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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第二十九話「勝者」

「宗」
 ゴールデンウィークが明けた。
 朝の教室は休みを引き摺った気だるさに満たされている。
 宗一郎が声をかけられたのは、窓からぼんやりと校庭を眺めていたときだった。
「ん?」
 朱鷺子に向き直る。
「何かあったんか?」
「知らせが三つある」
 朱鷺子は近くに誰もいないことを素早く確かめると、そう切り出した。
「多いな」
 宗一郎は小さく笑みを浮かべた。
 ゴールデンウィーク中も朱鷺子との修練は欠かさなかった。
 昨日はなかった知らせが今日は三つあるということだ。
 なかなか豪気である。
「まずは、バトルフィールドと呼称されるあれだが……日本支部が口を挟んでな、場所を移して存続されることになった。隣の街にも似たような条件の場所があってな」
「……人材発掘でもするんか?」
 ありうる未来として予想はしていたので、さして驚きはしなかった。
 戦える人間は、いくらいても足りないのだ。
 優秀な戦士の素質を持って生まれるのが家の者たちばかりとは限らない。
「それが目的ではあるが、雨田武士のことについての手がかりとなることもある」
「あのランキング一位か。<魔具>持って消えた」
 宗一郎はあのときのことを思い起こした。
 何をしたかったのかまではよく判らないが、自分に<魔具>を投げて寄越して、その後でそれを持ち去った。
「あれはおそらく、一年前に出奔した雨田家の長子だ。聞いていた話とは随分印象が違って、名を聞いただけでは信じがたかったのだが……隠そうとしてはいたが、あの武の腕は膨大な痛みと汗の上に築き上げられたものだ。そうそう他にいるとは思えん」
 朱鷺子は低く告げる。
 雨田家というのは、千堂家などと並んで<武具>遣いの家で最大級と数えられる四家のひとつだ。
 言われてみれば、その長子は十五の年になっても<武具>を得られずに出奔したと、そんな話を聞いたこともあるように思える。
 別に十五歳まででなければ得られないなどということはないが、雨田という巨大な家の嗣子であれば肩身が狭くて仕方がないくらいではある。
「……なるほど」
「ちなみにあれそのものは公のものにはできんから政府公認ではないが、黙認だな。さすがに賭けは禁止されることになったが」
 朱鷺子はあっさりと話を元に戻した。
「あの事件については、功刀雅臣を社会的に抹殺するための手段としていろいろ被ってもらったらしい。あそこに有害なガスをばら撒いた……となったそうだ」
「……冤罪とは憐れではあるけど……自業自得か」
 宗一郎にもそうとしか言いようがなかった。
「それで、二つ目は?」
「支部の有する病院に寝かせておいた功刀沙菜が目覚めた」
「……目ぇ覚めたんか……」
 この二つ目の知らせは、充分驚くに値するものだった。
 死なずに済んだということは、沙菜は乗っ取られきってはいなかったということであるのだが、見ていて目覚めてくれそうな気配などまるでなかったのも確かだ。
「そいつは何より」
「少々遠いが、帰りにでも寄ってみるか? 随分と気にしていたように見えるが」
 朱鷺子が瞳を覗き込んで来る。
 そんなに気にしていただろうか、と宗一郎は思いつつも、そうなのだろうと結局は結論付けた。
「……ほうやな。それで、三つ目は?」
「ああ、最後の一つは……」
 朱鷺子が言いかけたところで、チャイムが鳴った。
 朝のショートホームルームの時間だ。
「……時間だな。なに、大層なことではない。すぐに納得できることだ」
 そう言い残して、朱鷺子はさっさと自分の席に帰ってしまった。
 宗一郎も自分の席につく。
「よ、いいんちょと何話してたんだ?」
「先生来たぞ」
 前の敏弘が後ろを向いて話しかけてきたが、小さくドアのところを指して制する。
 敏弘もそちらを見て、眉を互い違いにする。
「おんや、ともちゃんせんせじゃないか。担任木庭は出張か……って、おい!?」
 が、途中で目を点にした。
 巴の後から、少女が一人着いて入ってきたのだ。
 教室中が、しんと静まり返る。
 空気だけは今にも爆発しそうだが。
 三つ目はこのことか、と宗一郎は確かにすぐに納得した。
 どういう顔をしていいのか困って、苦笑いが浮かぶ。
 教壇に立った巴が教室を見回した。
「ええと……今日、木庭先生は寝込んでおられまして……」
「いや、そんなの誰も興味ないから」
 誰かが容赦なく突っ込む。
「む、えっと……」
 巴は少しだけ困った顔をしたが、すぐに気を取り直して横の少女を示す。
「……今日、新しく編入してきた千堂蓮花さんです」
「せ、千堂蓮花です……よろしくお願いします……」
 恥ずかしそうに小声で、蓮花はぺこりと頭を下げた。





 昼休み。
 休み時間を三つ経ても、蓮花の周りには即座に人が集まった。
 人垣で顔も見えないなどという漫画のようなことは起こっていないが、右へ左へと忙しいくらいには多い。
 男子はいない。
 まだいないと言うべきだろうか。
 虎視眈々と機会は狙っているのだが、最初に動き出そうとする者がいないのだ。
 あからさまなことをすれば、蓮花の周りに集まっているクラスの女子から嫌な目で見られるのが確実だと判りきっているのである。
 だから、今のところ蓮花も嫌な思いはしていなさそうだった。
 宗一郎としては何かあれば手助けした方がいいだろうかとずっと気にかけ続けていたのだが、朱鷺子の出番すらない。
「よう、もしかして宗一郎も狙ってんのか?」
 敏弘がひょいとこちらに身を乗り出してきた。
「狙う?」
 何を言われているのかを即座には理解できず、しかし一呼吸の後に腑に落ちた。
「いや、ずっと前からの知り合いでな、何かあったらフォローしよかと」
 あっさりとばらす。
 どうせ三日後くらいまでには必ず知られることになるのだ、隠しても意味がない。
「ほれより、『も』いうことは、お前は狙っとるわけ?」
「あわよくば」
 敏弘はにやりと笑った。
「俺としては、どっちかっつーといいんちょみたいなきつい感じの美人よりは、ああいう優しそうで可愛い方が好みだからな」
「そうかい」
「ってなわけで、助言があったらくれ」
 照れるでもなく、平然と言う。
 宗一郎は小さく笑った。
「まあ、五年前から変わってなけりゃ……」
 見ている先で、とうとう最初の一人が向かった。
 クラスの男子が固唾を呑んで見守る。
 宗一郎は昔を思い出しつつ、続けた。
「笑顔で話しかけてくる見知らぬ同年代の異性は、悪戯仕掛けてくる気がして怖いらしいぞ」
「ほほう……」
 今まさに、笑顔で話しかけている同年代の見知らぬ異性がいる。
 話しかけられた途端に、蓮花の表情が強張り始めたのが明らかに見て取れた。
 周りの女子にも判ったのだろう、すぐに追い払われた。
「なるほど、今も怖いようだな。じゃあ、ぶっきら棒に行くのがいいのか?」
「限度が過ぎると普通に逃げるぞ」
「……難儀だな」
「僕も最初に話すまでの四年間は、なんか姿を見ぃへんと思たらどうも避けられどおしやったらしい」
「…………えらく難儀だな」
 さすがに敏弘も苦笑を浮かべた。
 宗一郎は敏弘に視線を置き、小さく笑った。
「あれで、実は物凄い強情なんやけどな」
 そして立ち上がる。
 心配はないだろうと判断した。
 昼食も、そのうち女子が学食か購買にでも連れて行ってくれるだろう。
「なら、昼飯食うてくるわ」
 敏弘にそう言い残して教室を出る。
 しかし、階段まで行かずして後ろから声をかけられた。
「宗一郎くん……」
「ん?」
 宗一郎は声から蓮花と判別し、振り返る。
 偶然ではなく後を追ってきたのだろう、蓮花は一人だった。
「これからよろしくね。何かあったら、協力するから」
 見上げてくる蓮花のまなざしは真摯で、宗一郎は少し戸惑う。
「ああ……」
 頷いてから、尋ねる。
「しかし……そもそも何でここに?」
「……秘密」
 蓮花は少し困ったような顔をしてから、そのまま笑った。
「とにかく、よろしくね。あたしもちょっとは強くなってるから」
「……昔から既に僕より強かったような気がするんやけど」
 宗一郎は眉を互い違いにして違和感を示す。
 しかし蓮花は笑うだけだった。
「それより宗一郎くん、食堂ってどこかな?」
「……周りに集まっとった面々には訊かんかったんか?」
「うん……宗一郎くんに訊くって言って出てきたから」
 あっけらかんと言う蓮花に、宗一郎はわずかに笑った。
「……なら、しゃあない。けど、この時間ならごった返した学食より、品数減っとるけど空いとる購買の方がええな」
 そしてそのまま歩き出す。
 慣れぬ者であれば戸惑ってしまうところだっただろう。
 しかし、たとえ五年の空白を経てはいても、蓮花は慣れていた。
 小さな笑みを浮かべてから後を追う。
 懐かしさを胸に秘めながら。







「大介ちゃん……」
 沙菜が無垢に笑う。
「大介ちゃん、大介ちゃん……」
 ただ名を呼び、大介に纏わりつく。
 明け透けな好意に、大介は戸惑いながらも無表情に抱き締めることで応える。
 沈みかけた太陽の照らす、病院の屋上での光景。
 朱鷺子と二人でやって来た宗一郎が目にしたのは、そんなものだった。
「……功刀大介が失ったものは一部の記憶と感情の表出……そして功刀沙菜に残されたものは功刀大介への愛情と、あの言葉だけだそうだ」
「……ほうか」
 宗一郎は呟くように頷いた。
 失われた部分が<魔具>の侵蝕を受けたところ、残った部分が<魔具>の侵蝕に抵抗したところ。
 大介はおそらく、あの瞬間に最も強く心に出ていた部分がやられたのだろう。
 だから、沙菜のことがぽっかりと抜け落ちている。
 そして沙菜は、心がなくなってゆく中で大介のことを蜘蛛の糸としていたのだろう。
 その細い糸は切れることなく、最後まで耐え抜いたのだ。
 二人の関係がどのようなものだったのかは知らない。
 しかし大介はあれほどになってまで沙菜を救おうとし、沙菜は大介を思って耐え忍んだ。
 その間にあった絆はどれほどのものだったか。
「愛だの恋だのはまやかしだと言う者もいるが……むしろ、まやかしであれば不都合があるのだろうか、な」
 朱鷺子の声も呟きに近かった。
「ザイン=ウェスペルに正体不明の女だったか……今回の首謀者は羊を残して逃げ遂せたようだが……いくつもの偶然もあったにせよ、勝者は功刀大介と功刀沙菜だと言うべきだろう」
「ああ」
 宗一郎は、屋内へと続くドアの横の壁にゆったりと背を置いた。
 世俗の一切を洗い流された沙菜の笑顔は本当に無垢だ。
 大介も、沙菜の記憶はなくなっても思いの深さまでは消えていない。
「またこれから新しい関係を築いていける……かな」
 どのような未来が紡がれるのかまでは分からないが、これは終わりではない。
 終わるその時まで、何もかもは続いてゆくものだ。
 かつて自分が両親を葬り、今でも問題なく生きているように。
「……朱鷺子?」
 気付くと、朱鷺子が見上げてきていた。
「人は過信するほどに強くはないが、思うほどに弱くもない。あまり気には病まぬことだ。私とて何も出来なかった」
 いつもの如く自他ともに厳しいが、しかし確かに案じたまなざし。
 朱鷺子には朱鷺子の優しさがある。
 宗一郎は口の端に笑みを浮かべた。
「それこそ、やぞ」
「まあ、確かに面の皮が厚いのはお前の持ち味ではあるが」
 朱鷺子はあっさりと頷き、視線を二人に戻す。
「それよりも、どうする? 話をしていくか?」
「……いや、ええ」
 宗一郎も再びそちらを見やって、かぶりを振った。
 背を離し、ドアを開ける。
「割って入るんは野暮な気がする。また今度にしよう」
「……なるほどな」
 朱鷺子も真顔で頷き、宗一郎に続いた。
 ぱたん、とドアが閉められる。
 その音に気付いた大介が振り返ったが、誰の姿も見えない。
「大介ちゃん……」
「ああ……」
 無邪気に擦り寄ってくる沙菜に気を取られ、音がしたこともすぐに忘れた。
 茜色の夕焼けが屋上に長く影を焼きつけ、一方東の空は黒ずみ始めている。
 はるか上空では黄砂が舞う。
 そして、今宵昇るのは満月だ。










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