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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第三十一話「師弟の約束」

 それは夏の日だった。
 とてもとても暑い、雲ひとつない青空の広がっていた日。
 そこで見たのは同じ年頃と思える少年の演武だった。
 演武というよりは、正確には仮想の敵と戦っているような動き。
 丘の上、他には誰も見る者もないであろう場所で一心不乱に身体を動かしていた。
 じっとそれを見ていた。
 だから、終わったときに目が合った。
『何か用なのか?』
『いや、すごいなあ……って。ボクもそういうことするんだけど……』
 興奮とともに答えると、少年は苦笑した。
『そう言われると妙な気分だな。俺なんかまだまだだぞ』
『それでもボクよかずっと強そうだよ。今、何歳?』
『十三だ』
 少年が口にしたのはひとつ上となる年齢だった。
 そしてそれから一週間、少年と毎日会い続けた。
 ここには、お付きの小母さんを一人連れて半ば山篭りに来たのだということも知った。
 一週間という短い時は飛ぶように過ぎ、別れの日はすぐにやって来た。
『お願いがあるんだ』
 切り出した。
『ボクが中学校卒業したらさ、師匠になってくれないかな?』
『今でも他にいるんじゃないのか?』
『うちの両親、ダメダメなんだ。なんか、あと二年もしたら勝てちゃいそうな気がするんだよね。これじゃ早々に成長鈍っちゃう』
『ううむ……』
 少年は困ったように考え込んだ。
 だが、やがて仕方なさそうに頷いた。
『了解さえとれるのなら、俺はいいけど……』
『やった! 約束だよ!?』
『ああ、約束する』
『そういえば、名前まだ言ってなかったよね。ボクは志野杜真琴』
『マコトか……俺は祖父江博司だ』
 それが出会いであり、別れだった。





「……それって……」
 話を聞いた紗矢香が呻いた。
 確かに博司から聞いたことのある内容だった。
 あのときには既に紗矢香がお付きとなってはいたのだが、環境が環境だけに紗矢香の母親が着いて行っていたときの話だ。
「でも、それ……男の子じゃなかったんですか、博司様?」
 助けを求めるように博司を見る。
 博司は眉尻を下げて困った顔だった。
「ああ、てっきり男の子だと思ってたんだが……考えてみたら性別なんて確認してなかったな……」
「まあ、それは仕方ないよ。あの頃は髪も短かったし、年頃も年頃だったし、喋り方もこれだしね」
 少女は屈託なくからからと笑う。
 特に気にした様子もない。
「とにかく、覚えてくれてて安心した。ボクは志野杜真琴、真なる琴で真琴だよ。これからよろしく、師匠?」
「ちょっと待って!」
 慌てて紗矢香が割って入った。
 真琴がいぶかしげに首を傾げる。
「なんだい?」
「弟子になるなんて人が来ることをあたしが知らなかったってことは、誰も知らないんじゃないの?」
 紗矢香は博司に関する予定はほぼ網羅している。
 こんな話があれば聞いていないわけがない。
 しかし真琴はあっけらかんと言った。
「んー、うちの両親に今日言って認めさせて即出てきたから……そろそろうちの親からこの家に連絡が来るんじゃない?」
「き……今日って……こんな急に認められるわけないでしょ!?」
「ああ、いや、それなんだが……」
 勢い込む紗矢香に、博司が横から割って入った。
「そういう子がいるってことを話したときに、本当に来たら約束を守れって言われたくらいだからな、父さんも母さんも拒否はしないと思う」
「で、でも……それは男の子として話したわけですよね!? この子、女の子ですよ!?」
 紗矢香は食い下がる。
「性別が違ったら約束そのものが無効じゃないですか!」
「えー、そんなことないだろ? 祖父江博司が志野杜真琴の師匠になるって約束なんだから、性別なんて関係ないよ」
 むっとした表情で、真琴。
 二人の睨み合いは、しかし博司の一言で終わった。
「勝手に勘違いしてたのは俺の方だしな、約束は約束だ」
 それは真琴の意見を認める発言。
「よっしゃっ!」
 真琴は飛び上がって喜びを示し、紗矢香は肩を落とす。
 傍で見ている遥や翔子にとってみれば、なぜそれほど紗矢香が消沈するのかの概ねの予想はつくのだが、当の博司は戸惑うばかりだ。
「どうしたんだ、紗矢香? 頭でも痛いのか?」
「あ、いえ……何でもないです。気にしないでください」
 紗矢香は慌てて笑顔を浮かべ、かぶりを振る。
「それより、そうするのなら説明に行かないと……」
「そうだな、さすがに言ってこないといけないな。ええと、それじゃあ真琴……」
「らじゃ、師匠!」
 真琴はおどけて敬礼、そのまま母屋に向かった博司に続く。
 二人の後ろ姿を見送りながら、遥がほへぇ、と小さな声を漏らした。
「こりゃあ、さっちんに厄介なライバル出現っぽいかもなのさ~」
「……言わないで、ほんとに頭痛くなるから…………って、く……!?」
 ため息とともに紗矢香は俯き、不意に右首の付け根を押さえて苦悶の声を漏らした。
 また突如、大きな痛みがやってきたのだ。
「うわわ、またなのさ~!?」
 すぐに遥が傍に寄った。
 そして、翔子は紗矢香の襟を引いて、押さえているところを覗き込む。
「ちょっと見せてもらうわよ」
 そこに見えたのは、白い図形だった。
 全体的には円形で、周囲はぎざぎざとしたものとなっている。
「……何だか痣みたいなのが見えるんだけど……心当たりある?」
「……痣?」
 紗矢香は荒い息ながらも、いぶかしげに眉を寄せた。
「そんなもの、昨日のお風呂のときにはなかったはずだけど……」
「でもあるわよ、ほら」
「わ、ほんとだね……」
 遥も覗き込んで頷く。
「とりあえず、病院とか行った方がいいんじゃないかな~?」
 それは極めて妥当な意見ではあった。
 しかし紗矢香はかぶりを振った。
「駄目よ……そんなことしたら博司様に心配かけちゃう」
 二人の手を払い、向き直る。
「多分筋肉痛の親戚か何かだから、今日のことが博司様に伝わったりするようなことはしないでね?」
「到底筋肉痛の親戚には見えないわよ」
 翔子は左手を腰に当てた。
 筋肉痛で白い痣ができるなどという話は聞いたこともない。
「放っておいていいものじゃない可能性、高いかもしれないのよ?」
「それでもお願い、伝わらないようにして」
 そう言った紗矢香のまなざしは真摯。
 翔子も遥もしばし言葉を失った。
 やがて、翔子が大きくため息をついた。
「うちの兄貴に訊いてみるくらいはいいでしょう? 誰なのかは伏せておくから。とにかく放っておくわけにはいかないわよ」
「そだねー、宗一郎さんなら何か判るかもしれないし……」
 遥も横で頷く。
 紗矢香もそこまでは拒絶することは出来なかった。
 痛みは今も鈍く苛んでくる。
 心当たりは本当にない。
 しかし、紛うことなき不安が漠然と広がってくることも押さえることは出来なかった。
「……お願い」
 かすれた声で、それだけを言った。







 夜の鍛錬。
 毎日のようになされるそれは、内容そのものは決まっていない。
 場所に関しても同様で、庭でやっていることもあれば山のこともあり、砂浜のときもある。
 今日は裏庭での打ち合いだった。
「へへ、行っくよ!」
 元気たっぷりに長斧を構えている真琴に対し、紗矢香は重い気分と身体を引き摺っていた。
 言い知れぬ苛立ちがある。
 それは自分の体調からばかりではなく、むしろ真琴が原因のものが大きい。
 真琴は結局認められ、祖父江家に居候することになった。
 しかも中学校卒業後は学校には行っていないし行くつもりもないということで、それこそ博司とは一日中一緒にいるようなものだ。
 あたしでも住み込みじゃないのに、と思わずにはいられない。
 そして今は、丁度力量が拮抗していそうだということで相手をすることになっている。
 自然と、真琴を見る目つきはきつくなる。
 しかし真琴の方はそれを闘志の表れと見ていた。
 胸がわくわくとしてくる。
 既に両親に勝てるようになってしまった真琴にとって、いい勝負が出来そうだということは実に喜ばしいことだった。
 そして勝負は始まる。
 互いに長物と長物、しかし取り回しでは紗矢香が勝り、威力では真琴が勝る。
 身体能力も、速さで紗矢香、力で真琴。
 紗矢香が繰り出す疾風のような連撃を弾いて真琴は強烈な一撃を繰り出し、紗矢香はそれをかわしてさらに連撃を加える。
 博司の見立てどおり、二人の力量は拮抗していた。
 だが、時間が経つにつれて紗矢香が押され始めた。
 最初は余裕をもってかわせていたのが、徐々に厳しくなってくる。
「スタミナ不足だね!」
「く……」
 横薙ぎの一撃を辛うじて受け、紗矢香は肩で息をする。
 身体が、まさに鉛のように重い。
 博司も紗矢香の不調に気付いたのか、そこで止めた。
「それまでだ」
「よし、勝った!」
 真琴が嬉しそうに、ぴょんと跳ねる。
 紗矢香の方は、今の状態を迂闊に口にするわけにもいかないので、真琴には何も言い返さない。
 博司が紗矢香を覗き込んだ。
「調子悪いのか?」
「あ、いえ……あ、はい……ちょっと寝不足で……」
 最初は否定しかけた紗矢香だったが、一転して頷いた。
 調子が悪そうに見えているときに否定するといっそう心配させることになる、というのは夕方言われたばかりだ。
 本当は寝不足などではないのだが、嘘も方便だ。
「すいません、足手纏いになりそうだから、あとは見てますね……」
 笑顔を浮かべ、一歩下がる。
 ここで無理をして倒れてしまっては、ばれてしまう。
 それでは翔子と遥に念を押した意味がない。
 知られないうちに何とかして治そうと心に決める。
「そうか。身体には気をつけろよ?」
「はい」
 案じてくれるのが嬉しくて、今度は素直な笑顔を浮かべた。







「……これだけでは、何とも言い難いな」
 夕食後の葉渡家。
 今日も街に出て哨戒すべく靴を履こうとしていた宗一郎は、追いかけるようにしてやって来た翔子が差し出した紙に描かれている図形を見て、呟くように言った。
 図形は、あえて言うならばペンキを一滴、床にでも落としたような形。
 宗一郎はそう把握した。
「こういうのが右の首の付け根辺りにいきなりできてたらしいんだけど」
 誰とまでは言わずに翔子が続ける。
「心当たりとか、ない?」
「ふむ……」
 宗一郎はしばし思案した後で、ぽつりと問うた。
「……色は?」
「白だけど……」
 翔子は記憶を反芻しながら答える。
 白で間違いはないはずだ。
 すると、宗一郎は低い声で告げた。
「純粋に肉体的な変化っちゅう可能性を置いといて、霊的方面に限定するとしたら……徴かもな」
「徴?」
「怪異と関わっとる徴。お気に入りか標的かは判らんけど、その証としてつけられた徴や」
 精緻に編まれた知識から推測を紡ぎ出す。
「あと、白は死を暗示するときに案外多い色やな。死装束やらあるし、贄の家には白羽の矢が立つ」
 そして低い声のまま、問い返した。
「ところで、誰や、それは?」
「……秘密にしなきゃいけないの。そう約束したから」
 あやうく答えてしまいそうになりながらも、翔子はすんでのところで自制した。
 宗一郎は特に追及せずに立ち上がる。
「……なら、行くか、緋雪」
「はい」
 滑るようにして緋雪が宗一郎に続く。
 翔子は二人を見送りながら、動悸を必死に抑えていた。
 ただの推測にしか過ぎないとは言え、嫌なことを聞いてしまった。
 素直に解釈すれば、殺すことの予告として標的に付けた、ということになる。
 紗矢香のあの苦しみ方を思い出せば、本当にそうなのではないかと思ってしまう。
 これでは聞いて不安が増しただけだ。
「どうしよう……」
 呟いて、それからふと気付いた。
 どうして追求されなかったのだろう、と。



 朱鷺子と合流すべく、宗一郎は隠部神社に駆けていた。
 が、思考の大きな部分を占めているのは翔子との会話だった。
「とりあえずは……あいつの親しい相手やな」
 霊的な何かかもしれないと思ったからこそ翔子は自分に相談してきたのだろうし、誰なのかと問われたときにあまりにも答えが遮断されすぎている。
 さして親しくもない相手であれば、一言くらいは他愛もない情報があるか、言葉を濁す程度であってしかるべきだったろう。
 そして重要なことであるかもしれないのにそれでも誰なのか明かさないとなれば、その当人に止められているということになる。
 となれば、当人もある程度は予感できているということであり、<武具>遣いの関係者である可能性は高い。
 また、そうであるとすれば翔子が一言で拒絶した理由のひとつにもなる。
 翔子がある程度親しい<武具>遣いの関係者など、そう多くはない。その気になれば虱潰しにしても半日も要るまい。
 もっとも、それはすべて推測の域を出ないことではある。
 誰しもが同じように考えて同じように行動するわけではなく、その上気紛れというものも存在する。
 それでも、翔子は妹だ。
 すべては知らずとも、様々な癖や傾向を宗一郎は知っている。
 この推測は的中しているのではないかと、そんな気はした。
 そしてもうひとつ、こちらは本当に当てずっぽうではあるのだが、確かめておくべきことがある。
 日本支部にそのことについて連絡しておけば、明日までには結果が判るだろう。
 翔子を問い詰めるにせよ虱潰しにするにせよ、関連が判ってからの方が容易くなるはずだ。
 隠部神社までは、あと少し。










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