第二十一話「二回戦」『Hブロック二回戦第二試合!』アナウンスが声を張り上げる。 『まずはここバトルフィールド十強の一人、そのスピードと軽業はバトルフィールド随一! ランキング八位、<疾風>の小寺官亮!!』 呼応するように、大きな歓声が湧き起こる。 宗一郎は当の対戦相手を観察した。 灰色無地の服を身に着けた、二十歳ほどの小柄な男だ。おそらくは150cmくらいなのではなかろうか。 さらに細身でもあるようにも感じたが、そこまでだ。眼鏡を外すと細かいところはよく見えない。 『対しますは特別招待枠! 特別招待されている理由すら謎の男、葉渡宗一郎!』 こちらもそれなりに声が上がった。 歓声の中、二人は近付く。 「なんだかよく分からんが、ようこそとは言っておこう」 官亮は口の端だけに笑みを乗せて言う。 目は笑っていない。 「しかし、一回戦は見せてもらったが、あの程度でこのトーナメントを勝ち抜こうというのか?」 「訳ありでして」 何にせよ官亮の顔などぼやけてよく見えない宗一郎は、無愛想に返す。 そして、軽く開いた右手を首の前、左手を水月の前に持って来た。 『それでは……始め!』 試合開始の宣言。 同時に官亮の右拳が宗一郎の胸の中央に叩き込まれていた。 右手と左手の間をあっさりと擦り抜けたのだ。 しかし宗一郎も反応できていないわけではなかった。わずかに後ろに身を反らし、そのことによってその打撃をごく軽いものにした。 打撃の効力を弱める、あるいは致命傷を避ける術は、朱鷺子のおかげか身に染みこんでいる。 苦鳴を漏らすこともなく、宗一郎は逆に捉えに出た。 が、官亮はもうそこにはいない。 「遅い」 声は左脇でした。 声がなくともそこに移動したことを宗一郎は見逃してはいなかったのだが、身体が着いてこない。 腕が上がっていたところに即座に拳が叩き込まれた。 一回戦では宗一郎が狙った側胸部。 しかし宗一郎も咄嗟に上体を捻り、実際には前胸部で受ける。 そのまま跳び離れようとするものの、官亮はぴたりと張り付いて来た。 とん、と軽々と跳躍、宗一郎の頭よりも更に高い位置から左右の踵が降って来る。 宗一郎はその両方ともを左腕で防いだが、官亮はむしろそれを足場として宙返り、地面に降り立つとともに即座にまた距離を詰めてきた。 懐に入り込むような位置から左右の拳の連打が宗一郎の胴を満遍なく襲う。 一撃一撃は宗一郎にとってはさほどきついと思えるほどのものではないものの、とにかく間に合わない。浅い替わりに恐ろしいまでの手数の打撃だった。 それでいながら、宗一郎が捕らえようとすれば的確に避け、すぐさま連打を再開する。 「は……」 官亮が声を漏らし、攻撃が一瞬止んだ。 続いて引かれた右腕と身体全体を使って溜め込まれた力の意味を宗一郎は悟る。 だが、分かっても、やはり身体の動きは着いて来なかった。 溜め込まれていたのは一瞬。 大きく右足を踏み込み、身体は完全に右を向け、右腕を一杯に伸ばして手の第一関節は立てられた一撃。今まで至近距離での短い連打に慣れさせられた者にとっては恐ろしく長い拳。 それが宗一郎の水月に吸い込まれた。 「ちょちょちょちょちょ……」 「落ち着け、遥。言いたいことの想像はつくが」 顔色を変えてあうあうと口をぱくつかせている遥とは対照的に、朱鷺子は表情も変えていなかった。 しかしそう言われても、遥かとしては落ち着いていられない。 「あれ、どう見てもやばいの~、宗一郎さんピンチなのさ~」 「確かに、今のところまるで歯が立っていませんね」 緋雪があっさりと認めれば、朱鷺子も頷く。 「あの敏捷性と身の軽さ、天稟に頼っているところが大きいが、相当なものだ」 「お姉ちゃん! 落ち着いてないでさ~……」 「騒いでどうなるわけでもあるまい」 ちらりと窓の方を確認してから、試合へと視線を戻す。 「それに、まだ短い期間ではあるがな、あの程度でどうにかなるような鍛え方をした覚えはない。様々な条件が宗一郎に有利に働く。勝ち目は充分にある」 「っ!?」 無造作に伸びてきた手を、官亮は大きく後ろに跳んで避けた。 宗一郎は不機嫌そうに眉を顰める。 その表情に苦痛の色はない。 見せていないだけではあるが、宗一郎にとっては充分押し包める領域でしかない。 「貴様……」 官亮は舌打ちした。 倒せなかったのは仕方がないにしても、碌に効いていない様子は矜持を傷つける。 地を蹴り、今度はスライディングにも似た低空跳躍で脚を攻めに行く。 宗一郎も膝と腰を落とし、その蹴撃を腿で受け止めた。 すかさずその足を取りに行くものの、官亮は反動を利用して離れ、果たさせない。 先ほどから捕まえようとしているのは分かっているし、捕まえられるとまずいことは自覚している。 最大の武器を殺されるということは、官亮にとって敗北に繋がる。 宗一郎は薄く笑って挑発する。 「もっと苛烈に来た方がええかと」 勝算が頭の中では組み上がっていた。 「……う~ん、なんか妙にギャラリー多いなあ……」 Cブロック二回戦の自分の試合が始まろうとしている中で、神住はきょろきょろとあたりを見回した。 すると後ろから声をかけられる。 「いくら楽勝できる相手だからといって、注意力散漫はよくないのよ、神住?」 「へいへい、分かってるよ」 振り返った先にいるのは、十代半ばほどに見える少女だ。 くるくると巻いた金髪が印象的で、なかなか愛らしい。 「本当に分かっているのかしら? あなたは本当にもう……」 「分かってるってば」 いつもながらのお姉さんぶろうとする口調と表情が可笑しくて、神住は吹き出しながらもう一度頷く。 この少女の名はサラシア。 神住と契約している<武具>、第三階位<争覇の直刀>サラシア=カーリュニアだ。 「でも、やっぱりやけに多くないか?」 「うん、凄く多いよね……」 もう一度繰り返す神住に応えたのは由莉香だ。 見回せば、人垣の厚みが二倍近くになっている気がする。 「ま、こうも集まられちゃ、魅せてやるしかないな」 「だから、油断はよくないと言ってるのに……」 「油断はしてないさ」 神住は大きく伸びをする。 サラシアの叱言を一言で切って捨て、試合フィールドの中央へと歩き出す。 「じゃ、ゆりっち、応援よろしく」 一度振り返って笑うと、左の掌に右拳を叩き付けた。 『Cブロック二回戦第二試合!』 アナウンスが、いよいよ試合が始まろうとしていることを知らせる。 『この四月に現れて一気にランキング三位にまで駆け上った超新星、久遠神住! 対しますはランキング二十九位、石井清!』 「さぁて、決め技は何にしようかな……」 神住は、どの技で締めるのが最良かと思案を巡らせた。 風を切る音とともに、突きが宗一郎の腹にめり込む。 が、官亮は眉間に皺を寄せ、すぐさま跳び離れた。 宗一郎の腕が空を切る。 「……惜しい」 「このっ……」 距離をとった官亮の背が丸まり、肩が上下する。 呼吸が不規則だ。 無理もない。もう、一時間も戦い続けているのだ。 攻撃すれども攻撃すれども宗一郎は倒れることさえない。 急所や関節などには一切入れさせず、無難な場所に必ずずらしてしまう。 人間の身体というものは、どれほど頑丈であっても、自身で感じていなくとも、本当にまったく効かない箇所というものはない。だから綺麗に入ることこそないものの手応えはあるし、一応効いてはいる自信もあるのだが、まるで歩く死体を相手にしているかのように何が何でも倒れない。 それでも攻撃するしかない官亮の運動量は宗一郎の何倍にも及び、体力を回復しようとすればここぞとばかりに疲れた様子も見せない宗一郎が愚直に掴みに来る。 官亮は知るよしもないが、何時間も戦いの最中にあることのある宗一郎の体力は<武具>遣いの中ですらかなり高い方になる。官亮との根本的な体力の差も、相当なものになる。 宗一郎が打撃によって体力を削られていったとしても、限界が来るのは官亮の方が先だった。 十分くらいまでは応援、三十分くらいまでは野次を飛ばしていた観衆も、もうほぼ全員飽きて他のブロックへ行ってしまい、開始終了時のアナウンスを兼ねたレフェリーと朱鷺子たちと、そしてあと一人が残っているのみだ。 そのレフェリーにも疲れが見えている。 そろそろか、と宗一郎は思った。 極力見せないようにはしているが受けた打撃はしっかりと蓄積されており、動くだけで全身が痛む。 それでも、見出した勝機が手の届く場所にまで近付いてきているのが分かる。 官亮の動きは明らかに鈍っている。 そして、このバトルフィールドの強者の一人という矜持に縛られて逃げ回ることは出来ない、そういったことからの焦りも見えている。 ぐん、と官亮が突っ込んできた。 もはや最初のときのような精彩はないが、それでなお驚異的な速度だ。 見事、拳が宗一郎の腹部にめり込む。 そのとき、宗一郎がぐらりと揺れた。 崩れるように身体を『く』の字に折る。 試合が始まってより初めての反応。 ここしかない、と官亮は力を振り絞った。 得意とする、左右の連撃から続けての長い一撃。 それを宗一郎の水月に叩き込んだ。 今までとは違い、ずらされることのない確かな手応え。 「これで……!」 「……っかまえた」 気を吐く官亮の声に、苦しげな宗一郎の声が重なる。 宗一郎の右手が官亮の右手を掴んでいた。 謀られた、と思うよりさらに早く、官亮は反射的に左の拳を繰り出した。 宗一郎は手を放すことなどなく、それを額で受け止める。 至近距離から官亮を射抜く視線は、切り裂きそうなほどに強い。 今までの一時間はすべて、この瞬間のために。 強く足を払い、同時に跳ね上げる。官亮の身体が宙を舞った。 宗一郎は官亮を何度も地面に叩きつける。 力任せに見えてそればかりではない、重心を崩すことを利用したれっきとした技だ。 小柄とは言え人間が凄まじい勢いで振り回される様は、凄惨だった。 『ストップ! ストップストップ!!』 我に返ったレフェリーが慌てて止める。 宗一郎は素直に手を放し、一歩後ろに引く。 官亮は気を失ってこそいなかったが、身体を丸めて何度も咳き込んでいる。 レフェリーはしゃがみ込んでしばし官亮の様子を調べていたが、命に別状はなさそうなことを確認すると、宣言した。 『葉渡宗一郎の勝利!!』 宗一郎は数呼吸だけその場に留まり、大きく息を吐いた。 これで二つ目、と数え、踵を返す。 しかしそこで声がかかった。 「少し待て……」 苦しげに掠れてはいたが、官亮の声。 宗一郎は素直に振り返る。 官亮は倒れたままだったが、まなざしだけは強く宗一郎を見ていた。 「……訊きたいことがある……」 「……答えれることなら、何なりと」 宗一郎は無愛想に応える。 殺し合い以外の勝者になるのは慣れていない。 官亮は一度咳き込んでから続けた。 「……こんなに馬鹿らしいほどの時間、観客がいなくなるような戦いをどうして続けることが出来た?」 何故と問われても、宗一郎は困った。 自分の力で反則にならないように勝つにはあれしかなかったのだから。 「……一応、勝たなあかんらしいんで」 とりあえず、そう答えてみる。 すると官亮は目を閉じた。 「……特別招待の理由か?」 「そういうことで」 頷いて、宗一郎は今度こそ試合フィールドを後にした。 止められることはなかった。 「うっわぁ……さすがにズタボロなのさ……」 宗一郎の腕を見た遥の最初の言葉はそれだった。 腫れ上がり、内出血だらけとなっている。 何もせずとも熱く、痛い。 服の下、胴の方も似たようなものだろうと宗一郎は思った。 痛くないのは、身長差の所為かあまり攻撃されなかった首から上だけだ。 「痛いでしょ? 傷、治そうか?」 遥が心配そうに見上げてくるが、宗一郎はかぶりを振った。 「いや、止めた方がええな」 「そうだな、気付かれれば不自然に思われる。重傷というわけではないことだしな」 朱鷺子も同意する。 と、緋雪が声をかけてきた。 「宗一郎」 振り向けば、じっと見つめてくる。 「その痛みは、容易く勝利を得ることの出来なかった未熟の証です」 いつもの、無表情にも見える澄まし顔。 「緋雪さん、それはちょっと酷いのさ~、宗一郎さん頑張ったのに……」 「いいえ、頭を使って戦えば勝てるなどと調子に乗られては困ります」 遥が割って入るが、緋雪は宗一郎から視線を外さぬままに続ける。 「宗一郎、強くなってください」 その一言に秘められたのは切なる願い。 宗一郎はその願いを量ることは出来ぬままに、理由を問うこともしなかった。 ただ、頷いた。 「ああ」 ジャンル別一覧
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