第五十二話「救援要請」どうも騒がしい。そんなことを思ったのは、風呂にも入り夕飯も食べ終わった後だった。 何やらがやがやと廊下で人の声が響いている。 宗一郎は立ち上がった。 こちらを見上げてくる雄介に頷き返し、ドアに張り付いて騒ぎの内容を聞き分けようとする。 くぐもって聞きづらいところもあるが、興奮と焦りを含んだ声であるために、大体のところは聞き取れた。 凶悪犯。 辺りを徘徊。 絶対に外出はならない。 警察が総出で警戒と確保に当たっている。 「……こらまた随分と……」 宗一郎は唸った。 「何なの、兄さん?」 雄介が小声で寄って来て、晃人もこちらを見ている。 宗一郎は低く告げた。 「何か厄介なんが来たらしいぞ」 聞こえたとおりの、凶悪犯とやらのことではない。 このパターンは稀にあることなのだ。 <武具>遣いが敵とするものは必ずしも怪異ばかりではない。 人は相争うものだ。同じく<武具>遣いなどと戦うことになることもある。 しかし怪異ではないために人払いの結界が作られることもなく、従って人為的な手段で人を遠ざける必要がある。 目撃者も多数出てしまうまずい手ではあるのだが、もうそれしかないときには使われる。 そして、怪異のときも大規模かつ発生が分かっていれば補助として使われることもある。 <武具>遣いの血統はほぼ世界のどこにおいても国家権力とのラインがある。日本も例外ではない。この一帯を管轄する家であれば、これくらいのことはできる。 「管轄しとるんは確か……石神井とかいうたか……」 葉渡の遠い親戚、ではない。この旅館を経営しているのは、何代に一度か<武具>遣いが出る程度の家であり、管轄などできるようなものではない。現在も、<武具>遣いはいない。 「一応、おばちゃんに会うてくる」 そう言い残し、宗一郎は部屋を出た。 すると、向かいの女部屋から出てきた朱鷺子と丁度出くわした。 頷き合い、廊下を駆ける。 その後ろを、緋雪が静々と歩いていった。 「久しぶりに姿をつかませたと思ったら……やってくれるもんだなあ……」 執務室で、鬼十郎がのほほんと言う。 報告をしたエージェントの方は蒼白だ。 「申し訳ありません、あれだけ目立たずにはいられないものをなぜ今までつかめなかったのか……」 三十代半ばといったところだろう。 2m近い巨躯を誇る男なのだが、今は随分と小さく見える。 「ん、いや、仕方ないだろう。今までもよくあったからなあ」 鬼十郎はこともなげに言ってから、頬杖を突く。 「それで、現状はどうなってる?」 「はい、恐慌を起こした石神井家は、一帯の<武具>遣いとその関係者すべてに救援要請を出しました。ありったけの戦力で対抗しようということでしょう」 「ふうむ……」 鬼十郎は片目を閉じて思案した。 「良くもあり悪くもあり、か……難儀だな。しかし奇遇でもある」 「は……?」 何を言っているのか、とエージェントは困惑を浮かべる。 しかし鬼十郎は説明することなどなく、指令を下した。 「その要請は撤回させなくていい。一般人に大量の犠牲を出させるわけにはいかん。マスコミも徹底排除だ。あとは最善を尽くせ」 「は」 一礼して退出するエージェント。 そしてそれと擦れ違うようにして入ってきたのは理美だ。 「よろしいのですか? あそこには今……」 何の話をしていたのかまで推察、そう述べる。 元々、理美がここに来た理由もそれだ。 が、鬼十郎は飄々とした態度を崩すことはなかった。 「なに、だからこそ望みはあるってもんだ。そもそも考えておいてくれと以前言っていたのは君だろう?」 「怪異の大量発生?」 翔子が声を上げた。 ここは男部屋。話を聞いてきた宗一郎と朱鷺子が皆を集めたのだ。 「正確には、多種多様な怪異の、何の脈絡もない大発生だ」 朱鷺子が訂正する。 「確認された中では……餓鬼程度から鎌鼬、上は上位の戦鬼までいるそうだ。そして、石神井家からこの一帯にいるすべての<武具>遣いとその関係者に救援要請が出された。並大抵の事態ではない」 日本での討魔は基本的に家や集団単位となる。 それが、『己の管轄地域』で『すべての<武具>遣いとその関係者』に対して『救援要請』など、まずありえないことだ。 「すべての、とは言っても本当に全員出る必要はなかろう。危険度は極めて高い」 そう言って、朱鷺子が視線を向けたのは晃人だった。 その意味を察し、晃人はかぶりを振る。 「俺も行きますよ。どこまでやれるか試すいい機会だし」 「ならば来るな」 端的に言って、戸惑う晃人を尻目に朱鷺子は今度は宗一郎にまなざしを向けた。 「お前はどうする?」 宗一郎にとって、大量の敵が広い範囲にうろついているというのは最も相性の悪いパターンだ。すべてが餓鬼程度であるのならばともかく、戦鬼までいるような状況では護衛でもいない限り何とかなるとは言い難い。 が、宗一郎は小さく笑った。 「行けへんわけにもいかんやろ。ただの大量発生で救援要請になるか。石神井家が言うてない何かがあるぞ、多分」 「……だろうな。ないとされている脈絡は、その隠している何かに繋がっているのだろう」 背に腹は代えられぬ、と朱鷺子は頷く。 「次にチーム分けだが……一丸となるのが最も安全に違いはないが、効率のことを考えれば分けざるを得まい」 第一の目的は住民を危険から守ることだ。 手分けしなければ対応しきれない。 だからと言って、戦力を分散しすぎて返り討ちに遭うのは愚の骨頂。 死なずに済む最低限の戦力を見極めなければならない。 「緋雪、お前を戦力に数えて良いのか?」 まず確認すべきはそれ。 緋雪は、放っておけば宗一郎が死ぬ、という状況でない限り戦わない。 「そうですね、宗一郎独りであれば」 緋雪の答えは朱鷺子にも少々迷わせる条件の厳しさだった。 が、結局は頷く。 「では、宗と緋雪でまず一組。遥、雄介、翔子で一組。私と蓮花とで一組。いけるな?」 それぞれから頷きが返って来る。 雄介と翔子は得物の相性もあって二人一組での行動が多く、連携も取れている。 宗一郎が横から補足した。 「ほれなら、遥たちは負傷した<武具>遣いの治療に回るんを優先するんがええやろ。戦力落とさんのが重要になってくるやろから」 「了解なのさ~」 「ちょっと待ってください」 慌てたのは晃人だ。 すっかり自分を外されてしまっている。 「俺は独りですか?」 「お前は来るな、と言ったはずだが?」 覇気のある、しかしあっさりとした返答。 先ほど言われたことが本当に聞き間違いではないのだと、晃人はようやく理解した。 「なぜです? 俺が偶然契約しただけだからですか?」 「それもないことはないが、それ以前に正確ではないな。そちらの関係で問題となるのは、家族が<武具>と<武具>遣いのことを知らないということだ」 朱鷺子は告げる。 「知っているのならば戦いの果てに命を落とすことがありうるのは覚悟の上だろうが、知らないのであれば、水難事故で亡くなったとでも伝えれば良いのか?」 「……死ぬことを前提にしないでください」 憮然と、晃人。 「俺は雄介たちと何度か戦いに出たこともありますし、その前は一人で戦ったこともあります。感覚は分かってます」 「経験の問題ではない。戦うときのものの考え方と力量の釣り合いの問題だ」 朱鷺子はラフェル=ルフィアドネを手に立ち上がる。 「この戦いは、如何にして最後まで生き残りながら、可能な限り人々を守るかだ。そんな戦いに対して、お前は何と言った?」 晃人は記憶を反芻する。 自分が返した答えは、どこまでやれるか試すいい機会、だ。 「俺は……」 「私は昨日の様子でしかお前の力は知らん。だから油断ではなく余裕なのかもしれん。余裕があるのはよきことだ。が、そうであったとしても私は、共に戦ってくれと言う気にはなれん」 朱鷺子の声には憤りはない。 そして冷たいわけでもない。 ただ強く、毅然としていた。 「行くぞ、時間もこれ以上浪費できん」 「ああ……」 「う、うん……」 即座に呼応したのは宗一郎、そして少し遅れて蓮花。 晃人は腰を浮かせかけて、しかしすぐには声が出なかった。 が、そこで翔子が不意に言った。 「朱鷺子さん……あたしが連れて行ってもいいですか……?」 晃人からしてみれば、翔子らしくもないおずおずとした口調。 朱鷺子は振り返り、翔子を少しの間だけ見つめる。 翔子は膝立ちになって、一気に捲くし立てる。 「ちゃんと首に縄つけて見張ってますから、トチ狂ったことはさせませんし、こいつ逆らえませんし」 「おい……」 「晃人はちょっと黙ってようね?」 逆らえませんし、のくだりで文句を言おうとした晃人の口を雄介がにこやかに塞ぐ。 その間にも翔子は続ける。 「とりあえず、壁は多いほどいいんですよ。遥がいるから怪我はすぐに治せるし、こいつにとっても一番安全じゃないかと思うんです。ほっといたら多分、抜け出しちゃうと思うんですよ」 「……確かにそれはありそうだな」 朱鷺子はさほどの時間を思考に費やしてはいなかった。 自分で言ったとおり、時間を浪費できないのだ。 「ならば好きにするがいい」 告げて、部屋を出てゆく。 それに蓮花が続き、宗一郎が続き、するりと緋雪もいなくなり、四人だけが残された。 そこでようやく雄介が手を離す。 「ぷはっ……」 「ごめん、苦しかった?」 「……ちょっとな」 晃人は不足していた空気を補給すると、翔子に向き直った。 「どういう風の吹き回しなんだ?」 「言ったとおりよ。あんた、絶対抜け出すでしょう? それよりは目の届くところに置いておいた方がいいわ」 翔子は不機嫌そうに答える。 「それより、あたしたちも行くわよ。準備はいいわね?」 フタカゲが餓鬼を葬り去る。 返す刃で鎧魂の一撃を受け止めて弾き返した。 瞬時に剣身に光が収束する。 「応えろフタカゲ、<疾駆・影刃裂鋼>!」 放たれた刃は鎧魂を切り裂いた。 が、それだけで倒されはしない。 弧を描いて戻って来た刃を柄に受け取り、徳教は最速の一歩を踏み出した。 ヴォルフガング=ジルヴァを遣っているときからは随分と落ちるが、<絶技・影刃殺>をフタカゲで放つ。 それでも鎧魂は両断され、宙を舞った後で粉々に砕けて消えた。 「まったく……なんだってバカンス先で殺伐としたことしなけりゃならないんだか」 「……むしろあの街にいるときの方がのんびり出来たな」 徳教の言葉にジルが同意する。 ここ数ヶ月、特に宗一郎の援護に呼ばれることもなく、バトルフィールドのランキング一位をやって、用務員の給料よりも明らかに多い報酬を得ていただけだ。 バトルフィールドは平穏とは言えないが、あれは命を賭けて戦っているわけではない。 二週間ほど前には何やら妙なものも感じたのだが翌日には消え、結局何も起こっていない。 「教頭のヅラ装着見たもんだから今ちょっと睨まれてて、居心地は微妙に悪いんだけどな」 「え? 教頭先生ってかつらだったんですか……?」 エメット=ニルディーナを構えた巴が目を丸くする。 むしろ徳教の方が驚いた。 「気付いてなかったのか? ふさふさ過ぎて気味悪いだろ?」 他愛のない話。 だが、徳教の心は戦いのリズムに高揚していた。 昨日点けられた火だ。 どうにも治まらない。 普段の自分は偽りではないかと思うほどに。 変わってゆくのを感じ、抑えようと気を入れる。 心の隅に恐怖がある。 戻ってはならないと真摯に祈る。 そんな徳教を、巴もジルも察していた。 だからこそ、他愛もない話を振り続ける。 しかしあくまでもここは戦いの場だ。 違和感のみがどんどんと膨らんでゆく。 「海だ……」 巴が呟く。 いつしか浜辺まで来ていた。 海上には強い風でもあるのか、波の音は強い。 が、それに意識を奪われたのは一瞬。 気配を感じて、徳教と巴が同時に得物を構える。 しかし巴はすぐに緊張を緩めた。 近付いてくる影は二つ、両方とも人間のものだった。 一方は三十路ほどの男。東洋人ではあるが彫りの深い顔立ちで、長めの髪は後ろで無造作に縛っている。真夏だというのに高級そうなスーツ姿なのが異様だ。 手には柄から双方向に伸びた剣を持っている。 そしてもう一方は十代前半から半ばほどの小柄な美しい少女。自然にはありえぬ蒼い髪を耳の辺りで切り揃え、転げ落ちそうに大きな目が無感情にこちらを見ている。 <武具>遣いと<武具>だと巴は思った。 そしてそれは間違ってはいなかった。 「……コキュス=サリュサトゥス!」 最初に口を開いたのはジルだった。 少女が応えるように無機質に言う。 「ヴォルフガング=ジルヴァですか」 そして、男が大袈裟に肩をすくめた。 「おおう、これは実に久々ではないか、<戦魔>よ? 奇遇だなあ?」 「徳教さん……?」 知り合いなのだろうと思いつつ、巴は徳教を見下ろす。 徳教はフタカゲを下げていなかった。 食い入るように男を見ている。 「……<双頭剣>……」 呻くように、言った。 |