第三十九話「光」「来たか、童……相当に鍛えたようだな? 背も伸びたものよのう……」狐は愉快そうに笑った。 九本の尾が、威圧しようかというようにゆらゆらと揺れる。 それと向かい合った博司は、既にサミダレを手にしていた。 「ああ、鍛えたぞ。四年前よりも強くなった」 「ほう、しかし、汝が戦うということは、判っていような?」 「ああ」 九尾の狐の言葉は、博司にも重々承知済みのことだった。 紗矢香独りで倒さない限り、呪いが解けることはない。 「よいのか? 娘に任せておけば、万が一にも叶うかもしれぬものを」 「解ける必要なんてない。修練すればいい。埋めて余りあるくらいにな」 「愚かよな」 博司の言い放った台詞を、狐は一笑に伏した。 「人などただでさえ高が知れているというに、力を取り戻す機会をみすみす見逃すとは」 それは事実ではあった。 人が努力で手に入れられるものには際限があり、人ならぬ力は極限を極めた人を容易く打ち砕きうる。 二ヶ月前に見た<断罪の槍>の力は、まさに端的にそれを表していた。 それでも、博司は惑わなかった。 「それでも一番確実に強くなれるのは、修行を積み重ねることだ。それに……」 サミダレを構える。 「紗矢香に危険を冒させて、当の俺は後ろで見ていろとでも言うのか? ふざけるな!」 裂帛の気合、というよりも、むしろ怒り。 今まで受けていた穏やかな印象との格差に、すぐ後ろの真琴が目を丸くする。 「し、師匠……?」 「お前は下がっていろ。足手まといにしかならん」 冷静な声で告げたのはイセリアだ。 振り向くこともなく、顎をしゃくる。 「後ろでへばっている無茶な小娘でもガードしていろ。また暴走して妙なちょっかいを出されてはかなわんからな」 「う、うん……」 きついなあ、とでも普段であればこぼしたのだろうが、場の圧力は余計な台詞など口にする余裕を与えてはくれなかった。 駆け去る真琴に声をかけることもせず、博司はサミダレの<力>を解放した。 「我、この手にするは他を守る為の力なり!」 濃緑の光が夜を照らす。 それと同時に、後方から朱鷺子の声がかけられた。 「加勢は要るか?」 「……いや、紗矢香を守っておいてくれ。そうしたら安心して戦える」 やはり振り向かぬままに、博司。 弱っている紗矢香を狙われるのは、怖い。 朱鷺子は淡々と指摘した。 「替わりにそちらが厳しいことになると思うがな」 「……分かってる。だけど……」 そう、分かっている。 博司は自惚れてはいない。 九尾の狐は、イセリアを使った博司にもおそらく手に余る相手だろう。 だが、だ。 「俺はこいつと決着をつけたい」 朱鷺子からの返答は、少しの間来なかった。 しかし、やがて承諾が返って来た。 「よかろう。その無茶、聞き届けよう。存分に戦うがいい」 「ありがとう」 博司は大きく身体を撓めた。 九尾の狐が不気味に笑った。 仕掛けたのは博司からだった。 斧部が大気を引き裂きながら刹露へと唸る。 が、その唸りは、叩きつけられた尾によって止められた。 尾は斧部よりもほんの少しだけ下の柄を押さえている。 そこは、最も少ない力で押し返すことのできる場所だ。 「お前……」 「くくくく……我を力だけと思うておったか? 六や七の中途な奴らとなど比べてくれるな。我は九尾ぞ」 嘲笑う狐。 しかし、言うだけのことはある。 次に来たのは、三本の尾での足払い。 「く……」 博司は咄嗟に地面に石突を突き立ててそれを防ぎ、その隙に後ろへと跳んだ。 が、その瞬間、刹露は口をかっと開いた。 無形の力が迸る。 衝撃が一帯を突き抜けた。 博司は腕を十字に組み合わせ、<力>による緩衝とともにそれを弾き飛ばす。 が、道路が抉れているのを目にして思わず声を上げた。 「紗矢香!?」 範囲に対する攻撃であるならば、後ろの紗矢香たちにも届いているはずだ。 振り返りかけたとき、朱鷺子が告げた。 「案ずるな、この程度ならば届かせはせん。奴もまだ本気ではない。こちらに気を取られるな」 そうだった、と思い出す。 この敵は、そんな余裕を持っていて勝てる相手ではない。 「おおおおおおおっ!!」 駆ける。 真っ向から、突撃する。 それを迎え撃つ刹露の前には無数の炎。 「ではこれはどうだ?」 狐火が夜を焼きながら博司へと殺到する。 博司は脚を緩めない。 かわすか否かすら思考に上らなかった。 当然のように、そのまま突っ切る。 服の焦げる臭い、肉の焼ける臭い。 それでも<力>のおかげで致命的には程遠い。 振りかぶったサミダレを、渾身の力で振り下ろす。 刹露もまた、尾を鞭のように撓らせる。 双方に凄まじい衝撃が走った。 それでも、一方的に弾き飛ばされたのは博司の方。 刹露はびくともしていない。 しかし博司は転がりながら起き上がり、即座にもう一度仕掛けた。 今度はサミダレと尾とががっしりと噛み合う。 「くくく……猛るものよな。怒っておるのか?」 「怒ってるとも……」 全身の筋肉を限界以上に膨張させながら、博司は重圧を押し返す。 「俺は何で気付いてやれなかった? ずっとすぐ近くにいたのに、何で紗矢香の様子がおかしいことに気付いてやれなかった!?」 「鈍いにも程があるということよなあ? 思い詰めておったぞ、娘は? 敵うはずもない我に、愚かにも可愛らしい牙を剥いて襲い来るほどになあ?」 狐は嘲笑う。 しかしそれは博司には受け入れざるを得ない嘲笑。 再び、博司は弾き飛ばされた。 今度も即座に立ち上がるが、仕掛けるのは刹露の方が早かった。 ぐん、と伸びた尾が槍のように上空から降り注ぐ。 「ち……!?」 博司はサミダレでそれをなんとか左右に逸らした。 それだけで両腕が痺れるほどに重い手応え。 それを振り払い、博司はなおも駆けた。 戦いは始まったばかりだ。 繰り広げられる戦いに、真琴は息を呑んでいた。 ぐったりとした紗矢香に肩を貸しているが、その重さも感じていない。 「凄い……」 「怪異との戦いを見るのは初めてか?」 呟きに、朱鷺子から声がかけられる。 無論、真琴は朱鷺子が何者なのかを知らないし、朱鷺子も真琴のことを知らない。 ただ、真琴はつい昨日から祖父江家に居候して博司に弟子入りしたのだということだけは、つい先ほど聞いた。 「ううん、戦ったこともあるけど……あんなに強いのは初めて見る……」 博司と刹露の攻防で道路には無数の穴が開き、道なりに存在する家の塀も破壊されつつある。 もう少し範囲が広がれば、家そのものにも被害が出るだろう。 刹露の力が強大であるがために人払いも強大となり、それがゆえにここまでの破壊がすぐ近くにあっても人々は気付かないのだ。 真琴にとってみれば、この規模の怪異には、今まで出会ったことがなかった。 そのとき、刹露が衝撃を放った。 もう幾度目になるだろうか。 朱鷺子は<力>を纏わせた掌でそれを相殺する。 「ならばよく見ておけ。祖父江の力も九尾の狐の力も、こんなものではない」 「え……?」 真琴は己の心音をどくりと聞いた。 戦いは膠着状態だった。 否、正確には、博司にとって最早手がなくなりつつあった。 刹露には、未だいかな攻撃も通用していない。 穴が見つからない。 弱点の見えぬままに、切り札を切らなければならないときが来ようとしている。 「そろそろ飽いてきたな」 刹露が言った。 「いつまでそのような紛い物を手にしているつもりだ? これでは、本気を出せば汝は容易く死んでしまうではないか。そのようなことはさせてくれるな。四年も待ったのだ、四年も待ったのだ。精々足掻いてから死んでもらわねばなあ?」 「……イセリア」 博司はイセリアを呼ぶ。 そしてサミダレを地に転がし、その手をとった。 「我、この手にするは他を守る為の力なり!」 イセリアが<光波の斧槍>イセリア=シャレスとなり、今までに数倍する濃緑の輝きが迸る。 一方、刹露にも変化があった。 「来るか、来るか! 打ち破ってやろう、汝の足掻きを。教えてやろう、すべてが無駄であったことを!」 身体が燃え上がるように蒼白い狐火に包まれたかと思うと、同時に道路が溶け始めた。 だが、それは熱に焙られての溶け方ではない。 腐れ落ちているとでもいうべきか。 まさに怪異。 木々も雑草も枯れ、命を奪われつつある。 絶大な瘴気がばら撒かれ始めた。 「く、うあっ……」 紗矢香が喘ぐ。 いち早く瘴気の影響を受け始めたのだ。 それを支える真琴も、がくがくと足が震える。 「なに、これ……? ボク、どうしちゃったの……?」 「瘴気だ。まずいな……」 朱鷺子は平然とそこに立ちながらも、厳しく眉をひそめる。 「死の怨念が上乗せされていないだけ殺生石よりはましだが……この一帯の抵抗力の弱い者から死んでいくぞ」 「そんな……」 真琴は蒼白な顔で紗矢香を見下ろし、そして博司へと叫んだ。 「師匠ッ!!」 「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」 博司は光の柱を叩きつける。 瘴気も狐火も、纏う<力>が打ち払う。 しかし刹露もそれを真っ向から迎え撃った。 腐れ落ち崩れるアスファルトの中から岩の槍が飛び出す。 それに隠れるようにして閃光のように金属塊が打ち込まれる。 凍気が侵蝕しようとし、風が咆え、最後に収束された光の束が叩き込まれた。 <力>がなければ三度は死んでいただろう。 あってなお、最後の熱線によって右胸には大きな火傷。 しかしイセリア=シャレスもまた、刹露を切り裂いていた。 ざくりと肩口から血を流し、替わりに光は吹き飛ばされた。 「くくく……強うなった、強うなったなあ、童!?」 刹露は即座にもう一度熱線を放つ。 「我に勝つためにどれほどの修練を重ねた!?」 「違う!!」 博司はイセリア=シャレスでそれを打ち払った。 「俺はそんなことのために強くなったわけじゃない!」 返す刃は三つに分かれた。 『速さ』を奪う呪いの中にあってさえ、三つに分かれて見えるほどだった。 <三崩撃・輝明> 刺、払、薙、その三つをほぼ同時に仕掛ける、博司にも<力>なくしては不可能な技。 「ぬかしおる、ならば何だと言うのだ!?」 しかし刹露は九尾の狐だった。 その幻技、しかも第二階位<武具>をもって放たれたものを、最後の薙ぎに前脚を切り裂かれるだけに留めたのだ。 『師匠ッ!!』 真琴の叫びが聞こえた。 博司は己の魂が急激に傷つけられてゆく苦しみに耐えながら、二人のことを思い出す。 「俺は……力を持たない人たちのために強くなるんだ。お前のためなんかじゃない!!」 言い放ったその瞬間、刹露の眼が怒りに閃いた。 が、即座に嘲笑へと戻る。 「人はまこと愚かよな。だが、今際の際の世迷言として聞き流してやろうぞ」 その言葉の意味は明白だ。 博司にも判る。 イセリア=シャレスを凌駕解放までしてようやく互角かあるいはそれに足らぬくらい。 結局は勝てないと、刹露は言っているのだ。 それでも博司は諦めてはいなかった。 最後の瞬間まで、勝負は分からない。 見えなかったものが見えるかもしれない。 ひとつ見えれば、きっと勝てる。 紗矢香は朦朧とした意識の中でも、戦いの様子は映していた。 「……博司様……」 もう終わりの時が近付いていることも察していた。 「もう、やめて……もう……」 声は音にならない。 絶望が心に広がってゆく。 まさに、そのときだった。 セテシィ=メルロゴールは東の空を不愉快そうに見やる。 「……こんなときに限って干渉してくる気? 忌々しい……」 その呟きは宗一郎にまでは届かない。 しかし、緋雪の声は聞こえた。 「星辰が動きます」 『見えるか、リザ?』 「ええ、見えるわよ。これは手助けしないとねぇ?」 気付いたのは偶然だった。 見かけたのも偶然だった。 しかしこうなってしまえば首を突っ込まずにはいられない。 だって素敵ではないか。 希望を捨てない男の子には、手を貸す甲斐があるというものだ。 金色の光に包まれ、美しい弓を構え、引き絞り、リザはそう思う。 標的は10km以上離れているが、問題はない。 「頑張ってる男の子には、おねーさんがご褒美あげちゃう」 そして、一条の光が放たれた。 それを見送り、弓と光が消えてもう一人の人影が現れる。 二人は、まるで姉妹のようだった。 一方は二十代後半、新たに現れたもう一方は二十歳前後。 タンクトップにジーンズ、腰には革のジャンバーを巻いているといういでたち。 肩の辺りで切りそろえられたプラチナブロンドに縁取られた整った顔立ちはどこか中性的にも映るが、声も体形も女性以外ではありえない。 しかし、整った顔立ちと言ってはみても、二十代後半の方は白色人種だが、二十歳前後の方は今ひとつ人種がよく判らない。 そして前者も確かに美しくはあるが、後者の方はそれを明らかに上回る。 前者はカラミティ・リザことリザ・シュミットマン、そして後者は第一階位<星辰の弓>リュクセンティフィーナ=セラフィ。 トラブルメイカーとして最も有名な二人である。 「さぁて、うまくいったかしら?」 リザは、いいことをした後のすっきりした表情で言った。 天空から光が降って来た。 それはまさに星が下した光のようだった。 光は、刹露の背から腹を貫き、地面に着弾すると爆発を起こした。 その爆発は博司をも巻き込んだが、<力>のおかげで傷を負うことはない。 一方、刹露は絶叫を上げた。 「ぐ、ぅぁああ、あああああああっ!!!?」 博司には、何が起こったのかは判らない。 だが、これは好機だった。 逃せば二度とないであろう、唯一つの機会。 「イセリア、行くぞ!!」 限界を超えて潜在する<力>を引き出す凌駕解放。 最大の力で、博司は前へと跳躍する。 その姿を刹露は捉えた。 刹露にも、何が起こったのかは判らない。 しかし自分が危機に曝されているのは判る。 それでも、力ある存在として笑い飛ばした。 「できるつもりか!? それを最後の攻撃として自滅するがいい!!」 博司の攻撃は、今の状態でもまともに受けずに済む自信がある。 すべて、見切っている。 事実、見切ってはいたのだ。 ただひとつだけ、普段であれば気付けた変化に気付かなかった。 己のかけた一つの呪いの感触が、降って来た光の一撃で消えていることに。 博司は変化に気付いていた。 四年近くもの間自分に架せられていた枷が消えている。 身体が完全に意識どおりに動く。 その動きがもたらした<波煌>は、刹露の予想を超えていた。 なまじ見切っていると思っていただけに対応できない。 イセリア=シャレスの刃は、悲鳴すら許さずに刹露を両断した。 ジャンル別一覧
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