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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第二十六話「憎悪と嘲笑」

 別れの記憶。
 それは、人種もはっきりしない、しかし極めて美しい女から始まる。
 年の頃は二十歳前。
 とても背が高い。
 長い銀髪と銀の瞳と、白い肌と黒いドレス。
『うふふふ……あはははははははっ!!』
 女は心底愉しげに笑った。
 両脇に、宗一郎の変わり果てた両親を従えて。
 千堂家の庭に、そんな女が立っていた。
『面白いわ。パパとママに殺されるのって、とても面白いわ』
『……とりあえず、そんな呼び方はせぇへん』
 宗一郎は、蓮花との間に立ち塞がって、無愛想に応えた。
 蓮花は戸惑うばかりだ。
 宗一郎の両親には前日会った。
 こんな、ぎらぎらとした目はしていなかった。
 かっと開いた口からは、涎がだらだらと垂れている。
『いくら子供でも、こんな動くだけの人形みたいなんにやられはせぇへんぞ』
 宗一郎の声は、十一とは思えぬほど冷え冷えとしていた。
 既に身長は150cmを越えており、ぴたりと向けた霊槍オオミナチもさほど不釣合いではない。
 緋雪はいないというのに、正体不明の敵性存在を前にしてもその穂先は震えない。
『でも、これは贋物じゃないの。本物の、あなたの両親。もっとも、私が壊してしまったんだけど』
 自らの右手の甲に頬を摺り寄せながら、女は機嫌よさげにまなざしを細める。
『知っているの。まだ召喚まではできないでしょう? 喚べないわよね、あれは契約から最低でも六年要るもの。あなたの<武具>が離れるときを狙った甲斐があったわぁ……』
 くすりと笑い、手を差し伸べる。
『ねえ、パパとママを殺せる? 殺して見せてくれる?』
『やから、僕はそんな呼び方はせぇへん』
 やはり無愛想に宗一郎は応える。
 オオミナチを構えたまま、徐々に身を低くしてゆく。
 両親の緩慢な動きに対応しているのだ。
『誰かを待っているのなら無駄よ? 動きは本来のものにも戻せるの。あなたたちくらい、一瞬で殺せるくらいまで』
 目を細め、くちびるは笑みの形に弧を描き、女は言う。
『十秒あげる……十秒後に、どちらが死んでるか、楽しみだわ……』
 蓮花には、この見知らぬ女性は宗一郎が苦しむのを想像して愉しんでいるとしか思えなかった。
 しかし、女の笑みが不意に凍りついた。
『……あなた……』
『カウントダウンは要らん』
 呟くように言うとともに、オオミナチが不器用に二閃した。
 しかしそれは過たず両親の心臓の位置を貫いていた。
 <力>が二人の身を焼き滅ぼしてゆく。
『あなた……そう、殺したの。殺したのよ、あなたが殺したのよ? 可笑しい、残酷、呆気ないのね。うふふふ、あはははははははっ!』
 笑みを凍らせたままだった女は、弾かれたように笑い出す。
 宗一郎は女にオオミナチを突き付けた。
『次はお前や』
 蓮花からは顔は見えない。
 が、声はとてつもなく冷えていた。
 女は口許を覆い、肩を震わせて笑う。
『ふふふ……私を滅ぼそうというの? 無理よ、無理だわ。なんて滑稽なのかしら。<武具>のないあなた如きに私を……』
 言葉は途中で止まった。
 その場を飛び退く。
 今までいた場所を、赤金色の輝きが薙いだ。
 女は悔しげにくちびるを噛み締めた。
『もう勘付いたというの……? 早過ぎる……』
 視線の先には、ゆらりゆらりと揺れながら近付いてくる巫女装束の姿。
 緋雪だ。
 女はもう一度宗一郎にまなざしを向けると、憎々しげに言った。
『……覚えておきなさい。私は……あなたを許さない……』
 そして、風に紛れるようにして消える。
 女の気配が消えて、蓮花は初めて動けるようになった。
『宗一郎くん……』
 動かぬ宗一郎が心配で、蓮花は前に回りこむ。
 覗きこんだ顔にあったのは、無表情。
 そのときの蓮花には分からなかったが、悲しみと憤りを覚悟の内に包み込んだ顔。
『父さん、母さん……恨むんなら好きにしてくれ』
 ただ、無表情をわずかに崩して口許を歪めて呟いた決別の言葉だけは無性に悲しくて、己では意識することすらなく蓮花は宗一郎の頬を叩いていた。
 宗一郎は蓮花を見た後で、何も言わずに緋雪の方へと歩き出した。
 蓮花は見送るしかなかった。
 そこから動けなかった。



 覚えている。
 <武具>と契約し、戦う力と術を持ちながら、発揮することが出来なかった。
 無力ではなかったのに、むしろあの瞬間の宗一郎よりも力があったのに、ただ後ろで震えるだけで何も出来なかったのだ。
 しかし今は違う。
 戦える。
「行こう……」
 竹刀袋から鞘に納められた小太刀を取り出し、呟く。
 第三階位、<道標の小太刀>リィゼア=フォウン。
 人の姿はとらないが、肯定の意思が返って来る。
 あれ以来、宗一郎とは会っていない。二度と千堂を訪れることはなかった。
 元々父親に連れて来られていたのだから、当然といえば当然だ。
 だから、まだ謝っても礼を言ってもない。
 あのとき、護られたことは確かだというのに。
 宗一郎独りに手を汚させることになったというのに。
「行こう、リィゼア……」
 もう一度、少し強く口にする。
 行くならば今をおいて他にはない。
 異変には気付いている。
「標なき地にはこの手で標を……」
 リィゼア=フォウンを抜き放ち、<力>を解放する。
 この言葉は昔から使っていたものではなく、ついこの間新たに変えたものだ。
 決意を、形にするために。
「部屋の奥で座って護られてるだけのお姫様なんてもう充分……少しくらい悪い子になっても、あたしはあたしの望む方向に行きたい……そう決めたはずだったのに」
 水色の輝きが溢れ出し、蓮花は刃を一閃させて窓を破壊した。
 夜に身を躍らせ、三階分の高度も問題とせず難なく着地する。
 すぐ近くに細身の<戦鬼>の姿を見出し、即座に切りかかった。
 蓮花がリィゼア=フォウンを遣っていられる時間は四分強、それまでに大勢を決しさせなければならないのだ。
水色の彗星となって駆けた蓮花は、寸前で振るわれた刃を完全に見切り、すり抜けざまに逆手で<戦鬼>の腹の半分を薙いだ。
 そして即座に振り向きつつ順手に変更、左手を添えて切り上げる。
 <戦鬼>が振り向こうとする頃にはふわりとまさに目前に跳躍、居合いの如き動きで首を刎ね飛ばした。
「待っててね、宗一郎くん……」







 大介には、状況はよく判っていなかった。
 だが、これはまたとないチャンスだ。
 人が倒れていることからすれば、主催者やその護衛も倒れている可能性が高い。
『壊せ……楽にしてやるのだ……』
 剣からの意思が流れ込んでくる。
 大介はそれを憎悪で跳ね除けた。
「楽にだと……? 楽になどさせてやるものか! 生きていることを後悔させ続けてやる!!」
 化物、怪異もそれと戦う人間も目に入れない。
 ただひたすらに標的だけを探した。
「どこだ……どこだどこだ、どこにいるッ!!?」
 会場中を駆けずり回り、次は周囲の建物に突入しようと、手近な壁を破壊すべく剣を振り上げたときだった。
「……何だこれは!?」
 受付の方から驚愕の声がした。
 それは忘れるはずもない声だった。
「……見つけた……!」
 怨讐を吐き、大介はそちらへ向かう。
 姿もすぐに捉える。
 間違いない。
「功刀雅臣ィィィィィィィィッ!!!」
 絶叫が迸った。
 主催者である男、功刀雅臣もその声にはさすがに気付いたのか、こちらを振り向いた。
 最初に浮かんだのは驚愕、次に戸惑い、そして嘲笑に落ち着いた。
「どうしたのかな、大介。私に何か用でも……」
 しかし、笑みも長くは続かなかった。
「いや、待て、なぜお前がそれを持っている? 選ばれた素体にのみ使ったはず……」
 大介の持つ剣に気付いたのだ。
 最早見慣れた<魔具>、それもAランクのものだった。雅臣にも判るように、というそれだけの理由で<魔具>の形状はランクで分けられている。
 Aランクは両刃の長剣となる。
 しかし大介は雅臣の呟きの意味すら知らない。
「沙菜を返せ!!」
 ただ、望みを果たそうとするだけだ。
 そのことによって雅臣も落ち着きを取り戻した。
「返せも何もないだろう。沙菜は私の娘だ。お前が誑かして連れて行ったのを取り戻しただけだ」
「娘だろうがなんだろうが、お前のところにいて幸せになれるはずがないだろうが!」
「……身の程知らずとはまさにこのことだな。では、十六のお前がたった一人で沙菜を幸せに出来るとでも言うつもりか?」
 雅臣はわざとらしいため息をつく。
「職もない、自分の食事にも満足にありつけない。そんな人間が何を夢見ている? 甥だからこそあれこれ面倒を見てやろうとしたのに、その恩を仇で返しおって」
「はッ! 俺を手元に置きたかったのは、沙菜を縛るためだろうが!」
 大介も負けてはいなかった。
「お前、沙菜に何してた!? 毎日毎日俺のところに泣きに来てたんだぞ!? 狂いそうだって言ってな!!」
 思い出すだけで寒気がする。
 泣きじゃくる沙菜は、本当に壊れてしまいそうに見えた。
 だからこそ、連れ出して逃げたのだ。
 そして、間もなくして警察によって見つけ出され、連れ戻された。
 何と主張しようと、大介の言葉は何一つ通らなかった。
 社会正義など、力のある者のために存在していることをそのとき思い知った。
「何としても返して貰う……お前を殺してでもな!」
 大介は我流に、憎しみの求めるままに剣を構える。
 その切先を向けられながら、しかし雅臣は余裕の笑みを崩さなかった。
 少しだけ後ろを向いて言った。
「物騒だな。沙菜、お父さんは悪い奴に殺されてしまうそうだ。助けてくれ」
 大介は己が耳を疑った。
 そして、すぐに目も疑った。
 雅臣の後ろから現れたのはよく知った姿だった。
 いや、あるいはまったく知らないと言ってもよかったのかもしれない。
 まなざしに輝きはなく、顔に表情はなく、何の躍動も感じない。
 手にしているのは、大介のものと似た剣。
 それでも、沙菜だった。
「……沙菜……沙菜!? お前……」
「沙菜は私のボディガードになったんだ」
 雅臣は笑う。
「人としては壊れてしまったがね」
 大介は、すぐには理解できなかった。
 憎悪に替わって戸惑いばかりが心を満たす。
 こいつは何故笑っているのだろう。
「……娘……なんだぞ? 沙菜はお前の子供なんだぞ? 何やった……? なんで笑ってんだよ……?」
「お前も今持っているだろう? 持ち主の心と引き換えに、既存の文明の産物とはまったく別の力を引き出す代物だ。検証したときは心躍ったぞ。その赤い光は普通の刃物や銃弾どころか爆発物まで退けるじゃないか」
 雅臣は得意げに解説を加える。
「力を得るためには代償を支払わなくてはならない……納得できる理屈だろう? 私は力を得るために代償を支払ったというわけだ。身内の方が刷り込みも事後処理も容易いのでね」
「……お前……」
 ようやく、大介の頭の中ですべてが結びついた。
 剣があれこれ語り掛けて来ることは知っている。
 沙菜が泣いていたことから今の様子までが、ひとつの線で繋がる。
「お前は……」
「子供ならば、女さえいればまた作れる。それよりも忠実にして無敵のボディガードを手に入れたかったのでね」
 最早、親失格などという生温いものではない。
 大介は己の手の感覚を感じなくなっていた。
 どうしようもないほどの感情が身体中を駆け巡る。
 雅臣は下がる。
「さあ、私を殺すのだろう? 沙菜からまず殺すがいい。もっとも、心を残したお前とすべて差し出した沙菜とでは、お前に勝ち目はないがな」
 そして沙菜は歩み出てくる。
 大介は震えるようにかぶりを振った。
「来るな……」
 大介は雅臣を殺したいのではない。
 沙菜を救いたいのだ。
「来るな……」
 沙菜は無表情のまま、容赦なく近付いてくる。
 大介は退く。
「……来るなっ!」
 悲痛な叫び。
 しかしそれは沙菜には届かない。
 沙菜が、地を蹴った。










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