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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第二十七話「<魔具>」

「……こんなもの、か……?」
 最後の<戦鬼>を倒し、朱鷺子は辺りを見回した。
 怪異の気配はもう確かにない。
 それでも自信無げになってしまうのは、結界がまだ解かれないからだ。
 通常ならば怪異がいなくなれば、それと同時に無くなってしまうものなのだが。
 さらにもう一度確認、それでも感じないので遥たちの方へと向かった。
 遠目ではあるが、見たところ誰も欠けてはいないようだ。
 朱鷺子よりも先に博司がそこに加わったのも見えた。
「あとは宗と緋雪か……」
 戦っているうちに、いつの間にか姿が見えなくなってしまった二人のことを思う。
 と、近付いてくる気配に振り向いた。
 宗一郎でも緋雪でもないことには既に気付いていた。
 そこにいたのは、肩の辺りで髪を切り揃えた同い年ほどの少女。
「あ、あの……」
「千堂蓮花か。自力で脱出してきたのだな」
 朱鷺子は平然と応対した。
 おずおずとしていた蓮花の腰がさらに引ける。
「あの、えっと……葉渡宗一郎くんのことは……ご存知ですか……?」
「宗ならば先ほどまでは緋雪とこの辺りにいたのだが、いつの間にかどこかに行ってしまっていてな」
 朱鷺子も、さすがに少し思案の色を見せた。
「緋雪とともにいるならば、いかな状況でもまず心配は要らないのだが……」
 言い終える前に、絶叫が響いてきた。
 蓮花が、声の響いてきた受付の方を素早く振り返る。
 そのときにはもう朱鷺子が追い抜いていた。
 聞こえてきたのは宗一郎の声でも緋雪の声でもない。
 しかし、まだ結界の解かれぬこの状況では、向かわぬ理由がない。
 この場は残る者たちが担当してくれるはずだ。
 蓮花もすぐ後に続いた。





 甲高い音が鳴り響く。
「く……」
 大介は息を漏らす。
 沙菜の振り下ろす剣の速度と重さは壮絶なものだった。
 剣技など知らぬ同士、大事なのは速度と重さと手数だけだ。
 大介は頭の上に剣を掲げて、全身全霊で身を守っていた。
 そうしなければ、押し切られて叩き切られる。
「目を……目を覚ませ! 沙菜! 目を覚ましてくれ!!」
 必死に呼びかける。
 すると沙菜は無表情なままで答える。
「目を覚ますのはあなたの方……わざわざ苦しみにしがみつくことなんてないのに……」
 確かに沙菜の声。
 それなのに、感情がまったく入っていなくて別人の声のように聞こえる。
 叩きつけられる刃と<力>を剣で受けた大介は、そのまま吹き飛ばされた。
 受付から外に転がり出て、向かいの壁にぶつかって止まる。
「ぐぁ……!?」
 全身が重い。
 全身が痛い。
 試合中は何の問題にもならなかったものが、今は大介を苛んでいた。
 それでも立ち上がろうとする。
 沙菜を救うためにここまで来たのだ、今更諦められるわけがない。
 だが、重さと痛みを自覚してしまっているということが、気力の低下、ひいては希望の希薄化を示している。
「救ってあげる……大介ちゃん……」
 立ち上がったときに、沙菜は既に目の前にいた。
 いつもの呼び方で、従兄を呼んだ。
 それが無性に悲しかった。
 剣を自分の前で立てるのは間に合った。
 しかし衝撃までは殺せず、先ほどに倍する勢いで壁に叩きつけられた。
 剣も悲鳴を上げている。
「くそぉ……畜生ぉッ……!!」
 悔しさが溢れ出して来る。
 ここまで来たというのに、沙菜を目の前にして何もできない。
 沙菜の力は明らかに大介を上回り、大介は沙菜自身を攻撃することができない。
 もう一度沙菜が剣を振り上げる。
 それが下ろされれば、今度こそ支えられないかもしれない。
「力を寄越せッ!!」
 こんな終わり方などできない。
 沙菜を救うためにここまで来たのだ。
 成し遂げられないままに終わるなど、絶対に出来ない。
「心ならいくらでもくれてやる! だから沙菜を助けるための力を寄越しやがれ!!」
 絶叫が木霊する。
 しかし、大介の剣は応えはしなかった。
 輝きが増すこともない、感触が変わることもない。
 沙菜の剣だけが、容赦なく振り下ろされた。
「持って行っていいっつってんだろ! どうして……」
 言葉は途中で途切れた。
 沙菜の剣が、大介の額から数cmのところで槍の柄によって止められていた。
 それを握っているのは、三回戦を戦っていた相手。
 宗一郎は黒の靄に包まれ、視線は沙菜に向けている。
「……結界ができてからこっちの武器……察するに話に聞く<魔具>か……」
「そうでしょう。それに当たります」
 緋雪はそのすぐ傍にいる。
 沙菜の視線が二人の方を向いた。
「何ですか……? あなたたちも楽にして欲しいんですか……?」
「……ついさっきも似たような系統の台詞を聞いたような気も」
 宗一郎は大介の前に割り込みながら、沙菜を押し返す。
 沙菜の纏う<力>の量は凄まじいものがあるが、苦しくはあるものの押し返すことは不可能ではなかった。
 使っているのは戦闘訓練などとは無縁の人間だったのだろうと宗一郎は察する。
 それならば、対応は出来る。
 そのまま後ろの大介に告げた。
「立てるか?」
「あ、ああ……」
 大介は転がるようにして横に出ると、宗一郎に並んだ。
 普通であれば、何故と幾つもの疑問が浮かんだのだろうが、今はそのような状況ではない。
 沙菜をかき口説く。
「沙菜! 正気に戻ってくれ! お前はそんな……」
「私が何?」
 対する沙菜は、見事なまでに無感動だった。
 優しくもない、厳しくもない、冷たくもない、そんな響き。
「私が何なの?」
 じりじりと、再び宗一郎を押し込み始める。
 口篭る大介の横で、声もなく全力で抵抗しながらも、宗一郎は状況を整理していた。
 この少女が大介の知り合いであろうことは判る。
 <魔具>に乗っ取られているであろう事も判る。
 そして、大介がこの少女を取り戻そうとしていることも判る。
 しかし果たして、<魔具>に侵蝕された者は元に戻っただろうか。
 少なくとも、侵蝕され切っていれば打ち滅ぼすことが唯一の救済手段であると言われているはずだ。
「どうするのですか、宗一郎?」
 時を図っていたかのように緋雪の声が耳に届く。
 すぐ横にいて、しかし手は貸さない。
「……どうもこうも!」
 一度力を抜き、沙菜が前のめりになってバランスを崩したところで宗一郎は一気に弾き飛ばした。
 沙菜は一度転がり、雅臣の前で立ち上がる。
「……君は何なのだ?」
 再び飛び出そうとしたところを雅臣が遮り、苛立たしげな視線を向けてきた。
「なぜ私の知らないことがこれほどある? 何がどうなっている?」
「……蓮花を攫わせたんはあなたですか?」
 答える義理はない、と宗一郎は雅臣の台詞を無視、逆に問い返す。
 だが、雅臣は苛立ちを一層強めただけだった。
「それは誰だ? それも私は知らんぞ……報告を怠慢しおって……」
 その物言いに、恐らく本当に知らないのだろうと宗一郎は判断した。
 同時に、集団の上位に属してかつ利用されたのではなかろうかと薄々察する。そして、察することの出来るようなことを口走ってしまうあたり、こちらを侮っているのだということも。
 そこまですべて演技だという可能性もないではないが、低いと踏む。
 ともあれ、<魔具>に乗っ取られた者を従わせているというだけで捕らえるべきだろう。
 受付のところに雅臣と沙菜、そこから10mほど離れて宗一郎と緋雪、そして大介。
 二つの集団が対峙する。
「あんたは手を出すな……沙菜は俺が助ける……」
 低く、大介が言う。
 宗一郎に向けた言葉だが、見ているのは沙菜だ。
 宗一郎は改めて大介に意識を向けた。
 大介の手に握られているのは、おそらくは<魔具>。
 それでいて、まだ乗っ取られてはいない。
 <魔具>については判っていないことが山ほどある。
 協力してもらえれば、後々のためになる。
 雅臣を捕らえ、大介の協力を得て、沙菜を救えるのが最良の結果。
 が、最後の一つが難しい。
「具体的に手はあるんか?」
 あるのであればそれでいい。
 しかし、ただ意地で手を出すなと言っているのであれば、受け入れるわけにはいかない。
 先ほど目にした攻防からすれば、たとえ全力で戦えたとしても沙菜の方が勝っているだろう。
 試合のときのあの気迫がどれほどの思いから出たものかは想像に難くないが、だからといって無為に死なせるわけにはいかないのだ。
 少し待っても答えは返ってこなかった。
「……ないんやな?」
「……るせぇっ!」
 自棄にも近い咆哮とともに、大介が駆け出す。
 宗一郎はまなざしを細めた。
 一方、沙菜も飛び出していた。
 大介を凌駕する赤黒い輝きを纏い、肩に乗せるようにした剣は単純に袈裟切りを狙っている。
 それはあまりにも明らかで、大介にも判っていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 振り下ろされた剣の威力に負けぬよう、受けた瞬間に体当たりするようにして防いだ。
 滑った刃が大介の頬を鋭利に裂く。
 血がしぶいたが大介は痛みを感じていない。
 しかしそこまでだった。
 大介がそれにすべての力を込めたのに対し、沙菜には余裕があったのだ。
 翻った剣が大介の胴を横薙ぎにしようとする。
 そこへ後ろから宗一郎が割り込んだ。
 剣身と槍の柄がぶつかって甲高い音を立てる。
 ぎりぎりと、今度は低い姿勢での押し合いとなる。
「なぜ……? なぜ生きようとするの……? こんなに苦しいことはないのに……」
 あくまでも虚ろに、沙菜が言う。
 その言葉は、以前の沙菜を知る由もない宗一郎にとっては普通の言葉。
 しかし大介にとってみれば、胸を抉られるような言葉だった。
 狂いそうになっていた沙菜。
 理由も分からずにいて、逃げ出させるのが精一杯だった自分。
 そして結局は連れて行かれてしまった。
「……俺が……もっとしっかりしてれば……」
 思わず、声が漏れた。
「どうしたらいいんだ……どうしたらお前を助けてやれる……?」
 沙菜は答えない。
 後ろから雅臣が鼻を鳴らしただけだ。
「ままごとはいい加減にしろ。お前を中心に世界が回っているわけじゃない。身の程を弁えろ」
「ままごとだと!?」
 き、っと大介は雅臣を睨みつける。
「従妹を助けてやりたいと思うのは普通のことだろうが!!」
「大きな世話だ。沙菜は私の娘なのだからな。いつまでも幼稚園のときの婚約ごっこの続きで悦に入ってるものじゃない」
「お前が親なんぞ名乗るな!!」
 そんな二人のやり取りを、宗一郎は沙菜の剣を押し返しながら黙って聞いていた。
 どうもこの男は相当に酷い奴らしいと悟る。
「……功刀大介」
 視線を一瞬左右へと走らせてから、大介へと呼びかけた。
「共闘といこう。目的果たすんに他人の力借りたらあかんわけやないやろ」
「うるさい、俺は……」
「あの女の子を助ける、言うたな?」
 撥ね付けようとするところへとさらにもう一言。
「可能性は低いながらも、案をひとつ持っとる」
 先ほどと同じく一度力を緩め、その後に身を左に流して沙菜を右に弾き、同時に足払いを仕掛ける。
 技術そのものは普通の少女でしかない沙菜は、狙い通りにバランスを崩した。
 そこを石突で思い切り突き飛ばした。
「沙菜に何しやがる!?」
「<力>のおかげで蚊に刺されたほどにも感じへんはずや」
 食って掛かる大介を押し留め、宗一郎は沙菜を指す。
 沙菜は何事もなかったかのように起き上がろうとしていた。
「<魔具>……その剣に侵蝕されきった人間が喋った例はない」
 宗一郎は大介の承諾を待たずに続ける。
 大介はその言葉に反応した。
「あいつは心を全部持って行かれたって言ってたぞ? あれは嘘なのか?」
「さてな。あくまでも前例がないだけの推測にしか過ぎんけど……まだ完全に呑まれ切ってはないんかもしれんとは思える」
 今まで起こった<魔具>に関わる事件は、決着が着く頃には必ず呑まれ切って言葉を失っていたはずだ。
「まだ呑まれ切ってないなら、剣砕けば命だけは助かるかもな」
 手放させるのは無駄だろう。<魔具>使いも元々常時抜いているわけではないはずだ。
 とは言っても、その砕くことそのものが一番難しい。
 <武具>によって霊具が砕かれることはあるが、霊具で霊具を砕くことはほぼ不可能に近いくらいなのが現実だ。
 <魔具>がどれほどの強度なのかは判らないが、オオミナチや大介の剣が発している程度の<力>で砕けるとは思えない。
 しかし、アウリュエルスト=サイファーならば確実に可能なはずだ。
 できる限り頼ることはしたくないが、ここは使いどころだろう。
 抜くためのごく短い時間さえ稼いでもらえば、実行できる。
 稼いでもらう必要さえないかもしれない。
「僕が……」
 言いかけたときだった。
 既に大介が駆け出していた。
 大上段に剣を振り上げ、沙菜へと一直線に。
「待てい!」
 宗一郎が止めるが、大介は聞かない。
 沙菜も迎え撃つように大きく剣を振った。
 二本の<魔具>ががっちりと噛み合う。
「沙菜!」
「ほら、そんなに苦しんでるのに、どうして生きるの?」
 やはり虚ろに沙菜が言う。
 大介の剣が悲鳴を上げる。
 予想通りだと、宗一郎は思う。
 沙菜の方が纏う<力>がはるかに大きい以上、砕けるならば大介の剣の方が先だ。
 急がなければならない。
「緋雪」
 振り返ったときだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 大介が咆哮を上げた。
「俺に力を寄越せ! こいつを壊す力を!!」
 その瞬間だった。
 大介を覆う輝きが倍加した。
 明らかに押されていたものが、徐々に押し返し始める。
「まだだ! まだ!!」
 大介は更に望む。
 <力>が更に増した。
 互角を越え、逆にあっさりと押し込み始める。
 <力>の大きさはまだ沙菜のものの方が上だが、元々の筋力の差が大きいために総合的に大介が上回ったのだ。
 なんだ、簡単じゃないかと大介は思う。
 気分が良かった。
 解放されて自由になった感触。
 何をむきになっていたのだろう。
 誰が死のうが、別にいいではないか。
 むしろ悩みを抱えて生きるよりも余程いい。
 そうだ、この子も楽にしてやろう。
 大介はそんな結論に至る。
 心に、僅かな違和感を残して。










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