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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第六話「夜更けて」

 ご飯に味噌汁、唐揚げ、山菜サラダ。
 それが三峰家の今日の夕餉だった。
 それを囲むのは五人。朱鷺子と遥、二人の祖父である源蔵、そして宗一郎と緋雪だ。
 もっとも、緋雪は食べてはいない。食べることができないわけではないが、必要もなければ食べてもどこかに消えてなくなるだけなので食べない。いつもの無表情にも見える澄まし顔で宗一郎の隣に黙って座っている。
「しかし……結局オーキスは何が目的なのだ?」
 朱鷺子が味噌汁を啜ってから呟くように言う。
 目的を知ることは討滅にあたって最も効率のよい手段を見出すために必要なことだ。
 作戦はそこから立てることが望ましいという意味では、必須と言ってもいい。
 だが、今回のものはかつてないケースであり、目的がまったく見えない。
 と、遥が元気よく答えた。
「神様を追っ払うことでしょ?」
「……実在しているのか、この世界に?」
 朱鷺子は半眼で遥を見やる。
 一応は巫女でありながら神の有無を問うのは本来ならばおかしいのかもしれないが、会ったことがないのだから仕方がない。
 無論、声を聞いたり姿を見たりしたことがあると主張する者はいるわけなのだが、どちらかというと実在を信じるのではなく神という概念に仕えるといった意味合いが神職には強い。
 もっとも、神を名乗る怪異なら偶に顕現する。
「いや、最終的な目的はそれでいいのだろうが、差し当たっての目的は何かということだ」
 自らかぶりを振った朱鷺子は、今度は宗一郎に視線を向ける。
「やつは何故この街に現れ、少なくとも幾日か滞在している?」
 遥がオーキスに出会った日から毎夜のように、この街には害ある怪異が出現している。間違いないとまでは言えないが、無関係であるとは思えない。
 宗一郎は眉を寄せつつ唐揚げを飲み込んだ。
 遥の作る唐揚げはかなりの美味さだが、朱鷺子の疑問には宗一郎も答えようがない。
 しかしひとつだけ、提示しておくべきことがあった。
「そもそもどんな想念を元にして顕現したんかが判ったら、もうちょい何か判るんやけどな」
「神様なんて嫌いだー、とかじゃないの?」
 あっけらかんと遥が言うが、宗一郎は眉を寄せたままだ。
 作中において、オーキスは神々を嫌ってなどいない。神々を認めながら、それでなお地を正当な持ち主の元に返そうとして反逆したのだ。
「とりあえず……会えさえすりゃ、話のできる相手なはずやから、何とかなるんちゃうかと思うんやけど……」
「会うのが一苦労だな」
「まあ、難しい話はさておき、箸が止まってるぜ、朱鷺子。事件なんざ、なるようになるもんさ」
 不意に、横から源蔵がからからと笑った。
 歳は六十五、中肉中背だから年齢の割には大きいとも言える。オールバックにした髪は真っ白だが、量は多い。表情はむしろ悪戯小僧めいて若々しく見える。
 いつ見てもぶらぶらしており、果たして神事を行っているのかどうか、実に怪しいところだ。
 この隠部神社のぐうたら神主、それが源蔵なのである。
 朱鷺子は唐揚げに箸を伸ばしつつ、祖父を困ったように見る。
「祖父様は気楽に言ってくれるが、ことによるとかなりの大事なのかもしれんのだぞ?」
「大したことねえかもしれねえだろ?」
 源蔵は堪える様子もなく、にやりと笑う。
「考えて判るもんじゃねえんだから飯食え、飯」
「やれやれ……」
 祖父のこの言動にはもう慣れ切っているので、朱鷺子はため息をひとつ、黙って箸を進める。
 偏ることなくバランスよく食べてゆくあたり、とてもそれらしい。
 が、すぐにまたぴたりと止まった。
「そういえば、宗。昼間、剣先生に呼ばれていたようだが……」
「ん、ああ……」
 宗一郎は、報告していなかったことを思い出して頷き、手短に説明した。
 目的が何であれ、朱鷺子には知らせておくべきだと判断する。
 その短い説明を聞き終わった朱鷺子は、大きな目を細めた。
「ふむ……<戦魔>が、な……」
 その台詞は、少し面白そうな響きを秘めていた。
 珍しく思ったのか、遥が目を丸くする。
「お姉ちゃん?」
「教えておこう。宗、緋雪。小山徳教という男はな……」
 朱鷺子は、告げた。







 夜に風を切る音が唸る。
 規則正しく一定の間隔を置いて。
 よく聞けば、ふたつの似た音が同時にしていることに気付くだろう。
 学校。
 生徒はもちろん、教師すらもいない。
 その剣道場の裏で、風を切る音はする。
 木刀を振る徳教と、長い棒を振る巴。
 二人並んで素振りをしている。
 お互いにうっすらと汗が滲んでいるが、その繰り返しの動きに一切の歪みはない。
 現在、八百五十七回。
 とりあえずの目標は千回だ。
 振り上げ、振り下ろす。
 ただそれだけの動作を正確に繰り返す。
 だが、巴は無心というわけにはいかないでいた。
 実戦における悩みは多い。
 横薙ぎに払ってから突きへと移る際の遅滞。
 移動のときの重心の揺れ。
 手のひら一枚分の間合いの甘さ。
 挙げればきりがない。
 が、逆に一つの言葉で表すこともできる。
 自らの武錬の未熟。
 一般の人間、いや、他の<武具>遣いからしても贅沢な悩みだ。
 しかし、巴にとってはそれでも不満だった。
 ちらりと横目で徳教を見る。
 この人を守れるようになるまで、あとどれくらいだろう、と。
 もっとも、無心ではいられない理由はそれとはまた別に大きなものがある。
 二人の様子をジルが見ているのだが、なんとなく意味ありげににやにやしている気がするのだ。
 さっきからどうにも気になって仕方ない。
 なんだというのだろう。ジルは変に意地悪なところがある。
 が、雑念は振り切ろうと思い直して余所へ追いやろうとした、そのときだった。
 空気が変わった。
 二人の動きが同時にぴたりと止まった。
 止めざるを得ないほど異様な、びりびりと肌を刺すほどの違和感。
 ジルも表情を引き締めた。
 三人は空を見上げた。
 月がある。
 星もある。
 だが、その他には何も見えない。
 それでも、このちょうど上空に何かがいることは感じられた。
 何かがいるのは分かるのに、確かめることはできない。
 三人ともが無言無動。
 しかし変化は起こらない。
 あるいは、すべての変化は感じられぬほどの場所で起きているのか。
 三人に分かるのは、何かが起こっていること、それだけだった。







 斧槍サミダレから、輝きが伸びる。
「ふんッ!」
 博司の気合とともに振り下ろされたその輝きは、前方30m弱の砂浜に溝を穿った。
 もうもうと砂が舞い上がり、月光に煌く。
 博司は息をつき、己の刻んだ跡を検分した。
「サミダレではやっぱりこれくらいが限度か……」
 唸るように呟く。
 想定しているのは空中を舞う敵、射程は何よりも大事だ。
「これではちょっと高く飛ばれると届かないな」
「あまり離れては向こうも攻撃できん。充分とは言えないが不足でもないだろう」
 横でイセリアが告げた。
「もし不足が出たならば私を使うしかあるまい」
「まあな……」
 博司も頷くしかなかった。
 修練とはたゆまざるものであり、それがゆえに一朝一夕に新たな力など手に入りはしない。
 その場その場で都合よく目覚めてくれる力などありはしない。敵となるものも阿呆ではなく、頭を使えば勝てるなどという安易な結果も得られない。
 すべては相対、今ある力と頭をいかに使って凌ぎ、勝利するかが要となる。
 イセリアは博司にとっての決戦の力にして諸刃の剣、要は危険な切り札だ。
 切り札は本当に最後の最後まで使うべきではない。
「博司様、武具などに頼らなくてもあたしが……」
 紗矢香が少し不機嫌そうに言うが、イセリアは冷ややかに告げる。
「頭を回せ。私を必要とするような状況でお前にできることなどそうはない。自分の感情を優先するようで付き人など、よくも務まる」
「武具っ!!」
 紗矢香はイセリアを睨みはしたが、それ以上は続けなかった。
 感情的になっていることは自覚しているし、それが付き人としてはよくはない傾向であることも分かっているのだ。
 二人のやり合いをよそに、博司は頭の中でシミュレーションをしようと思考を巡らせていた。
 漫画は読んでみて、オーキスがいかなるものであるかは概ね理解した。
 だが、あれがどれほど再現されているのか、それによって大きく異なってくる。
 答えは出るはずもなく、夜は更けてゆく。







 誰も見ていない場所。
 否、月明かりのみが見ると言うべきだろうか。
 街の上空、巨大な結界の中では戦いが行われていた。
 どれほどの間続いている戦いなのかを知るものは本人たちのみ。
 目も眩まんばかりの閃光と、耳を劈くような轟音。
 それに映し出された姿は、片や女、片や曰く言いがたいもの。
 広がり包み込もうとする何かを、女の背の三対六枚の黒翼が弾き飛ばす。
 そして一切の遅滞なく、女の手の槍が突き出された。出鱈目に広がる気体やら液体やらも判らぬそれは、蒼白い炎を灯す穂先に貫かれ、確かに苦悶している。
 女が翼を大きく羽ばたかせ、後ろへと下がった。
 しかしそれは逃げたのではない。
 女は自分が相対しているものの正体を知らない。
 が、訳が分からぬものに対しても長い戦いの果てに勝利を掴みつつあった。
「八雷よ……」
 女が呟く。
 黒瞳は鋭く細められ、上空へと向けた穂先の炎が、同じ色の雷光に変わった。それは密度すら感じさせるほどとなり、50mをはるかに上回る刃となる。
 それが決戦のための一撃であることを悟ったのだろう、標的もその名状しがたい身を錐の如くにし、女を引き裂かんとうねる。
 動いたのは、女が先だった。
 高速飛行での接近。
 そして。
 相手の反応すら凌駕して、既に雷の刃は振り下ろされていた。
 形容しがたいものが、痙攣するようにびくりと動く。
 形容しがたいこの存在は、何ものにもほとんど知られぬものだ。
 怪異にとってすらの怪異と呼ぶべきか。怪異を討滅する怪異、それがこの存在だ。
 普段は人の姿をとり、怪異に引き寄せられ、見つけては討滅する。
 これにとって、この姿を現したのは実に久しいことだった。大抵は人の姿のままで片が付く。
 この存在の中には、怪異に対するためのあらゆるものがある。この真の姿、混沌となれば、いかな特殊能力にも対応する。現に、女が本来持つ高速再生能力は封じ込めている。
 未知なるものに抗う術の具現、それがこの混沌だ。
 ゆえにこの存在は怪異を狩り、あらゆる怪異の天敵であった。
 が。
「……幽天雷劫斬」
 女が呟くのと混沌が存在を保てなくなって宙へと融け始めるのとは、同時だった。
 柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ。何の小細工もない純粋な力の前に、混沌は今断たれた。
 消えゆくものが何であるのかを、やはり女は知らない。
 しかし確かに屠ったことだけは知り、雷を霧散させる。
 黒翼が羽ばたき、羽が舞い落ちる。
「降りかかる火の粉を振り払う……それだって本当は許される理由にはなりえないけど……」
 女は、オーキスは悲しげに呟いた。
 敵の気配は完全になくなり、風が漆黒の髪をなびかせた。
 オーキスは街を見下ろす。
 この街を離れる気はしなかった。
「……六方から力の集まる好地形……やはりここを礎にするしかないわね……」
 風に溶けた呟きはどこか苦しげだった。
 ゆるゆるとかぶりを振り、そして己が肩を抱くように身を丸めた。
「何を迷っているの。この翼を黒に染めたときに、すべての覚悟はしたはずよ……」
 何よりもその声が自分を引き裂くよう。
 ばさりと、大きく翼が風を打った。
 舞い散る羽が集い、人影を形作ってゆく。
 その数、六つ。
 オーキス自身と似た姿だが、翼は一対で顔はない。
 それらはオーキスを囲むように現れ、いかな言葉を待つこともなく六方へと散る。
「……ごめんなさい……」
 くちびるから零れ落ちた謝罪を聞くものは、なかった。










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