第五十八話「明日菜と宗一郎」「ぼっくさァつ、ぼっくさァつ、たァのしィなァと」即興歌とともに肉が弾ける。 もはや原形などない。 赤黒い何か、だ。 無防備に見えて、それでも徳教は仕掛けることが出来なかった。 やがて、明日菜が手を止めてこちらを見た。 「さァて、次はてめェらだ。もう時間もねェことだし、ちィとばかり手早くいくか」 「っ!!?」 徳教は身構える。 ジルが巴から手を離して徳教の手に触れた。 いつでも抜けるように、と。 その感触を支えに、徳教は問いかけた。 「何がやりたい!?」 「殺してェ」 回答は何の惑いもなく、端的だった。今の心境でさえなければ思わず笑ってしまいそうになるほどだった。 そしてそんなことはどうでもいいとばかりに言う。 「オレァ今夜いい気分なんだ。いいことが起こりそうな気がするんだ」 皮肉でも何でもない、純粋に嬉しそうな顔。 「だから選ばせてやるぜェ? どんな死に方がいい?」 「どんな死に方も御免だ!」 徳教は拳を握り締める。 「殺して殺して……自分一人になるまで殺し続けるとでも言うのか!?」 「何ワケ分かんねェこと言ってんだ」 明日菜は呆れたように言った。 しかし、当然の口調で続けられた言葉は徳教の予想などとはまるで別の方向だった。 「何もなくなるまでに決まってんだろォがよ」 「何も……って……」 ぞっとする。 明日菜からは一切の裏を感じない。 無理も感じない。 当たり前のことを当たり前に語っている、そんな印象。 「……狂ってる……」 徳教には、そう言うしかなかった。 まさに聞いた話そのままだ。あの無茶苦茶な噂には、一片の偽りも僅かの誇大もないのだ。 と、明日菜が不意に眉根を寄せた。 「えェっと、アレだ……」 もはや何を考えているのかなど想像もつかない。 「う~……そうそう、アレだよアレ!」 思いついたらしく、晴れやかな顔になる。 左手の人差し指が徳教に向けられ、続いて巴に向けられ、また徳教に戻ってから巴へと行く。 「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な・こ・こ・の・オ・レ・さ・ま・の・い・う・と・お・りッと」 目まぐるしく行き来して、最後に止まったのは巴の方。 ここまで来て、何をしたかったのかが徳教にも思い当たった。 どちらを先に標的にするかを決めたのだ。 「待て! 無抵抗な巴より俺の方がいいと思わないか?」 巴はまだ蹲って震えている。 徳教はなんとか巴から注意を逸らさせるべく、咄嗟に言う。 しかし明日菜は、意味の分からないことを聞いたと言わんばかりの顔で小首を傾げる。 「抵抗しようがするまいがどうせブッ殺すんだからどっちからでも一緒だろ?」 またも、予想を外される。 それでも食い下がった。 「どっちでもいいなら俺からでもいいはずだ」 「主……」 ジルは苦い顔。 しかしそれ以上は何も言わない。 明日菜は二人の意図などないかのように、ふと顔を防砂林の方へと向けた。 くちびるが大きな笑みを形作る。 「くくくくく……ハァッハハハハハハハハハハハァ!!」 唐突な大笑。 「予感はこれかよ! 面白ェ……面白ェぜ! こんなとこで逢えるたァなァ! ここを選んだ籤に感謝だッ!!」 それはもう、隙と言うことすらおこがましいほどの様。 徳教は、今度は機を逃さなかった。 「灰は灰に! 塵は塵に!」 <影狼の牙>ヴォルフガング=ジルヴァを抜き放つ。 蒼い輝きに包まれ、反応されぬうちに最速の一撃で決めに行く。 ただひたすらに速い踏み込みと剣速にすべてを費やした、<絶技・影刃殺>。 昔から今まで徳教を支え続けてきた技。 渾身の力でそれを放つ。 しかし振り抜くことは出来なかった。 「るせェな、もう……」 明日菜は、ヴォルフガング=ジルヴァの刃を素手で止めていた。 徳教は声もない。 ヴォルフガング=ジルヴァによる<絶技・影刃殺>を完全に防いで見せたのは、今まで三峰鬼十郎ただ一人だった。 しかし、それにしても<虚空の太刀>ファルサーラ=ルーネリアスで受け流したのだ。 いかに第二階位<武具>を抜いているとはいえ、よもや素手で止められるなどということが起こりうるとは思わなかった。 しかも<力>を防護に集中させて、などではなく刃を掴み捻って力の向きを絶妙に分散させ、要は片手で白刃取ったのである。 「てめェはすっこんでろ」 明日菜は、徳教が刃を切り離すことすら許さなかった。 金色の<力>が徳教を貫き、防波堤に叩きつける。 防波堤は破壊され、第二階位の<力>の防護をもってすらも徳教への衝撃は凄まじいものとなった。 徳教は己の肋骨が圧し折れる音を聞き、砂浜に落下する。 そして、為す術もなく意識は断ち切られていた。 辿り着いた海岸。 そこで見たものは、かつてと変わらぬ姿だった。 尼僧衣、巨大な十字架、そして笑顔。 「……桑折明日菜」 名を呼ぶ。 明日菜は応えた。 「久しぶりじゃねェか、黒豚ァ?」 物言いも変わらない。 宗一郎も自然に笑っていた。 生の根源に訴えかけてくるが如き恐怖は湧き上がってくる。 しかしそれ以上に漲るものがある。 朝からの予感はこれだ、桑折明日菜だ。 これを感じていたのだ この感覚。 以前は悟るまでには至らなかった。 これは、此処に敵を得たという実感だ。 ただ倒さなければならない敵ではなく、理解し理解された上で倒すべき敵。 震えてならない身体を、意思をもって止める。 「今度こそ、屠る」 下半身の感覚などもはやないというのに、オオミナチの<力>で身体を支えている状態だというのに、気力だけは無尽蔵に湧いてくる。 右手はオオミナチを握りながら、左手は緋雪に伸ばす。 問答無用。 あとは共感するものを持ちながらも結局は相容れぬ二つが殺し合うだけ。 そのはずだった。 いや、明日菜もそれを望んではいた。 だからこそ、嬉しげな笑顔を今、いまいましげに変えて舌打ちする。 「ち……折角逢えたってェのに。こんなことならもっと後にしとくんだったぜェ……」 夜空に金色の光が広がった。 東西南北に長々と伸び、巨大な十字が刻まれる。 それは、この世界のいかなる人間の知識にもない現象。 「桑折明日菜!?」 「オレァちょいと遠足の計画立てててなァ……これから出発すンだよ」 不機嫌そうな顔を隠しもせず、明日菜は答える。 「まァ、折角いい場所見繕って此処まで来たってェのに計画変更も勿体無ェからな。この際仕方ねェ」 「遠足て、お前なあ……」 何を意味しているのかまでは宗一郎にも読みきれない。 しかし緋雪が告げた。 「端的に言えば、別の世界と此処とを繋ぐ門が形成されつつあります」 「そういうこった。殺りがいのありそうな奴らが出てるんでなァ……足を伸ばしてみようってェワケだ」 明日菜が、天の十字に吸い込まれるようにして上昇してゆく。 宗一郎は眉根を寄せた。 桑折明日菜を屠るならば、遠距離では駄目だ。 浮遊状態の今でもかわされて殺し切れないだろう。 「……と、そうそう」 ふと思い出したように明日菜が言う。 「この『門』は便利なんだがなァ……無理矢理こじ開けると使ったあとに余剰の力でこのあたり……そうだなァ……10kmくらいか、焼き尽くすってェ反動が来るんだ。正直勿体ねェから止めといてくれよ」 明日菜のその言葉は要するに、この門を無理矢理こじ開けたから辺り一面焼け野原になる、と言っているのだろう。 そして、そんなことで後で虐殺すべきものが減るのは嫌だから止めておいてくれ、と。 「緋雪」 宗一郎は迷わなかった。 問うこともしなかった。 言われたことに突拍子があろうがなかろうが、この際何の問題にもならない。 そもそも桑折明日菜を相手に突拍子もないだの脈絡がないだのと文句を言うだけ無駄である。行動の起点が、少なくとも妥当性や論理的思考などというものからは外れている。 『門』とやらそのものを葬り去り、落ちてきた明日菜をも屠ることにする。 が、緋雪がかぶりを振った。 「今の状態の『門』を屠ると向こうとこちらが繋がり通しになります。双方に様々な悪影響が出るでしょう。閉じた瞬間がよいかと。無論、宗一郎が構わないのであれば今屠っても構いませんが」 言っている内容は現在の<武具>遣いの常識の外にあるようなことだが、宗一郎は即座に受け入れた。 「……分かった」 さすがにため息をついたが。 明日菜を見上げると、笑みが返って来た。 「おい黒豚ァ……オレが帰ってくるまで殺されンんじゃねェぞ?」 「お前こそな」 宗一郎も言い放つ。 すると明日菜は左手を己の胸に当てた。 そのときの笑顔はむしろ、はにかむ少女のようなもの。 「好き嫌いのまったくねェオレが、何にも気にならねェオレが、てめェだけは勿体ねェとそう思う。ただ殺るだけじゃァ詰まンねェとそう思う」 表情と言葉が、異様なまでに噛み合わない。 それでも、宗一郎の理性は異様と判断しても感覚は自然だと思う。 「愛の告白されよるような気になるぞ」 「くくく……ハァハハハハハハハハァッ! 愛してるぜェ? 一目惚れってェやつだ。大事に大事に撲殺してやりてェ……」 明日菜は笑う。 「死ぬんじゃねえぞ、てめェはオレがブチ殺すんだからなァ!」 それが最後の言葉だった。 明日菜が光となり、十字の中心に吸い込まれる。 ああ、と宗一郎は感じ取る。 言い知れぬものが腑に落ちた。 しかし何かを口にする暇すらなく、今度は光が収縮を始めた。 「緋雪」 「はい」 宗一郎が名を呼べば緋雪が頷き、放つべき瞬間が漠然と伝わってくる。 「この身には傲慢を纏い……」 宗一郎は言葉を紡ぐ。 邂逅を果たした桑折明日菜を思い、言葉を紡ぐ。 「この心には独善を抱き……」 紛うことなき宿敵。 倒すべき敵。 「我は我により汝を断ず……」 漲る。 そして感じる。 「抜け殻伏し並ぶ野にありて……」 既に光の塊と化した『門』を見る。 解った、そんな気がした。 「……我施すは修羅の血化粧」 <断罪の槍>アウリュエルスト=サイファーが抜き放たれる。 屠るべきときは、今。 標的は、『門』のみ。 真上へと突き出された穂先は天には届かない。 しかし、瞬時に走った黒の柱が光を貫いた。 <無限式・黒蛇> アウリュエルスト=サイファーの能力が、膨大な力の一切を消し去った。 「怖ろしい……実に怖ろしいなあ……」 近くにある一際高い土産物屋の屋根の上。 そこから一切を観察していた<双頭剣>は揶揄の口調で独りごつ。 しかしそれは声だけだ。表情は硬く、冷や汗でシャツが肌にべっとりと張り付いている。 「あれが<救世主>、あれが桑折明日菜か……」 遠くにいたとて心休まりなどしない。 「奴は……気付いていたか?」 「気付いていたでしょう。そして当然、アウリュエルスト=サイファーも」 問いにコキュス=サリュサトゥスが答える。 <双頭剣>は笑う。 「時間の都合で見逃してくれた、か。いずれにせよ……俺の興味ならばともかく、クライアントの手に負える代物ではない、な」 そして、笑みはさらに人の悪いものになる。 「いやいや、だからこそ希望ありと伝えて破滅させるのも面白そうだが、さて……」 遠くではあるが、宗一郎とジルが徳教を引き上げている様子が見える。 死んだかもしれないと見ていたのだが、どうやら助かったようだ。 完全に力量以外のもたらした結果ではあるが、桑折明日菜に触れられて死なずに済んだなど、判っている限りでは二人目、未確認を含めても片手で足りるだろう。 「さあ、お前はこれからどうなる? 少々楽しみではあるなあ、小山徳教?」 低く、揶揄を込めて呟いた。 |