもう聞いてもいない。
 休み時間だ。
「姐さん姐さん」
 不意に後ろから肩を叩かれる。
「なんだ?」
 朱鷺子は驚きもせず振り返った。
 後ろの席に座っている上野京介は何かあるとすぐ肩を叩くので慣れているのだ。
「実はさ、今日の日直、葉の字の旦那なんだけどさ、言ってくんないかな?」
 京介がおずおずとした口調で言う。
「さっきの休み時間は気付いたんで替わりにオレが黒板消したんだけど……」
 なるほど、確かにそんな光景を見た覚えがある。
 次の講義までに消しておくのは日直の仕事の一つだ。
「自分で言えばよいだろう」
 だが、朱鷺子は真顔でそう返した。
 委員長だからといってそんなことまで頼まれなければならぬ道理はない。
「いや、頼むよ……旦那ってば怖えじゃんか」
 京介は諦めず、片手で拝み倒した。
 朱鷺子は少しだけ考えた。
 京介の台詞は本物だ。事実かどうかではなく、京介の中において誇張はないであろうということにおいて偽りはない。
「……同じ人間を怖がってどうする?」
 苦々しく言いつつも、朱鷺子は立ち上がった。どうせひとつ用もある。
 大抵の頼みなら結局は聞き入れてしまうことも、毎年委員長に推薦されてしまう理由のひとつなのだが、やはり本人だけは知らない。
「おおっ、恩に着るぜ姐さん!」
「幾つ目だ、お前の着た恩は」
 ぶつぶつ言いながら教室の反対側、右端の中ほどへと足を運ぶ。
 そこが『葉の字の旦那』こと葉渡宗一郎の指定席だ。
「宗、日直だそうだ。黒板を綺麗にしておけ」
 前の席に座っている手塚敏弘と何やら話しこんでいる宗一郎へ、端的に言う。
 宗一郎は無造作に振り向いた。
 一瞬ぎろりと睨まれたような錯覚に陥るが、気のせいであることを朱鷺子は長い付き合いで知っている。
 宗一郎は黒板を見て、日直の欄に自分の名前が書かれているのを確認し、呟いた。
「僕かいな」
 眉を寄せ、敏弘を見て、席を立つ。
 朱鷺子は軽く息を吐いた。
「……どのあたりが怖いのか、私には一向に判らんのだが」
 そう呟く口調は年齢よりも遥かに年嵩に響くが、声そのものは高めだ。
 身長の所為かもしれないと自分では思っている。
 十六歳で140cmというのはかなり珍しい。
 身体そのものの発達は充分なのに、背だけは低い。今は亡き、これまた背の低かった母親の影響をまともに受けているのだろう。
 小作りな色白の顔は、厳しさを与えながらも大きな目が印象的だ。
 髪は肩のあたりで切り揃えてあるように見えて、後ろだけ腰を少し過ぎるほどまで伸ばされ、うなじのあたりで一つにくくられている。
 黒板の板書を消している宗一郎の背中を見ながら、朱鷺子は考える。
 葉渡宗一郎と言う男は、普通というにはやや無愛想で、自分の好みに傾倒気味。笑うことは少ないように皆から思われているが、実際はそんなことはなく親しい友人とならばそれなりに馬鹿笑いしている。
 周囲からの総合的な評価は、夢を見ているのやら無機質なことを考えているのやらよく分からない変人だ。
 だが、怖いだろうか。
 そればかりは疑問でならない。
 と、敏弘と眼が合った。
「しかし手塚、お前も宗も先ほどの授業は聞いていなかったようだな」
「はっはっは、学年主席の宗一郎とドンケツの俺が聞いても意味ねえし」
 敏弘は分厚い胸板をどんと叩いた。身長はさほどではないが、筋肉は凄まじい。
 なんとも気さくな性質で、クラス内でも孤立しがちな宗一郎の親友を自称している。
 曰く、変人は凄い。
 そんなことを明言するお前も変人だと朱鷺子が言ったら喜んだくらいなのだから、筋金入りだ。
「……威張れることか」
 朱鷺子は半眼でため息をついた。
 宗一郎は、几帳面に黒板消しの掃除まで始めている。少し待っているくらいでは、帰ってきそうになかった。
「まあいい、後で用があると宗に伝えておいてくれ」
 別に急ぐわけではなし、と思いつつ朱鷺子は自分の席へと戻ることにした。







 昼だというのに閉め切られた部屋。
 電灯の明かりは十分以上に内装を照らし出してはいるが、やはり日の光とは比べるべくもない。
 広くはあるが、どこか乱雑さを感じさせる空間だ。
 正面の大きな机には書類が山ほど積まれ、左右の棚にはファイルが溢れんばかりに詰め込まれている。
 絨毯は明らかにくすんで模様がよく判らなくなっており、どれほどの数の靴に踏まれたのかと半ば感心するほどだ。
「長官?」
 物思いに耽っていた三峰鬼十郎は、自分を呼ぶ声に我に返った。
 目の前にいるのは瀬良理美、あちこちへの連絡係を主に務めてもらっている女性だ。
 まだ二十六ではあるがその腕は確かで、大抵の相手へは接触を取って帰還してくることができる。もちろん戦いも不得手ではないが、どちらかといえば品よくスーツを着こなしたその美貌と魅力的な笑顔で懐に入り込む方が得意だ。
「また統合本部の方から何か?」
 先ほどまで電話をしていたその内容と無関係ではないと察したのだろう、彼女が鋭く問う。
 鬼十郎は背もたれに体重を預けながらにやりと笑った。
 ぎしりと椅子が鳴る。180cmを軽く越える、しかもスーツの上からですら鍛え上げられていると判るような肉体が寄りかかればそうもなる。
「なに、あの第一階位<武具>を寄越せと言ってきたんだ。馬鹿というやつだな」
 今年で四十三、疲れもかなり取れにくくなったもんだ、などと暢気なことも平行で考えつつ、台詞の中身は容赦ない。
 近代化・国際化というものは、何ものにも起こりうるものだ。
 怪異の討滅を目的とする機構もまた、乗り遅れることはなかった。
 統合本部とは各国の討滅組織の統制役。何かにつけて口を出してきたがるのでどの国の支部も内心鬱陶しがっている。
 日本支部長、三峰鬼十郎も例外ではなかった。
「貴重なものを横取りしたがるのは人のいかん性だと思わんか? 似たようなこと言われてヴァチカンも困ってるって話なんだが」
「……意思あるものを物扱いしている時点で、人道的ではないと思いますね」
 理美はにこりともせず答える。
 必要のない相手に愛想は振り撒かない主義だ。
 鬼十郎はのんびりと頷いた。
「そうだよなあ……向こうさん、<武具>と遣い手を物だと思っとるのかもしれんねえ……」
 <武具>には第一階位から第五階位までが存在する。
 そもそもが貴重ではあるが、第一階位に至っては世界中に八つしか顕現していない。しかも半数は行方不明と来たものだ。
 各国を確実に押さえておきたい統合本部が欲しがるのも当然ではあるのだが。
「ま、何より前にうちの娘の友達だからなあ……承諾なんかしたら娘にぶっ殺されちまう」
「娘さん、ですか……」
 長の口から初めて家族のことを聞いた理美は、それでも平静に相槌を打つ。
 鬼十郎は遠い目でのほほんと続けた。
「十六と十五なんだがなあ……上のは怒らすと怖いんだ、これが」
 低い声の暢気な喋り方は今に始まったことではない。細めのまなざしもまるで寝ているように錯覚させる。総じての面構えは精悍なのだが、人にそれを感じさせない。
 この一見ほぼ昼行灯に見える男の実力を知る理美は、そのことについてはそれ以上口を挟まなかった。
 替わりに、根本的な質問をした。
「それで、今回の用件は?」
「お? あ、そうそう、その宗一郎君がだね、またやんちゃをやったらしいんだ」
「……使ったのですか、あの槍を」
「いやあ、久しぶりに魂砕かれかけたらしいぞ? なんとか耐え切ったようで何よりだ」
 鬼十郎はからからと笑う。
 理美はルージュを刷いた唇に、苦笑するような小さな孤を描かせた。
「第一階位の業にまともに耐えうるなど、よくもありえるものです」
「そればっかりにかまけて困るとうちの娘が言っとるな」
 <武具>そのものの力を引き出し、また制御する技術というものを<武具>遣いは修得する。
 それは、業への耐性も獲得させるのだ。
「とはいっても、同じことを繰り返させていてはいつかは砕かれるまで使ってしまうときも来るだろう。そこでだ」
「お守りをしろというわけですか?」
 察した理美は薄いサングラスの奥で目を細めた。
 鬼十郎はかぶりを振った。
「お守りというか、お守りできる奴をお前さんも含めてあと数人見繕って欲しいんだな。いつも一緒のじゃなくて入れ替わり立ち代りでいいから」
「ということは、もう既に何人かは?」
「まあ、一人はな……手近なとこなんだが、ま、悪い人選でもないと俺も思ってる。ほら、さっきも言ったとおり、怒らすと怖いから、うちの上のは」
 ぽんぽんと目の前の書面に判を押し、理美へと差し出す。
「まあ、悪い子じゃあない。よろしく頼むよ。ちなみに、これ指令書」







 大きく息を吸い、吐く。
 春の空気が肺に突き刺さる。
 空気まで痛めつけてくれるか、と宗一郎は茫洋とした頭で考える。
 視界にはいっぱいの暮れなずむ空。
 心が洗われる。
 体中が激痛に見舞われていなければ、だが。
 それでも、この程度ならばどうということはないと思える。
 そこへ、人の姿が現れた。
「いつまで寝ている、宗」
 石畳に仰向けに倒れ伏す宗一郎を見下ろしているのは朱鷺子だ。白衣に緋袴の巫女装束である。
「……ふぅ……えっこらせっと……」
 宗一郎は痛む身体をおしてなんとか立ち上がった。
 ここは朱鷺子の家が担っている神社だ。
 ごく小さな社で、参拝客などいるのかどうかといった代物。
 だからこそ、境内で武術の修練などということができる。
 一年前に出会ってからは、時折こういうことをしていた。
 宗一郎と向き合った朱鷺子は、深々とため息をついた。
「……さてはお前、家では武術の修練は二の次に、<武具>の力を引き出す修練ばかりしているだろう。動きに二ヶ月前からまったく進歩が見られんぞ」
「いや、そんなことも……あるかな」
 反射的に否定しかけてから、宗一郎は首の後ろに手をやりながら頷いた。
 照れたときや後ろめたいときの癖である。
 そのことは朱鷺子も知っていた。
「お前は体躯以外はあまり戦い向きの身体ではないのだぞ? 修練せねば危うくて仕方ない。おそらく遥の方がまだ上だ」
「いや、してないわけちゃうんやけどさ……」
 宗一郎は口ごもる。
 自分の持つ<武具>の力は強大ではあるが、それに頼れないことは重々承知している。魂が砕けそうになるあの表現不能の痛苦を味わったことがある者で、慢心できる者がいるならば会ってみたいものだ。
 時も努力も<武具>そのものの扱いに半分以上を費やしているとはいえ、武術も軽視しているわけではなくまともに修練はしている。
 が、未だ弱い、それだけだ。
 実のところ、朱鷺子がさらりと言った、戦い向きの身体はしていないというのが案外小さくない。
 宗一郎は身体こそ大きいがその身体の制御ということについては人並みかそれ以下だ。
 武術は技術であり、力の劣るものが勝るものに勝利するための術ではあるが、当然ながら劣る者しか身につけられないなどという馬鹿げたことはない。そして、同じだけの技術を身につけたならば力に勝るものが強さでも勝ることになるのは道理だ。
 自力で誇れるのは、慣れているおかげで苦痛や負傷に強いことくらいだろうか。
「……まあ、いい」
 朱鷺子はしばし宗一郎を見据えていたが、やがて言った。
「今回はこれで終わりにしておこう。夕飯でも食べて行け」
「おう」
 まだやれる、と思わないでもなかったが、宗一郎は素直に頷いた。
 朱鷺子の教え方は、少なくとも家の者たちより的確だと実感している。
 とりあえず、と右手の方を見た。
 ちょうど、隅の方で様子を見ていた緋雪がこちらに歩いてくるところだった。
「お疲れ様です、二人とも」
 無表情にも見える澄まし顔で言う。
 そして宗一郎の傍に寄るとその袖を掴み、朱鷺子の方を向いた。
「朱鷺子、宗一郎は帰ります」
「は?」
 意表を衝かれたのは宗一郎の方だった。
 これから特別な予定などない。いつもの夜の修練くらいだ。
 そんな宗一郎の反応に朱鷺子は訝しいものを感じたが、まなざしをやや細めただけだった。
「まあいい。ならば食事の席で言おうと思っていたことをひとつだけ言っておこう」
「ん?」
 なにやら帰ることにされてしまった宗一郎は、戸惑うばかりだ。
 実のところ、遥の料理は美味いので好きなのだが。
 家の方、妹の料理も美味いのだが、たまにはと思う。
 が、無情にも朱鷺子は止めもせずに続けた。
「戦いに出るときは、たとえ真夜中でも構わん、連絡しろ。加勢くらいしてやる」
「あ……」
 ばれていたらしいと悟り、宗一郎は露骨に口許を引き攣らせた。
 しかし、朱鷺子の表情に怒気はなく替わりにただ真摯であることに気付いて、宗一郎も居住まいを正した。
「朱鷺子?」
「親父殿から言われた。お前と組めとな」
 一陣の風が吹き抜けた。
 宗一郎は小さな笑みを浮かべた。
「同時にそれは、うちの人間は使うなっちゅうことか」
 日本においては、昔から家単位で<武具>を扱い、技を鍛え上げてきた。
 <武具>の大半は家に伝わるものではなく、個人での契約だ。
 宗一郎と緋雪もそうである。宗一郎を媒介として、顕現したのだ。
 それでも家はひとつの単位であり続け、今でも基本的に<武具>遣いは家単位で日本支部に所属している。
 討滅に動くときも家に割り振られ、その家の裁量で処理することとなっている。
「一時的な独立だ。事件解決のやり方くらい知らんお前ではあるまい?」
「ああ」
 強く言う朱鷺子に、宗一郎も同等の強さで返す。
 唐突な話ではあるが、小学生の頃からいつかは来ると言い続けられていたので、今更驚く気持ちもない。
「コンビ、か?」
「能力が両極端だ。補い合えということだろう」
 朱鷺子は小さな、しかし先ほど宗一郎を何十度も石畳に沈めた右手を差し出した。
 視線は挑みかかるように宗一郎へ。
 宗一郎はその手を握り返した。
 朱鷺子の手は小さくはあるが、硬い手だった。
 その手を宗一郎は頼もしく思う。
 と、さらにその上に、白いやわらかな手が置かれた。
 緋雪だ。
 無表情に見える澄まし顔で告げる。
「おめでとうございます。しかし、せめてトリオかと」
「……なるほど、確かに」
 宗一郎はさらにその上に左手を重ねた。
 朱鷺子も意味が分からぬながらもつられてさらに重ねる。
 最後に緋雪が最上にもう一方の手を置いて、それは完成する。
 これが結成の証ということになるのだろうか。
 日が完全に暮れてしまった。
 最初に、わけもなく笑い出したのは宗一郎。
 朱鷺子が小さくそれに続く。
 そして緋雪は、やはり無表情にも見える澄まし顔だった。










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