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八の字の巣穴

八の字の巣穴

第五十四話「乱舞」

 張り詰めた筋肉、爛々と輝く眼。
 戦鬼とは、鬼の中でも純然たる破壊の想念から出来たものだ。とても大きく、力強く、抗いがたいものに映る。
 雄介はその真正面に立ちはだかっていた。
 右手には霊刀、左手には<武具>、細身に映る身体で一歩も退かずに対峙している。
「晃人」
 斜め後ろの晃人に呼びかけるも、振り返ることはない。
「……何だ?」
 <力>はまだ発動させないままに晃人は問い返す。
 しかし言いたいことの予想はついた。
 そして雄介が口にしたのは、その予想を超えた内容だった。
「晃人は絶対に、あいつの正面に立っちゃ駄目だよ。<力>を纏ってないときだと、まともに一発当たるだけで危険だから」
「当たらなきゃいいんだろ?」
 当たるとまずいのは見ただけで解る。
 戦鬼の得物は巨大な鉈、そんなものがまともに胴を薙いだら真っ二つだろう。
 即座に治癒を施しても助かるかどうか。
 しかし当たらなければいいと晃人は思う。まずかわし隙を見つけて屠るのが晃人の得意とするやり方だ。
 が、返って来たのは静かな言葉だった。
「当てられるよ、多分」
 それと、戦鬼が咆哮とともに地を蹴るのとは同時だった。
 視界の中で急激にその姿が大きくなる。10mはあった距離を、低い跳躍一つで詰めたのだ。
 そして雄介へと袈裟懸けに振るわれた鉈は、凄まじいまでの速度だった。見えないというほどではないが、意識のすべてをもって警戒してなお、対応するだけで精一杯なくらいには。
 雄介もかわすことまでは出来ず、右へ跳びながら盾のように霊刀と<武具>をかざす。
 しかし鉈が衝突した瞬間に身体ごと地面に叩きつけられた。拮抗などする暇もない。
 体躯と得物から想像できるとおりの脅威の衝撃。
 ただの刀であれば砕けていただろう。が、フィエン=ティオにもヤマネにも罅一つ入ってはいない。
 そして雄介も、衝撃に身体を貫かれながらも止まらなかった。
 一瞬でも止まれば命がないことは判っている。
 戦鬼は即座に鉈を振り上げ直していたのだ。
 今度は横薙ぎだった。
 晃人は息を呑んだ。先ほどの威力からすれば、受けきれるとは思えない。
 が、響いたのは甲高い音。
 雄介は転がりつつ、二刀を地面に突き立てていたのだ。
 地を支えとして耐え切り、しかし其処のアスファルトは砕け散った。
 雄介が跳び離れるのを戦鬼は追う。
 しかしその身に幾条もの光が降り注いだ。
 近くの家の屋根に陣取った翔子が射撃を開始したのである。
 もっとも、その光をも戦鬼は鉈を振るって弾き飛ばし、身体に届いた光も霊気に阻まれて皮を裂く程度にしかならない。
 強い。
 晃人は思った。
 雄介の力も翔子の力もよく知っている。
 まだ<武具>を遣っていないとはいえ、二人掛かりでさえまともに戦えているとすら言い難いなど、すぐには信じられない。
 雄介が警告をするはずだ。この戦鬼は、今までに晃人が見たことのあるいかなる怪異をも凌駕していた。
 しかし、ならばこそとも思う。
 やりがいがある。
「晃人、動かないと死ぬわよ!」
 怒声にも近い翔子の声と、晃人が動き始めたのとは同時だった。
 光の矢を浴びながらも狂ったように苛烈に雄介を攻め立てる戦鬼の後ろへと回る。
 狙うのは、とてつもなく太い脚。その中でも、踵を狙う。
 戦鬼は避けようともしなかった。
 雄介を攻めることに気を取られている、と晃人は判断する。
 閃いたニグレクト=トレイターは過たず右の踵へと吸い込まれた。
 異様な手応え。ぐきりと手首に反動が来る。
 切先が、あと少しのところで止まっていた。
 何が起こったのか分からない。
「逃げて!」
 雄介の声が響く。
 無造作に、切りつけた脚が膝を支点に後ろに戻される。
 蹴りと呼べるほどのものではない。それでも、晃人の腹にめり込んだ踵は軽々と晃人を跳ね飛ばした。
 正確には晃人も後ろに跳んではいたのだが、戦鬼の方が早かった。
 晃人は地面を転がり、腹部を中心として広がる激痛に声もない。
 止まっても、まだ目の前が明滅している。全身を冷たい汗が濡らして、感覚がおかしい。
 しかし耳は生きていた。
「後ろに跳んで!」
 今度は翔子の声。
 晃人はそれに従い後ろに飛ぶ。
 右側で、アスファルトが砕けた。飛礫が幾つも晃人の身体を打つ。
 そして雄介の霊刀が横から戦鬼の右腕に突き立てられている。戦鬼がこちらに注意を向けた瞬間の隙を突いたのだろう。
 それが、戦鬼が振り下ろした鉈の軌道を変えた。
 邪魔がなければ、晃人の頭部くらいは弾け飛んでいたに違いない。
 戦鬼は腕を振る。
 引き抜かれた霊刀が血を引き、雄介が振り払われる。
 それでも雄介は得物を離すことなく数度転がった後に立ち上がる。
 戦鬼には光の矢が降り注ぎ、それでもやはりかすり傷にしかならない。
「……これが、上位の戦鬼……」
 晃人が呻くように言う。
 どこからどう見ても圧倒的な戦闘能力。
 三十人もの霊具使いがことごとく重傷状態に追い込まれたのも当然だと思えた。
『オ……オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』
 戦鬼が咆哮を上げた。





「さあ、次はおにーさんなのさ~」
 五人ほど癒し終えて、遥は次の人に取り掛かる。
 二十代と思しき巨漢だ。
 苦悶の表情ながらもちらりと目を明ける。
 そして、大きく見開かれた。
「お前……!?」
「ほえ? 何なのさ?」
 目をぱちくりとさせながら、遥は治癒を施す。
「おにーさん、あたしのこと知ってるの?」
「いや、その……」
 男は一度口篭る。
 が、結局はぼそりと言った。
「昨日、祭りで……」
「祭りぃ……うぅん…………あ」
 遥はしばし眉を寄せて記憶を探っていたが、それほど時間はかからずに思い出した。
 昨夜の祭りで遥が割って入った二人の片割れ、そのうちの水をかけた方である。
「喧嘩してたおにーさんなのさ。ちゃんと仲直りはした?」
 にぱっと笑って言う。
 その笑顔があまりに無邪気で、男は言葉を失った。
 昨日のことなど何も気にしていないかのようにしか見えない。
「お前……」
 自分が何を言おうとしたのか分からず、男は一度大きく吸って別のことを口にする。
「……どうしてオレまで治す?」
「へ? おにーさん、それ意味分かんないのさ。自慢じゃないけど、あたしは頭悪いのさ~」
 そう言う遥の表情はやはり屈託のないもの。
 男は痛みも忘れ、憤りにも似たものが込み上げてくるのを感じた。
「自分が受けた仕打ちも忘れたのか!?」
「覚えてるのさ。ひどいのさ~。雄介くんの目の前であの格好は、すっごく恥ずかしかったのさ~」
 さすがに遥も困ったような顔になった。
 そのときの感情まで思い出したのか、頬も染まっている。
 しかし、それだけだった。
「でも、それとこれとは関係ないのさ」
 遥はあっさりと笑顔に戻って言う。
 ようやく察したらしい。
「喧嘩は詰まらないのさ。恨むのも、幸せになれないのさ」
「奇麗事を……」
「難しいことは、あたしにはよく分からないのさ」
 男の怒気は軽く流された。
 一方、傷はもう粗方癒えている。
「あたしは、やりたいことをやってるだけなのさ」
 そう言い残すと、遥は男へとにっこりと笑いかけてから次の怪我人へ向かった。
 男は前方に目を凝らした。
 戦いが、見えた。





「く……」
 息が漏れるのと同時に、口の端から血が垂れる。
 雄介は必死に戦鬼の鉈を防いでいた。
 いや、耐えていたと言う方が正しいだろう。刃そのものは身体に直撃させていなくとも、完全に流しきることも出来ずに肩口を中心に幾つもの傷を負っている。
 そればかりではなく、吹き飛ばされた衝撃や叩きつけられたときのダメージも大きい。
 戦鬼の攻撃は異常なまでに苛烈だった。防御一辺倒でも耐えるのが精一杯だ。晃人が死角に回って仕掛けているが、霊気だけでほぼ弾かれてしまっている。
 抜くか否か、判断に迷う。
 倒し切れるのならばいい。しかし、抜いてなお倒しきれないならば、壊れそうになった魂の苦痛が作り出した隙によって自分は倒れる。
 そうすれば、今ならばまだ何とか保たれていると言えないことはない均衡は崩れ、ここにいる者たちは全滅するだろう。
 自分たちの全力は、果たしてこの戦鬼を凌駕できるのだろうか。
 幾度目かの自問をしたときだった。
 視界の中で晃人がこちらを見た。
 明らかに何らかの意図をもった合図。しかし何をやろうとしているのかを訊く暇など勿論存在していない。
 ただ、仕掛けようというのは間違いないだろう。
「雄介!」
 後上方から翔子の声。
 名を呼ばれるだけでも言いたいことはほぼ理解できる。伊達に双子をやっているわけではない。
 このままで自分が保つのかどうかを危ぶんでいるのだ。
「遥さん、残りは!?」
「あと半分くらいなのさ!」
 まだ半分。
 意識がそう弾き出したことを雄介は自覚した。
 これは、保たない。
 そう判断するのと霊刀ヤマネを投射するのとはほぼ同時だった。
 戦鬼がそれを弾き飛ばす間に、左手のフィエン=ティオを両手で握る。
 双眸が別人のように研ぎ澄まされた。
「畏怖よ、今此処に轟け!!」
 <雷鳴の刀>フィエン=ティオを中心として、霊具のときとは比べものにならない<力>が迸る。
 雄介は地を蹴った。
 唸りを上げる鉈と正面から刃が噛み合い、しかし今度は互角に押し留める。
 互いの刃は即座に引かれ、次に仕掛けたのは雄介だった。
 しかし戦鬼も懐に入り込ませなどしない。信じられぬ速度で怒涛の如く振り回される鉈が刃の結界となって進入を防ぐ。
 それでも雄介はフィエン=ティオを盾として強引に踏み込んだ。
 肘が戦鬼の水月を下から突き上げる。
 戦鬼の巨体が浮いた。
 晃人は、その瞬間を見逃さなかった。
「世界の全てに逆らえる力を!」
 青い輝きがその身を覆う。
 <反逆の短刀>ニグレクト=トレイターの<力>を解放したのだ。
 晃人がこれに耐えられるのは四秒がいいところ、自身もそれを知っている。
 その短い時間で最大限の効果を上げられる手を晃人はずっと狙っていた。
 今がそのときだ。
 <力>の補助を受けて高々と跳躍する。
 着地の目標は、宙へと浮かされた戦鬼の肩。取り付かせてくれるだけの隙が今ならばある。
 過たず降り立ち、狙うは一点、戦鬼の眼。
 そこには筋肉の鎧どころか皮膚の防護すらもなく、<力>を発揮させれば霊気だけで弾かれることもない。しかも後々の展開が有利になる。
 <力>によって研ぎ澄まされた正確さと瞬速をもって右眼に突き立て、引き抜いて左眼を狙う。
 だが、そこまでだった。
 戦鬼の左手が晃人の頭を捕えた。
 容易く引き剥がし、空中でくるりと身を返して噴水に叩きつける。
 背中から叩きつけられた晃人は全身の骨がばらばらになりそうな感覚を味わいながらも、それよりも己の内側から来る苦痛が瞬時に上回り、無意識が手からニグレクト=トレイターをこぼれ落ちさせ、光が消える。
 しかし無防備となった晃人を戦鬼が狙うこともなかった。まだ空中にあるうちに、流星雨の如く光の矢が降り注いだのだ。
 それらは確実に戦鬼の肉体を貫いていった。
 落下した戦鬼は即座に起き上がり、肉薄していた雄介の刃を鉈で受け止める。
 ぼろぼろに見えるのに、右眼も潰されているはずなのに、その動きには怯みの欠片もない。
 狂乱の如く、苛烈に攻め立てる。
『オオ、オオオオオオオオオオオオオオッ!!』
 惜しい一秒一秒が、容赦なく消え去ってゆく。
 <烈風の弓>ディセス=アンセスの光の矢は確実に戦鬼の命を削っていきながらも、まだ倒せない。
「く……」
 翔子は一旦<力>を収めた。
 浮かぶ脂汗と嘔吐感に耐えながら、くちびるを噛み締める。
 分かる。
 あと一射が限度だ。
 雄介がフィエン=ティオを遣っていられる時間は翔子よりも長いが、それでも十秒少々、もう終わる。
 しかも雄介は戦鬼の攻撃を押さえるのに手一杯で攻撃には碌に手が回っていない。
「もう一回だけ、ただの『的』になってくれれば……」
 悔しげに呟く間に、とうとう雄介の光が消えた。
 息を呑んだその時、視界の隅を過ぎるものがあった。





 身体が鉛のように重い。
 全身に異物感、そして冷気。
 魂に傷を負うことによる苦痛は、絶対的な大きさと相対的な大きさの双方に比例する。強靭な魂と脆弱な魂では、砕けかけたときの苦痛は前者の方が大きい。
 雄介は抗せず膝を突いた。
 時間が足りなかった。
 魂が砕けるよりは、とぎりぎりで解いたものの、このままでは結果的に死ぬことに変わりはない。
 暗い世界で動くものだけを感知する。
 <力>は消しても、雄介はまだフィエン=ティオを手放してはいない。
 膝を突いたままで、振り下ろされた鉈を受け止める。
 骨がみしりと鳴った気がした。
 <力>なき今、戦鬼の怪力に耐えられるはずもない。力という力を振り絞っても、刃はずんずん下りて来る。
 だが。
「やらせねえよッ!!」
 左右から、幾つもの武器が割って入った。
 刀、棍、槍、鎚、剣。
 幾重にも重なって、戦鬼の鉈をそこで止める。
 無論、武器だけではない。それを支える幾つもの腕がある。
「手助けに来たぜ」
 そう言ったのは、祭りで遥に水をかけた男だった。
 まだ傷は癒え切っていない。
 他の男たちも同様だ。
「おとなしく逃げてられるかってんだ! 意地を見せてやるぜ!!」
 続いてはさらに倍する武器が戦鬼に突き込まれる。
 戦鬼は返した鉈で打ち払ったが、十を越えるそれらをすべて払い切ることはできない。
 そして防ぐことから解放された武器も攻撃に転化した。
 凄まじいまでの数を相手に、しかし戦鬼は退かなかった。鉈を振るって切り裂き、吹き飛ばし、打ち払う。
 まさに狂乱の様。
 雄介も呆けてはいなかった。霊刀ヤマネを拾い、晃人の潰した右眼の方からまんまと懐に入り込んだ。
 全身のばねを使い、突き上げるようにして切先を腹に突き入れ、戦鬼の巨体をわずかなりとも浮かす。
「突き上げて!」
 確信がある。
 戦鬼は相当弱っている。
 翔子は余力を残している。
 『的』にすれば決めてくれる。
 雄介の言葉に、男たちも呼応した。
 それぞれの得物で、浮いた戦鬼をさらに上方へと追いやる。
 そして今、戦鬼は『的』となった。



 翔子はこの機を逃さない。
 すべての力を一射に込める。
 引き絞るのは一瞬、狙いは疾うについている。
 放たれたのは光の螺旋。
 視認すらほぼ許さずに、それは戦鬼の頭部を消し飛ばした。
 下にいた者たちが飛び離れた直後に残された胴は落下、重い音を立てて転がる。
 そこへ一斉に十余りの切先が突き立てられた。
 鈍い音、そして存在が薄れ始める。
 完全に消えてしまうまで、息をする者もなかった。
 見えなくなってから、喘鳴にも似た音が響き合う。
 皆が顔を見合わせた。
 勝ったという実感がない。
 それでも最初に誰かが言った。
「やった……」
 それはすぐに歓声へと続いた。










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